第2話

「寧々」


名前を呼ばれた瞬間、ぶるっと身体が震えた。


機械を通さず直接鼓膜を震わせるこの声を聞くのは、どの位ぶりだろう。


穏やかで、柔らかみのあるテノール。


「……比呂」


窓際の席に座って私に手を振る人の名を口の中で呟くように声にした。


しばらく見ない間に随分と様変わりしたものだと、正直驚いた。


私の知る比呂は、理容室に行く時間すら惜しいと伸び放題だった髪を後ろで縛って、ヨレヨレのTシャツとビンテージのジーンズがいつものスタイルで、スーツ姿なんて成人式以来見たことがなかった。


今は短く切りそろえられた髪と、どこぞのエリートかと見まごう、ブランドもののスーツを着こなしている。


あ。


落ち着いた色合いのブルーのネクタイに目をとめた。


まだ、持っていてくれてたんだ。


微妙に擽ったい気持ちが心の端っこに生まれた。


でも逆に『どうして?』とも思う。


付き合っていた相手への、最後の思いやりのつもりなんだろうか?


……分かってる。


もう何ヶ月も会わなかった私を、比呂がわざわざ此処に呼び出した理由。


比呂の友人から聞いた。


比呂が、渡米するって事。


私には分からない研究をずっと大学の研究室で続けていた比呂は、その道の権威と言われる教授に誘われて渡米するのだと。


そんな大事なことすら人伝にしか聞かされない私は、比呂にとってはとても軽い存在で、同じ大学の同じサークルにいた見たことのある人位の位置まで落ちているのかもしれないと、薄々は感じていた。

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