嘘のような関係

三鹿ショート

嘘のような関係

 友人が存在していない私でも、彼女がどれほど人気者であるのかを知っている。

 常に他者を安心させるような笑みを浮かべ、相手が誰であろうとも物腰の柔らかさに変化は無く、自身の高い能力を自慢することなく、それを他者のために使用することに抵抗は無い様子を見せている。

 私と彼女は月と鼈のようであり、同じ人間であることが申し訳なく思ってしまうほどだった。

 だからこそ、彼女に愛の告白をされた際には、即座に信ずることができなかったのである。

 己の頬を何度も平手で打ったが、痛みを感じていたことから、どうやら夢ではないらしい。

 改めて、彼女の様子を見つめる。

 目を閉じながら手を差し出している彼女の顔面は朱に染まり、触れれば火傷してしまうのではないかというほどだった。

 緊張によるものなのか、身体は震えている。

 しばらく彼女を見てから、私は周囲に目を向けた。

 見たところ、他の人間がこの場面を観察しているようではない。

 つまり、彼女は何者かの命令によって、私をからかっているわけではないということだ。

 だが、それはさらに私を混乱させることになった。

 私をからかうためではないのならば、私に対する彼女の好意が本物ということになる。

 しかし、私は恋心を抱かれるほどに立派な人間ではない。

 学業成績や身体能力は目も当てられないほどのものであり、不細工という言葉が可愛く感じられるほどに容姿は醜い。

 自信という言葉とは無縁であるために他者と真面に会話をすることもできず、目を見て話すことができる相手は、両親くらいのものだった。

 彼女には申し訳ないが、そのような人間に好意を抱くなど、正常な状態ではない。

 そもそも、私と恋人関係に至れば、彼女に対する他者の評価は、著しく低下することだろう。

 彼女がどれほど太陽のような存在だったとしても、私という人間が隣に立つだけで、その輝きは失われてしまう。

 既に底辺でうごうごしている私はともかく、私の存在によって彼女の評判が悪くなることは、避けなければならないのだ。

 順序立ててそれらのことを話したところ、彼女の顔から表情が消えた。

 そして、その双眸から、涙が流れた。

 私が驚くと同時に彼女はその場にへたり込むと、子どものように泣き始めた。

 状況的に、好ましくはない。

 まるで、私が彼女に対して何らかの悪事を働いた結果、彼女が泣いたように見えてしまうではないか。

 宥めようとするが、普段の姿からは想像することもできないほどに、彼女は聞く耳を持たなかった。

 しばらく閉口していたが、やがて私は、覚悟を決めることにした。

 私が彼女を受け入れると告げた瞬間、彼女は泣くことを止めた。

 あまりの変化の早さに嘘泣きだったのではないかと考えたが、彼女の腫れた目や流れた涙、そして鼻水から、本気だったことが分かった。

 私が手を差し出すと、彼女は常のような笑みを浮かべて、その手を掴んだ。


***


 交際の条件として彼女に伝えたのは、他者の目が無い場所でのみ、恋人らしく振る舞うということである。

 彼女が首を傾げたために、彼女の評判を守るためだと伝えると、

「誰がどのように思おうとも、私は気にしません。私は私ですから」

 その言葉に対して、わずかだが腹が立った。

 それは、自分に自信を持っているからこそ吐くことができる言葉である。

 私のような能力の低い人間が開き直ることとは異なり、悪評を打ち消すことができるほどの能力を有しているからこそ、平然と口にすることができるのだ。

 そして、このようなことを考えてしまうために、何時までも自分が成長しないのだということも、私は理解していた。


***


 学生という身分を失ってからも、彼女との関係は続いている。

 私は安い給料で扱き使われているが、彼女は誰もが知っているような有名な会社で働いていた。

 身の丈に合ったものであるために、彼女に嫉妬することはない。

 自分が惨めな存在であることは、昔から分かっていることである。

 だが、彼女が未だに私に対して好意を示していることは、理解することができなかった。

 それどころか、私との子どもまで望み始めたのである。

 最上と最低の間に誕生する子どもがどのような存在と化すのかは気になるところではあるが、子どもが成長したときのことを思うと、私は子どもを持つべきではなかった。

 私のような劣った存在は、人知れず世界から消えるべきなのだ。

 ゆえに、私は彼女からの好意を受け取りながらも、子どもについては、曖昧な返事をすることに終始した。

 それでも彼女が不満を口にすることはなかったのは、本人いわく、

「考えてみれば、あなたからの愛情が、子どもに奪われることを避けることができますから」

 やはり、私に対する彼女の好意については、理解することができなかった。


***


「誕生日を祝うために早く帰宅するとは、きみの夫が羨ましい。私の妻など、結婚記念日も忘れている。よほど、きみは夫のことを愛しているのだな」

「それほどではありません。ただ、そのように行動した方が良いと思ってのことです」

「どういう意味か」

「彼のような底辺の人間が存在するからこそ、我々のような人間の輝きが強くなるのです。彼を連れて街を歩けば、他者は私のことを、下手物でも愛情を注ぐ良い人間だと考えることでしょう。彼が共に歩くことを拒否しているために実行することは不可能ですが、無能である彼の隣に立つことができるのならば、私はそれで良いのです」

「趣味が悪いと言いたいところだが、この会社の人間は、いずれもきみのような人間ばかりだ。皆が皆、おおびらにしているわけではないがね」

「演技ができてこそ、良い人生を送ることができるのですよ」

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