第4話

中沢は、バーの駐車場に車を停めると助手席から黒革の鞄を取り出し車を出た。そしてドアを閉めてから空を見上げる。曇天模様で、今にも降りだしそうだ。しかし彼はそんなことを気にすることもなく、足早に店内へと入る。


そこは薄暗く、どこか怪しげな雰囲気を漂わせている場所だった。しかし店内はそれなりに賑わっているようで、席はほとんどが埋まっている。そんな中、一際目立つ男が一人、カウンター席に座っていた。彼は黒いスーツを身に纏い、その長い足を見せつけるかのように足を組む。中々に顔立ちも端正で、銀縁眼鏡を掛けている。その隣には、白シャツに黒いベストを着用したバーテンダーの男が一人。彼はそんな男に苦い顔をしつつ言葉を掛けた。店内にはジャズが流れており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。カウンター席では数人の客が静かに酒を煽っていた。中沢はその一番端の席に座るとバーテンダーに注文をする。


「グレンドロナック、15年のでお願いします」

「かしこまりました」

そう言ってバーテンダーはグラスを用意する。中沢が店内を見渡すと、あちこちで怪しげな取引が行われているようだった。ここだけ見ると、とても裏社会の人間が出入りする場所には見えないだろう。しかし彼は知っているのだ。このバーの地下では政治家や官僚達が情報交換に使用している事を。そしてその中には勿論、今回のような『依頼』をこなす人間も存在しているという事も─。


カラン、と丸い氷と共にショットグラスに入れられた琥珀の液体をちびちびと味わいながら中沢はぼうっとしていた。幸い、彼に声を掛けてくるような人がいないのだけが救いだろう。


一方、中沢の座っている席の反対側に座る眼鏡の男がバーテンダーと何やら談話をしていた。バーテンダーの苦言など気にも留める様子もなく、男は手にしていたグラスを口に運ぶ。そして中沢は、チラリと横目で彼を見た。端正な顔立ちに切れ長の瞳。一見するとクールな雰囲気を漂わせてはいるが、どこか軽んじられたような印象を受けるのはやはりその眼鏡のせいだろうか? しかしそんな男でも裏では政治家を失脚させようとする輩が後を絶たないらしい。まあ……それはそうだろう。この世の中、金と権力を持った人間が一番偉いのだから。


「お待たせしました」


そんな事を考えつつ、頬杖を付きながら届いたグレンドロナックを煽りながら目を瞑った、次の瞬間。


「あんた、チャコールグレイのスーツの男を知っているか?」



「知りませんね、その人がどうかしたんです?」


そして男はグラスをカウンターに置くと、再び口を開いた。


「まあ、知らないのも無理はないな。何せあいつは裏の世界じゃ有名人だ。」


「どんな?」


「何でも、金を貰えば政治家だろうが一般人だろうが手を出す野郎らしい。イカレると思わねーか?」


そう言って男はグラスを口に運んだ。どうやらもう既にかなり飲んでいるようだ。中沢はチラリと横目で男を見た後、再び目を瞑った─。


「名前は確か中沢──」


男はそういうと再びグラスをカウンターに置いたと思いきやそしてまたを手に持ちゆっくりと口へと運ぶ。その口元には笑みが浮かび、まるで笑いが堪えきれないのを耐えている様にも解釈できる絶妙なラインだ。


「─中沢勇一郎。」


「…は?」


思わず声に出してしまったことに驚きつつも、その男を見つめたまま固まる中沢。男はニヤリと笑うと言った。


「久しぶりだなぁ?中沢!」


「お前…ッ」


中沢は目を見開くと、椅子から立ち上がり一歩後ろへ後ずさる。そして眉間にシワを寄せたまま男を凝視した。その目はまるで信じられないものを見たかのように動揺しているように見える。そんな様子に気が付いたのかバーテンダーが心配そうに声を掛けるが彼はそれを手で静止する。


「にしてもよォ、アンタ随分派手にやったよなぁ!見たよ、あの”ニュース”!」


「ああ、そうだな。それがどうした」


地が震えるような低い声で、中沢は男へ威圧する。しかし、男はそれを気にすることなくグラスをカウンターに置いた。


「おいおい、そう怖い顔すんなって!別に俺はアンタと喧嘩したいわけじゃないんだ。」


「…じゃあ何で、急に俺の名を?」


中沢が尋ねると男はニヤリと笑い、言った。


「いや?ただ単に”挨拶”だよ。これからよろしくって意味を込めてな!」


そう言って男は再び酒を煽ると立ち上がった。そして中沢の肩をポンっと叩くと耳元で囁くように言ったのだ。


「なあ!どうやってあんな事したんだ?教えてくれよォ?都心爆破陰謀事件の首謀者サン?」


中沢は心底嫌そうな顔で、腰元に手を掛ける。しかし、ここで騒ぎを起こすわけにも行かないと考え直した。何故ならここはあの”裏社会”の人間が集まるバーだ。下手に暴れれば…どうなるかわかったもんじゃない。


「ああ、そう警戒すんなって!俺はアンタに興味があるんだよォ!」


そう言って男はグラスを再び手に取ると一気に煽る。そしてもう一杯同じものを注文すると彼は中沢に向き直り、臆することなく言ってみせた。


「なあ?この世界、割とアンタを憎んでる奴多いの知ってるよね?」


「それがどうした。」


中沢は、憮然とした態度で返す。すると男はクックッと笑いながら言った。


「いやぁ……特に意味はないけどさぁ?ただ単純に疑問だったんだよねぇ!なんでアンタみたいなやつがあんな事したのかなってさ!」


男は再びグラスを煽ると、笑みを浮かべたまま言葉を続ける。


「まあ、それはいいや。だけどよ、これからも続くぜ?」


「……どういう意味だ」


中沢が聞き返すと男はニヤリと笑い言った。


「一度、政界に手を出した裏の人間は地獄に、落ちるってな─!」

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