第2話

翌日、午前10時。

服部は、選挙事務所に一人いた。今日は選挙戦初日ということもあり、朝から多くの報道陣が事務所を取り囲んでいるため、気が気ではない。だが、そんな状況でも服部の頭の中は、昨日のあの出来事でいっぱいだ。


『明日、午後3時、選投票日当日、選挙事務所でお待ちしております』


そんな手紙が昨日、自宅のポストに入っていたのだ。差出人の名前はなく、ただそう書かれた紙が同封されていただけだった。


「まさか…?いやいや、この国で妨害など起こるわけがない。まして、僕の所にそんなことを送ってくる奴が、イカれている」


薄気味悪さゆえか、紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へと投げ捨てる服部は、そう自分に言い聞かせる。だが、服部の脳裏には、昨日のあの光景が焼き付いて離れないでいたのだった。


”選挙事務所でお待ちしております”


「いいや、まさかな…そんなことはないだろう」


服部は、再びその紙を広げて読み返した後、ゴミ箱へと投げ捨てた。そしてそのまま椅子に座ると、机の上に置かれた資料を一枚ずつめくり始めた。


「さて…今日は忙しくなるぞ…!」


そう呟くと服部は、机に置かれたコーヒーを口に含む。そんな恐ろしい出来事など忘れて、今は目の前の事だけを考えよう。


そう自分に言い聞かせ、服部は仕事をこなしていった。


◆◆◆


「おかしいなあ…」


時刻は午後3時10分過ぎ。選挙事務所を取り囲んだ報道陣や野次馬の数は減ってきたものの、まだまだ選挙の行方を見守るべく集まっている人は多い。そんな中、選挙カーの点検をしていた陣営スタッフの佐々木が突然そんな言葉を口にした。


「おかしいって……何が?」


そんな唐突な疑問に答えたのは彼の後輩である杉野だった。彼は不思議そうに首を傾げながら佐々木に尋ねる。


「いや…車の周りが妙に匂うな、って思って近づいたらガソリン撒かれてたんですよ。嫌がらせですかね?」


「なっ……!?」

突然の事だったのか、佐々木は驚きのあまり言葉を失う。だがすぐに我に返り、辺りを見渡した。そしてガソリンを撒いたと思われる人物を探していると、後輩の杉野が声を上げる。


「あっ!あいつかもしれないです!!」


彼はそう言うと指さした先には一人の男性が立っていた。目深にフードを被っている猫背気味の男は、選挙事務所から少し離れた場所にいるためかこちらには気づいていないようだ。二人は顔を見合わせると、急いでその男の元へと駆けだしていく。


「おい!お前!」


そう、声を大きく張り上げた次の瞬間だった。


ドガァーン!!!!!


激しい爆破音と共に、選挙カーが一瞬にして炎に巻き込まれていた。


「う、うわあああああああああ!!!」


周りにいた野次馬は一斉に悲鳴を上げて、その場から逃げようとする。だが、その行動を予測していたかのように男はニヤリと笑みを浮かべたまま迫りくる群衆に襲い掛かる。彼は懐からサバイバルナイフを取り出すと無我夢中で逃げる彼らを嘲るかの様にナイフを突きつけながら、炎の方向へと突飛ばしていくのだ。


「な、何してるんだ!?やめろ!!」


突然の出来事に頭が追い付かないスタッフの二人は慌てて止めようとするが、どんどん辺りへ燃え移っていく甚大な炎の飲み込まれてしまう。やがて、その炎は人に移り肉の焼けるような鼻腔をつく嫌な臭いを漂わせ始めてまるで、一瞬にして平和な場所が戦場に様変わりしたような感覚が広がっていく。


「早く、消防車を……!」


そう言いかけた瞬間だった。彼らの目の前には炎に包まれつつもナイフを握り締めた男が立っていたのだ。その目は血走り、まるで狂気に取りつかれているかのようにも見える。男はゆっくりとスタッフ二人の元に歩み寄ると、サバイバルナイフを振りかざしてきた。


『選挙事務所でお待ちしております』


ふと、服部の脳裏に昨日のあの言葉が過る。まさか……そんなはずはない!そう思いながらも、目の前の現実を受け入れざるを得ない状況に陥らざるを得なかった─。


◆◆◆


一方その頃、中沢はとあるビルの屋上に立っていた。そこは人一人がようやく通れるかという細い鉄柵で囲われている。そんな屋上の端で、柵に肘を置き片手に紙を握りながら葉巻を燻らせていた。中沢の視線の先には大きな後ろのビルにテレビ局の社旗が掲げられている。しばらくすると、車の流れがピタリと止まった。そして耳障りなマイク越しの女性アナウンサーの音声が聞こえてくる。


『昨日行われた選挙の結果ですが、服部慎一郎は5期目の当選を果たしました』


中沢は、フンッと鼻で笑って携帯を取り出し時刻を確認する。時刻は午後3時5分を回っていた。予定より少々遅れ気味である。中沢はその声を聞き流しながら、柵に預けていた体を起こした。そして咥えていた葉巻を指先で持ちながら口を開いた。一瞬の静寂の後、中沢の口から葉巻が飛び出たかと思うとそれは吸い込まれるように選挙カーへと向かい、秒速で─。


突然、ゴウン、と爆発音が轟いた。そして続けて二回、三回と続く。


「上手く行ったな」


中沢は耳にはめていた通信機器に手をやると、静かに口を開いた。


「…これでよかったのか?」


____ああ、これでいいんだ。流石だ。仕事が早くて助かるよ。


「まあ、報酬がかなり弾んだからな。だが、次はないぜ。今度会う時覚えてろよ」


____すまないね、今度ちゃんと会ったらお酒でもおごるよ。


そして通信が切れたのか、イヤホンからはツーっという音だけが残る。それと同時に緊急速報と言わんばかりに女性アナウンサーが叫ぶ声が外から聞こえてくる。


─速報です!何者かにより、服部慎一郎氏の選挙事務所が爆破されました!現場は騒然としております!



中沢は、そう言い放つ女性アナウンサーの顔を浮かべながらフッと笑みを漏らすと屋上を後にしたあと、中沢は服部の選挙事務所があるビルに隣接している公園のベンチで待機して、その時を今か今かと待ちわびていた。予定通りなら今頃、組の構成員の男が仕掛けたガソリンと自身が投げ捨てた煙草の不始末火によってあの事務所は跡形もなく燃え盛り、消え去っているはずだ。


「そろそろか…」


腕時計を見ながら呟くと、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。どうやら警察が現場に到着したらしい。少なからずとも明日は、この光景がメディアによって大々的に報道され、持ち切りになるだろう。しかし、中沢にとってソレに興味はない。そもそも、政治という概念にも興味がない。そんな光景はやがて風に流されて、音もなく消える。中沢は、ベンチから立ち上がると現場を見渡せる場所まで移動する。既に多くの報道陣や野次馬がその場所を陣取っており、服部の安否を気遣ってか、警察への不満の声が飛び交っていた。中沢は携帯を取り出し、ある人物に電話を掛けるとすぐにその相手が出た。


「もしもし」


____ああ、俺だ。今着いたよ。


「了解。それじゃあ、手筈通り後処理頼むわ。」


そして通話を切ると、何もなかったかの様に皆とは違う逆の方向へと足を進めるのだった─。


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