第6話

「俺は……間違ってない」


そう自分に言い聞かせるように呟くと、中沢は静かに目を閉じた。そしてそのまましばらくじっとしていたがやがてゆっくりと立ち上がり歩き出す─。


中沢が店を出て行ってから数時間後のバーの店内は、静寂に包まれていた。それもそのはずだろう、今は深夜1時を過ぎているしそもそもこの店を訪れる客自体が少ないのだから仕方がないのだが。そんな中、バーテンダーである男は一人ため息を吐いた。どうやら仕事終わりに友人と話し込んでしまいこんな時間になってしまっていたらしい。


「…もうこんな時間か、そろそろ帰らないとな」


そう呟いて椅子から立ち上がった時だった。カラン、というドアのベルの音と共に誰か入ってきたようだ。バーテンダーはドアの方へと視線を向けるが逆光で顔がよく見えない。しかしシルエットからして男性である事は分かったので気にせずに声をかけようとしたのだが─


「あの…」


「あ……はい!いらっしゃいませ!」


突然声をかけられ思わず声が上ずってしまったが、気を取り直して客の方へ向き直る。そして改めてその客の顔を見た瞬間、バーテンダーは驚いた。酷い火傷跡を背負い、痛ましく包帯を至る所に巻いた不気味な見た目のソレは、じっとバーテンダーを見つめ返す。

「ご注文は何になさいますか?」


バーテンダーがそう尋ねると、男はボソリと呟いた。


「ジントニックを」


「……はい?すみませんもう一度お願いします」


聞き間違いだろうかと思い聞き返すバーテンダーだったが、次の瞬間再び口を開く男によって遮られた。そして今度はハッキリとした口調で言い放つ。

「ジントニックを頼む」─と。


それを聞いてバーテンダーは驚くと同時に納得したような顔を見せた後、深々と頭を下げて言った。


「ああ…一瞬誰だか分かりませんでした。お久しぶりですね、服部様」


その言葉に男はニヤリと口元を歪ませると、カウンター席についた。

「相変わらずだね」


─そう言ってバーテンダーはグラスを拭く作業に戻ったのだが、ふと思い出したかのように顔を上げて言った。


「貴方が、今日最後のお客様です。丁度店仕舞いするとこでしたから。」


それを聞いた服部と呼ばれた男は僅かに目を見開く。そして少し考えるような素振りを見せた後、静かに口を開いた─。


「…そうか」


それだけ言うと再び沈黙が訪れた。しかしそれは先程までのような重いものではなくどこか穏やかな空気を感じる。


「上手くいくはずの人生が、あっという間に劫火に飲み込まれてしまったよ。」


服部は、火傷の影響で声帯が壊れてしまったのか嗄れ声で手を見つめ、そしてこちらを見た。その目は何かを訴えかけるようでいて同時に諦めにも似た何かを孕んでいるように思えるだろう。


「僕自身……もう終わりかもしれない」


服部はそう言うと静かに目を伏せた。その様子はまるで懺悔をしているかのようでもあり、どこか悲壮感を漂わせているようにも見える。しかしそんな彼に対しバーテンダーは優しく微笑んだまま言った。


「でも、まだ生きているじゃないですか。」


その言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべた後、再び手を見つめた後に小さく笑った。まるで自嘲するかのように─。


「…この醜い姿になってから、思うよ。野次馬も、仲間達も結局のところ…僕の、考える案じゃなくて僕の”顔”が好きだっただけなんだ。」


服部は自嘲するような笑みを浮かべて、話を続けた。その顔には諦めと自嘲が入り混じっているように見える。まるで全てを諦めたような目だった。しかしその瞳の奥にある確かな光は一体なんなのだろう? そんなことを考えていた時だった─。


「そういえば……以前このバーで中沢という方と会いましたが」


突然バーテンダーがそんなことを言い出したので、服部は思わず顔を上げた。そして不思議そうに首を傾げる男にバーテンダーは続けるように言う。


「あの人に会ってみるのは、どうでしょう?」


その一言に男は一瞬驚いた。


「…ああ、何となく耳に挟んでいるから彼の事は知ってる…でも、中々出会えないんだろう?」


「ええ、まあ……彼は裏社会に身を置く人間ですからあまり表立って会うことは出来ません。ですが…私の知り合いにいますし紹介状くらい書けますよ?」


そう言って笑うバーテンダー。しかし服部の表情は晴れない。むしろどこか不安げな表情を浮かべているようにすら見える。まるで何かを迷っているかのような─そんな様子に気づいたのかバーテンダーは首を傾げた。


「……何か問題でも?」


そう問われ服部は一瞬言葉に詰まるもののすぐに首を横に振った。そして再び口を開くとゆっくりと話し出した。


「…いや、いいんだ。是非とも、頼みたいね」


男がそう言うとバーテンダーは再び笑顔を浮かべる。そして改めてグラスに氷を入れ始めるのだった─。


「じゃあまた今度、折り入って連絡を入れますね」

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