哀川さんは都合のいい女になりたい
永菜葉一
第1話 夜中の公園で哀川さんを拾いました
体に悪そうな油ギトギトのカップ麺を今すぐ食べたい。
高2の男子には、ふとした時にそんな夜がやってくる。
というわけで俺は薄手のジャンバーを羽織ってアパートを出た。
家庭の事情で一人暮らし。
不便なこともあるけど、こういう時は身軽でいい。
コンビニで『極上豚骨ハイパー油地獄』というまさになカップ麺を購入し、そういえばと思い立って、帰りは近くの公園をショートカットに使うことにした。
「……ん?」
街路灯の明かりに照らされたベンチを見て、俺は足を止めた。
見知った顔があったからだ。
「
片足を抱えてベンチに座っていたのは、同じクラスの哀川
その哀川さんが声に気づいて顔を上げる。
「誰……?」
「あ、いや……」
つい言葉に詰まってしまった。
哀川さんは学校一の美少女だ。
黒髪ギャル――という感じの雰囲気だけど、基本的に誰ともつるまない。
艶やかな黒い髪は鎖骨ぐらいまでの長さのミディアムヘア。
学校指定のリボンはせず、青いネクタイを気だるげに緩くつけていて、白い胸元が見えそうになっている。
耳にはピアスやイヤーカフをしていて、こっちを振り向いた時にそれが街路灯できらりと光った。
そして何より特徴的なのは、氷の宝石のような透明感のある瞳。
学校一の美少女にそんな瞳で見つめられたら、俺みたいなモブ生徒は言葉に詰まってしまっても仕方がない。
「ええと、
「はるき……君?」
哀川さんは少し考えるように間を置いた。
まあね、すぐにピンと来なくても仕方ないよね。
教室でもろくに話したことないし。
正直、若干落ち込みつつ、俺は立ち尽くす。
するとようやく思い至ったらしく、哀川さんは「ああ……」とつぶやいた。
「あの、なんか無駄に明るい感じの名前の……」
「そうです。その春木
春木音也。
それが俺の名前だ。
『春』の『音』ってことで小学生の頃は友達からそれはもうからかわれた。2月や3月なんて廊下を歩いてるだけで『あ、春の足音がするぞー!』ってな具合である。
子供たちだけならともかく教師まで『そろそろ桜も咲くかねえ』なんて言ってたから始末が悪い。
まあ、この名前のおかげで哀川さんの記憶に引っ掛かってくれたのだから、悪いことばかりでもないのかもしれないけれど。
「その同じクラスの人が……あたしに何か用?」
「いや、用っていうか……」
すでに時刻は夜中に近い。
だというのに哀川さんは学校にいた時の制服姿のままだった。
多少は気になってしまう。
「家、帰らないの? 昼間と違って夜は少し冷えるし、その……」
「家ならもう帰った」
淡白な言葉だった。
「でも今、母親が男連れ込んでるから、家に居たくなくて出てきたの」
「あー……」
いきなりヘヴィな告白をされて、上手く返事が出来なかった。
けど、引いたわけじゃない。
……なるほど、哀川さん家ってそういう感じなのか。
俺も色々あって一人暮らしをしているので、変に親近感が湧いてしまった。
「ちなみに哀川さんのお父さんは?」
「知らない。あたしが中学の頃に女作って出てったっきりだから」
「ああ……」
これまたヘヴィだった。
二の句の継げない俺を見て、哀川さんはやや顔を伏せる。
「ごめんね。いきなり変なこと聞かせて……」
「や、聞いたのは俺だから、こっちこそごめん」
「…………」
「…………」
微妙な間が出来てしまった。
夜の公園に気まずい空気が流れ始める。
……やだな。
こういう空気、苦手だ。
間を保たせるために、俺は慌ててコンビニの袋をまさぐる。
「あのさ……これ、良かったらどうぞ」
差し出したのは缶コーヒー。
高2の男子には眠れなくなると分かっていても、缶コーヒーを飲みたくなる夜がやってくる。なのでカップ麺と一緒に買っておいたのだ。
目の前に差し出されたコーヒーを見て、哀川さんは何度か瞬きをした。
「えっと……くれるってこと?」
「温かいので」
いや『温かいので』ってなんだよ。
もうちょっと気の利いた言い方があるだろ。
軽く自己嫌悪。
しかし哀川さんは戸惑いつつも手を伸ばしてくれた。
「あ、ありがと?」
半疑問形なのは全力でスルー。
そうして缶コーヒーを手に取ると、「……あ」と哀川さんはつぶやいた。
「……本当だ。温かい」
氷の宝石のような瞳が小さく見開かれた。
缶コーヒーの温かさに少しだけ驚くように。
当たり前のことだけど、学校一の美少女である哀川さんの顔をこんなふうに真正面から見るのなんて初めてだ。
艶やかな黒髪が風に揺れ、きれいな顔が街路灯にスポットライトのように照らされている。
あまりに美人過ぎて、心臓が高鳴った。
やば、好きになりそう……っ。
しかしそんなことになったら一大事だ。俺のようなモブ生徒が哀川さんのことを好きになっても苦しいだけ、いわば地獄への片道切符である。
気の迷いを振り切るために俺は慌てて
「じゃ、じゃあまた明日学校で!」
背を向けてぎこちなく歩きだす。
すると背後から返事が聞こえてくる。
「あ、うん……」
それはどこか迷子の子供のようなか細い声だった。
「……またね」
その淋しそうな声に後ろ髪を引かれた。
もう夜中に近い時間。
街路灯しかない、暗めの公園。
こんなところに同級生の女子を独りで置いていっていいものか。
立ち去りかけていた足が止まる。
「……哀川さん、これからどうするの?」
「どうって?」
「独りじゃ危ないでしょ?」
「別に……そういうのどうでもいいし」
「どうでもいいって……」
「本当に」
哀川さんはまたベンチの上で膝を抱える。
「……どうでもいいの。どうせ母親は朝まで男を帰さないだろうし、あたしもこのままここにいる」
「いやそんな……」
正直、頭を抱えたくなった。
あと1時間や2時間ぐらいなら俺も一緒にここにいようかと思った。しかしさすがに朝までいたら哀川さんも俺も風邪をひいてしまう。
だったら、どうにか説得して駅前のネカフェかカラオケに……ああ、駄目だ。哀川さんは制服だから、この時間じゃ店には入れてもらえない。
参った……。
良いアイデアがない。
でも夜中の公園に女子を置いていくわけにはやっぱりいかない。
「ええと、あのさ……」
本当は一つだけアイデアがあった。
キモい奴だと思われるかもしれない。
下心のある奴だと思われるかもしれない。
けど、もう言うしかない。
「じゃあ、ウチに来る?」
「ウチって?」
真顔で問われ、冷や汗が噴き出た。
つい早口でしゃべってしまう。
「あ、つまり俺の家ってこと。ここから5分ぐらいのアパート。えっと、ちょっと事情があって、俺、一人暮らしなんだ。親とかいないから遠慮する必要ないし……あっ! もちろん変な気なんて一切ないし! 哀川さんさえ良ければなんだけど、ここよりは暖かいと思うから、だから……っ」
哀川さんは膝を抱えたままで俺の顔をじっと見ていた。
いや本当、焦ってまくし立てる俺の顔は滑稽そのものだろう。見世物として地方をまわれば、ちょっとした小金持ちにだってなれそうだ。
「ふーん……」
値踏みするような視線。
ますます冷や汗が止まらなくなる。
冷たい侮蔑が飛んでくるのかと思った。
しかしなぜか手の中の缶コーヒーを握り直し、哀川さんはぽつりとこぼす。
「温かいんだ……?」
「え、あ、うん」
「じゃあ……」
自分の膝に頬を乗せ、哀川さんは気だるげに微笑んだ。
「……お邪魔しよっかな?」
まさかのご招待が決定してしまった。
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