五章

33. リクイは十五歳

 その年、リクイは十五歳になった。

 十三歳の時、兄との別れがあまりに寂しくて夜を越せないと思った日から、リクイは強くなっていった。

 あの日、寂しいと思った景色も、空しいと思った部屋も、今では景気が寂しいから寂しいのではなく、空しく見えるから空しいのではなく、心の色が映っているからだと知った。


 アレルギーになり、その後でサララの実家に行き楽しい時間を過ごして町から帰った数日後、ハブーブ《砂嵐》が吹いた。砂嵐は三日三晩続いたけれど、リクイは毛布にくるまりながら、サララの言ったことを考えた。

 

 サララはキャラバンサライ(砂漠にある商人や巡礼者が泊る宿)に出かけ、そこでキャラバン隊を待ち、道案内として雇ってもらうのだ。行ったすぐに仕事が見つかることもあれば、二週間待っても仕事が取れないこともある。

 もし宿の誰かに伝書鳩を預けておいて連絡を頼むことができれば、サララはキャラバン隊が着いたという知らせが届いてから出かけることができる。そうすれば、時間の無駄がなくなる。


リクイはハブーブが終わるとすぐに、村の市場に出かけた。マーケットの端に、ひどい臭いのする店があり、その檻にはたくさんの鳩が買われていることを覚えていた。鳩のつがいを買って訓練したいところだけれど、リクイにはお金がない。そこで、店の主人に檻の掃除係として雇ってくれないかと頼んでみたら、人手が足りなくて糞処理に困っていた主人はあっさりと雇ってくれた。リクイは一日に一度、時には二度、掃除に行くことになった。


リクイは鳥の糞を回収して、それで土作りをし、野菜の種を撒いた。糞を肥料とした野菜は甘く、市場でよく売れた。その儲けで鳩のつがいを手にいれ、伝書鳩の訓練を始めた。少しずつ、飛んで帰って来る距離を増やしていくのだ。夜には蔦を編んで、鳥かごを作った。

 人はいったんやる気のエンジンがかかると、一日が飛んでいく。

 リクイは時間を見つけると、爺さま残してくれた本を読んだ。鳥、薬草、歴史の本など、手当たり次第に読んだ。たとえ理解できなくても、何度も読むとじわじわとわかってくる楽しみを知った。


 春の祭りが近づいてきた。砂漠というところは。夏は髪が変色するほどの灼熱だが、冬はまつ毛が凍えるほど寒い。しかし、春の二ヵ月ほどは、暑くも寒くもない快適な気候になるのだ。人々はその季節が来るのを楽しみにしている。


砂漠の民ベドウィンの出身の中には町に移り住んで商売で大成功した人がいるが、時に彼らは砂が恋しくなるのだ。四方を海に囲まれた国の人が、ふと海を見たくなるように。砂漠は清潔で美しく、エネルギーを与えてくれる。砂漠の国のある王が、疲れを感じると砂漠に来て休養するという話は知られている。

 

J国の元ベドウィン達は、春になると砂漠に大きなテントを張らせ、休暇を取る。といっても、一度着いた贅沢癖は取れないので、料理人をはじめ、召使を連れ、寝台などの家具も運ばせるから、そういう意味では町での暮らしとはささほど変わらないのだが。

 彼らは砂漠に来ると鷹狩、蒸し風呂などを楽しむ。中でも一番楽しみにしているのがラクダ競争で、もちろん、彼らは賭ける。町の金持ちが相当な大金を落としていくから、村にとっては最大の稼ぎ時なのである。

 

 そのラクダ競争の日こそ、サララが輝く日なのだ。

 サララはすでにキャラバンの仕事を休み、本格的な練習を始めている。今年はなんでも特別なラクダがエントリーされていると聞いている。そのラクダは「旋風」という名前で、乗り手は「三日月みかづき」、その素性は明かされてはいないが、相当な乗り手らしい。


 その噂が飛び散って大きくなり、人々はその話で持ち切りだ。

 サララはただ今五連勝中で、自分に勝てる相手がいるとは考えられないが、ついに負ける日がきたのかもしれないという思いも心の底にあり、例年以上の練習を重ねている。

 そんなある日、リクイがサララの家にやって来た。


「サララ姉さん、マッサージをしにきました」

「あんた、ばっかじゃないの」

  とサララが例の調子で言った。


「サララ、姉さん、また言葉がきついですよ」

「医者でもない男に、身体をさわらせるわけがない」

「ぼく、男ですか。弟でしょう」

「いやだ」

「ぼくは本でたくさん勉強したんです。ぼくはそちらの足をマッサージしてあげたい」

 とリクイが右足を指さした。


「こっちの足は動かないんだよ。何の役にもたたない。マッサージをするのなら、左のほうだろう」

「ぼくはサララ姉さんの身体の要は、その右足だと思っています」


 サララはぎくりとした。

 実はサララの中では右足が「神」なのだ。右足は何もしないし何もできず、他の身体の部分が懸命に働いている。しかし右足がつむじを曲げて痛みが生じたら、身体中が動かなくなる。そこには理屈とか、平等は通用しないのだ。


 リクイは最近、サララの歩き方が以前と少し違うことに気がついた。そのことについて調べてみると、右足に原因があることを突き止めたのだ。右足が凝りすぎているから、他の部分がそれをかばおうとして無理が出てしまっている。

「ものはためし」

 とサララが椅子に座った。


「ジェッタからの手紙は届いた?」

「ないです」

「本当に、あいつときたら、何をやっているんだろうか」

「兄さんはきっと書いてくれています。何かの事情で届いていないんです」

「そうだね。よっぽどの僻地に行かされたんだ」


「ここのところ、すごく凝っています。そのせいで、身体のバランスが崩れているんです」

「そういうことか」

 なるほどとサララは思った。マッサージは気持ちがいい。


「あれ、どう思う?」

 サララは壁にかかったピンク色の服を指さした。

「大会のために、母さんが縫って、タンタンが刺繍をしてくれた。あの子は注文がたくさんはいって忙しいというのに」

「きれいです。サララ姉さんはこんな色、着たことないですよね」

「ない。あんな女子っぽい色なんか、いやだって言ったんだ」

「姉さんは女子ですよ」

「私は色が黒いから、あんな色は似合わないんだ」

「絶対に、似合いますよ」

「それがさ」

 とサララが額の髪をかきあげた。


「この服を取りに行った時、出来上がったばかりの服がかかっていた。白い上着にに、紫色のズボン。裾には星のように銀色の刺繍がされていて、風になびくと裾が割れて、裏地の紫が見えるようになっている」

「手が込んでいますね」

「高貴な婦人の注文らしいけど、これは三日月が着るのではないかと思うんだ」

「旋風の乗り手ですよね。誰ですか、その人は」

「わからない。一度、旋風の走りとやらを見たいものだ」

 サララの身体に力がはいって、固くなった。今年のサララは自信がないらしい。


「サララ姉さん、杞人憂天きじんゆうてんって知っていますか」

「なに、それ。誰かが店を出したのかい」

「心配するなという意味ですよ。サララ姉さんが勝ちます」

「そうなら、そう言えばいいのに。あんたは会うたびになさっている利口になっているから、いやだ」

「どうしてですか。ぼくは少しでも多くのことを知りたいと思って勉強しているんです。サララ姉さんの役にも立ちたいし」

「勉強するのはいいことだ。たしかに、リキタは運動系じゃないけど、勉強には向いている。まっ、人はそれぞれだ。そうだ、リキタはマッサージ師になればいい。もうかりそうだ」

 これがサララ姉さんの精一杯の誉め言葉だとリクイは知っている。


           

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