巡りあう
とがわ
巡りあう
ハナが誘拐されそうになったの、と凛々子ちゃんが言った。私は一時間目に提出の数学の宿題を進めながら聞いていた。
「実はね、昨日帰ってきたらハナを繋いでる鎖が切れてたの!」
ハナとは、凛々子ちゃんちが飼っているゴールデンレトリバーだ。
「切れちゃったんじゃなくて?」
「うん。綺麗にすぱって! 誰の仕業かはわかんないんだけど」
凛々子ちゃんの様子から本当に犯人がわかってないのだと確信を持って、私は安堵した。
「でもね、鎖が切れてたのにハナはずっとそこにいたの! ハナは良い子だから」
「ハナちゃんたしかに頭いいよね」
「そうなの! 言葉わかってるんじゃないかってくらい。夕子もハナに会いたいでしょ」
ハナと初めて会ったのは中一の頃だった。中学に入学して最初に遊んだ凛々子ちゃんの家にハナがいた。家に遊びに行ってハナを初めて見た時、私はこの子と前世で出逢っていると全身が言った。もういちど逢うために生まれてきたのだと知った。大袈裟ではない。
「……そうだねぇ」
「にしても夕子が宿題忘れるなんて珍しいね。みせたげる」
前日は忙しくてやってる暇がなかったのだ。
「いいの?」
「友だち特権ってやつよ」
昨日は祝日で、前々から凛々子ちゃんは母親と出かけるのだと聞いていた。犬の入れない場所に行く時は誰かしら家に残りその日も父親が家にいる予定だったらしいのだが、二日前になって急遽泊まり出張が入り、仕方なくハナは独り留守番となったと聞いてから私の計画は始まった。こんな機会は初めてだった。今しかないのだと思った。凛々子ちゃんがどこにいくのか、さも凛々子ちゃんに興味があるように振る舞ってききだし、何時までに戻ればいいかだけは念入りに調整した。
当日になって凛々子ちゃんちの傍の公園の草木に隠れて二人が出て行くのを確認してから家の庭に回った。庭にはのんびりと伏せをして私を待つハナの姿があった。ハナの名を呼ぶとハナは尻尾を振って私を歓迎した。久しぶりの再会に私は涙ぐんだ。
「やっとこの日がきたね……!」
ハナも立ち上がって、私たちは熱い抱擁を交わした。本当はもっと感動の再会を噛みしめていたかったのだが如何せん私たちに与えられた時間は少なかった。トートバッグからチェーンカッターを取り出して、ハナとこの家を強制的に繋いでいる細いチェーンをぶった切った。
ハナは震えることも威嚇することもなくごく自然と私の隣を歩いた。首輪もリードもいらない。私たちは互いに見えない糸で繋がっていた。その距離はどこから見ても友だちそのもので、だから仲良しな犬と飼い主に違いないと誰もが信じ込んで私がチェーンを切った犯人としてあがることはなかった。
一緒にでかけた先は三キロ先にある海だった。遠くにいけなくたってよかった。ハナと一緒にいられるのならどこだって幸せだと思えたから。
「あら、かわいいわんちゃんね」
海につくと腰を曲げながら砂浜を歩くおばあちゃんに声をかけられた。
「ハナっていうんです」
私はハナと同じ視線になって抱きつきながら言った。おばあちゃんに、私とハナが一緒にいるこのときを刻んでもらいたいと思った。周りからは理解されがたい関係でも確かに前世で親友だった私たちなのだ。
「ねぇあなた、もしかしてユウコちゃん?」
どきりとした。もしこのおばあちゃんが私の遠い親戚とかなんかで私に飼っている犬がいないと知れたら色々と面倒だ。違います、といってそそくさと逃げようとしたのだが、おばあちゃんは「そんなわけないわよね」と笑った。
「ごめんなさい。ユウコちゃんはあたしの小さい頃のおともだちなの。あなたがあまりに似てるからそうかとおもっちゃったけど、そんなのあり得ないわよね」
あり得ない、という言葉に私はもやもやした。ハナとは心で繋がっているのにそれを他人に言えばあり得ないと笑われる。私たちは真剣なのにだ。
「私はユウコよ。再会できてうれしいわ」
私はそう答えた。おばあちゃんは「やっぱり!」と乾いた手のひらを合わせて嬉しそうに昔話を始めた。
私たちは陽が落ちるまで一匹と二人で歪んだ影を砂浜に落としながら一緒にいた。
後日、凛々子ちゃんの家には防犯カメラが設置されハナとのお出かけの二度目は永遠に失われた。おばあちゃんもあの海にもう一度現れることはなかった。
巡りあう とがわ @togawa_sora
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