第8話 美香との対決
理恵が木村と過ごした週末の穏やかな時間から数日が経った。彼との関係はゆっくりと進展しているように思えたが、心の奥にはまだ不安があった。それは木村が「過去を整理する」と言った言葉の裏にある、彼の元妻・美香の存在が大きく影を落としているからだった。
そんなある日、理恵のスマートフォンに一通のメッセージが届いた。それは、木村ではなく、美香からだった。
「理恵さん、話がしたい。今日、六本松のカフェで会えませんか?」
突然の連絡に、理恵は驚きを隠せなかった。美香とは一度も直接会ったことがないし、二人の間に何か特別な関係があるわけでもなかった。それでも、美香からのメッセージには強い意図が感じられ、理恵は避けることはできないと直感的に感じた。
「分かりました、今日伺います」
そう返信を打った後、理恵は深く息を吐き、これから何が待っているのか想像しながらカフェに向かう準備を始めた。
カフェに着くと、すでに美香は待っていた。彼女は落ち着いた様子で、カフェの一番奥の席に座っていた。理恵が近づくと、彼女は軽く微笑んで席を勧めた。
「理恵さん、わざわざ来てくれてありがとう。突然のお誘いでごめんなさいね」
美香の口調は丁寧だったが、その背後には冷たさが感じられた。理恵は微笑みながらも、心の中で警戒心を高めていた。
「いえ、こちらこそお呼びいただいて……お話って、何かしら?」
理恵がそう尋ねると、美香は一瞬黙った後、静かに切り出した。
「実はね、木村さんと私、少し前に話をしたの。彼が、まだ私に未練があるんじゃないかって思って」
その言葉を聞いた瞬間、理恵の心臓が大きく跳ねた。木村がまだ美香に未練を抱いているかもしれないという可能性は、理恵にとって一番聞きたくない言葉だった。しかし、彼女は冷静さを保ち、相手の言葉を待つことにした。
「でも、木村くんはもうあなたとの関係に戻るつもりはないって言ってました。それで、私たちは……」
理恵が言い終わる前に、美香が手を挙げて制した。
「分かってるわ。でも、理恵さん。あなたに考えてほしいの。木村さんは今、混乱してるだけ。私たちには10年の結婚生活があったの。そんな簡単に全てが終わるわけじゃない」
美香の目は、真っ直ぐに理恵を見据えていた。そこには、自信とプライドが混ざり合った強い意思が感じられた。彼女がまだ木村との関係を諦めていないことは明らかだった。
「私は、彼ともう一度やり直したいの。彼にはその価値がある。だから、あなたにはどうか身を引いてほしい」
美香の言葉は理恵にとって衝撃的だった。彼女は自分が木村に対してどれだけ深い感情を抱いているのか、ここで突きつけられたような気がした。だが、同時に、理恵は木村との時間を思い出し、彼が何度も「過去には戻らない」と誓った言葉を信じていた。
理恵は深呼吸をし、落ち着いた声で答えた。
「美香さん、あなたの気持ちは理解できるわ。でも、木村くんが私に何度も言ってくれたのは、『過去には戻らない』ということよ。彼が選ぶのは、あなたでも私でもなく、彼自身の未来だと思う。だから、私は彼の選択を尊重するわ」
その言葉に、美香の顔に一瞬、動揺が走った。だが、すぐに彼女は表情を引き締め、強い口調で言い返した。
「あなたには分からない。私たちが一緒に過ごした時間の重みなんて、あなたには想像できないわ。彼が今、揺れているのは私との絆がまだ残っているからよ」
理恵はその言葉に一瞬迷った。確かに、美香と木村には長い歴史がある。それは理恵が介入できるようなものではないかもしれない。しかし、彼女は木村の真摯な言葉と、その瞳の奥にある決意を信じていた。
「あなたの言うことも、確かに正しいかもしれないわ。でも、私は木村くんのことを信じているの。彼が過去の自分に決別し、新しい未来を選びたいと決断したのなら、私はそれを支えるつもりよ」
理恵の言葉に、美香は再び静かに黙り込んだ。彼女の瞳には、葛藤が見え隠れしていた。長い沈黙の後、美香は深く息を吐き、視線を外した。
「理恵さん、あなたは本当に強いのね。私も、かつてはそうやって彼を支えようと思ってた。でも、結局は私たちの関係は壊れてしまったの」
彼女の声には、かつての強さが少しだけ失われていた。理恵は、美香が本当は深く傷ついていることに気づいた。彼女もまた、木村との関係が崩れたことに苦しんでいたのだ。
「私も、あなたと同じように彼を愛していた。でも、それでもうまくいかなかった。それでも、もう一度やり直せると思ったけど……彼が本当に私を選ばないなら、仕方ないわね」
美香はそう言って立ち上がり、カフェの外に向かって歩き出した。彼女の後ろ姿には、かつての強さが少しだけ欠けていた。
理恵はその姿を見送りながら、心の中で木村のことを思っていた。彼が美香との過去を乗り越え、未来を選ぶ決意をしてくれることを信じていたが、同時に美香が抱える苦しみも理解できる。二人の間で揺れ動く木村を支えるために、理恵は自分ができることは何かを考え続けていた。
帰り道、理恵は木村にメッセージを送るべきか迷ったが、結局は送らないことにした。彼が自分自身の問題に向き合う時間を与えるべきだと感じたのだ。
「私も、信じるしかないわね」
そう呟きながら、理恵は心の中で木村との未来に希望を抱いていた。彼が過去を乗り越え、再び自分に向かって歩いてきてくれることを信じて。
【完結】48歳からのラブストーリー 湊 マチ @minatomachi
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