第4話

「……気に入らないわ」


 気分じゃないからと妃教育のサボタージュを決め込んで、贔屓にしている仕立て屋に来ていたビアンカは、つまらなそうにそう呟いた。

 どうせ妃教育の内容はすっかり覚えているし、そもそもこの婚約はビアンカの処刑によって無かった事になるのだからサボったところで問題はない。

 それに大切なお稽古を投げ出すだなんて、いかにも悪行ではないか。

 それはそれとして、妃教育よりも依頼している夜会用のドレスのデザイン画を確認する方がよっぽど楽しそうだというのが本音だったりする。

 だが、そう思ってせっかくやってきたというのに、そういえばこの仕立て屋、デザインセンスは良いがそれ故に顧客が多く、他の顧客とデザインが被りがちなのだった。

 提出されたデザイン画を見てビアンカはそんな事を思い出した。

 そのドレスのデザインときたら、一カ月前にキャロルが夜会で着ていたドレスの焼き直しとも言えるデザインだったからだ。

 男爵家のドレスデザインを侯爵家のドレスデザインに流用するだなんて。

 ビアンカは手にしたデザイン画を床に落とし、繊細な細工の施されたヒールでグシャリと踏み付けて見なかった事にすると、にっこりと微笑んだ。


「どうやらお忙しいみたいね。わたくしのドレスは他にお願いする事にするわ」


 直訳すると今後お前のところでドレスを仕立てる事は無いという宣言である。

 その意味を正しく受け取って真っ青になった仕立て屋は這いつくばって謝罪し、すぐに新しいデザイン画をお届けしますと懇願したが、ビアンカは必要ないわと冷たく答えたのみだった。

 キャロルのドレスデザインを流用するという事は、この仕立て屋はあの家門とどこかで繋がっている可能性がある。

 ビアンカが気付かずにそのままドレスを仕立てさせて夜会で身に付ければ、侯爵令嬢が男爵令嬢のドレスデザインを真似た事になり、その事実は噂となって社交界を駆け巡る。

 結果、キャロルは流行の先駆けとして己の価値を高める事が出来るという、簡単ではあるが確実なやり方だった。

 キャロルがヴィルヘルムに接触出来ない事で安心していたが、まさかこんな手に出るとは。

 取り急ぎ、ビアンカはその仕立て屋との一切の取引を取り止めて、その話をウィンズレッド男爵家と繋がりのない噂話好きな令嬢数名にそれとなく告げる事を決めた。

 先日のアップルヤード伯爵令嬢の言葉のおかげで敵の判別が大分進んだので、ビアンカは更に動き易くなっていたのだ。

 とはいえさすがに仕立て屋にまで手が及んでいたとは思わなかったのだけれど。


「ではご機嫌よう。もうお会いする事もないでしょうね」

「あぁ、リンハルト侯爵令嬢! どうか、どうか御慈悲を……!」

「まぁ、面白い事を言うのね。このような無礼に施す慈悲があると思って? ふふ、最後に面白いジョークを聞かせて下さってありがとう」


 ひらりと手を振って、ビアンカは振り返る事なく仕立て屋を出た。

 侯爵家の機嫌を損ねた仕立て屋は最終的に顧客の大半を失うこととなり、その後しばらくして店を畳んだというが、ビアンカに言わせれば自業自得だ。

 その後田舎に戻ろうが、何処ぞで首を括ろうが、たかだか仕立て屋の進退などビアンカには全くもって興味がないのである。




「まぁ素敵!」

「気に入って貰えただろうか」

「えぇ、素晴らしいドレスですわ。でもこんな素敵なデザイン、どこの仕立て屋で……」


 王宮の一室で夜会用のドレスとアクセサリーを身に付け、姿見の前で軽やかにくるりと回って見せるビアンカに、ヴィルヘルムは頬をほんのり赤く染めてもごもごと答えた。


「デザインは……その、私がしたんだ。君が一番美しく見えるドレスを贈りたくて、王族の専属モード商から色々と学ばせてもらって……。勿論、他の勉強を疎かになどはしていないよ」

「まぁ! さようでしたの。殿下はデザインの才能がお有りでしたのね。当日はわたくしと揃いの夜会服を着て頂けるの?」

「あぁ、勿論。私の衣装ももう出来ているんだ」


 件の仕立て屋が店を畳んだその頃には、ビアンカはヴィルヘルムから贈られたドレスを身に付けて満足そうに笑っていたから、そんな事があった事すらすっかり忘れてしまっていた。

 ビアンカは基本的にどうでもいい事はすぐに忘れるタイプであった。


「素敵。ねぇ、殿下。その御衣装、今お召しになって下さいませ。わたくし当日まで待ちきれないわ」

「そうだな。着替えて来よう」

「お早くなさってね。わたくしがお婆さんになってしまう前に戻っていらして」

「お茶が冷める前に戻るよ」


 なんだかんだで一日の大半を共に過ごすようになり、すっかり仲を深めていた二人にとって、王都の仕立て屋が一つ無くなった程度の事は庭木から一枚葉が落ちるくらいの取るに足りない些事だった。

 ヴィルヘルムはビアンカをこれまでの人生で一度もない程に丁重に扱い、政務でしばらく会えない時は寂しい顔さえ見せ、頻繁に手紙やプレゼントを送った。

 誠実な相手には誠実に向き合うのがビアンカの信条である。

 そういう訳で真摯に彼に向き合い早々に絆されたビアンカは、これまで人生を繰り返した記憶を元に、今年の冬備えは早めにした方が良いだとか、小麦の輸入についての関税はこれこれこのようにすると良さそうだとか、そういう手伝いをしてやった。

 人生七回目にして初めて知ったが、ヴィルヘルムはキャロルが関わりさえしなければ、非常に優秀で、かつ謙虚で紳士だったのだ。

 着替えの為に部屋を出て行くヴィルヘルムの背中を見送りながら、やはりあの女に関わると人間碌な事にならないわね、とビアンカは改めて思うのだった。


 さて、そうして気に入らない相手を指先一つで社交界から追い出しては、その零落する様を微笑みながら見物したり、戯れの延長で王室から渡される支度金を注ぎ込んで海外から稀少な宝石を取り寄せてみたり、ビアンカが王都で好き勝手しつつもキャロルの動向に目を光らせている間にも時間は流れ、ビアンカとヴィルヘルムの二人は揃って優秀な成績で進級したのである。


 しかし好き勝手に過ごしつつも、学生である以上はその本分としてきちんと勉強だってしなければならない。

 いかなビアンカでも課題の提出物からは逃れられなかった。

 課題を提出しないなんていうのは悪行にしても些細過ぎてあまりに様にならないので、ビアンカもこうしてこなしているという訳である。

 レポートを仕上げながら、ビアンカはきゅうと形の良い眉を顰めていた。


(……困ったわね)


 時が経つのは早いもので、自分が処刑される未来まで一年をとうに切っていたのだが、未だにキャロルの尻尾が掴めないでいた。

 敵認定した家門はおおよそ押さえたし、生家に圧力が掛かっていそうな家門は秘密裏に手を回してあるからそこは良い。

 一番の懸念であるキャロル・ウィンズレッドについては、ビアンカ不在の隙を狙ってキャロルがヴィルヘルムに接近した事は幾度かあったものの、その度に護衛によって引き剥がされていたので今のところさしたる影響は無いように思えるのだが今回はどうだろうか。


(いいえ、ダメよ。油断してはいけないわ。何をしたってどうせわたくし処刑されるんだもの。もう殿下がキャロルと逢瀬を重ねている可能性だって否定できないわ)


 悪行だって頑張って積むに積んだし、最後に悪女らしく断頭台で散るにはどうしたら良いかしら。

 やっぱり死ぬ前にキャロルに平手打ちくらいしておきたいわ。

 眉を顰めて考え事に没頭していたせいで、ペン先にインクが滲んでレポート用紙にシミを作る。

 それを見てビアンカは思わず溜め息を吐いた。


「……面倒だし、そろそろ婚約破棄でもしておこうかしら」


 がっしゃん。

 目の前で大きな音がした事に驚いてビアンカが顔を上げると、向かいの席で目を見開いたヴィルヘルムが硬直しており、テーブルの上でカップが無惨に割れていた。

 そこではじめてビアンカはヴィルヘルムと一緒に課題に取り掛かっていた事を思い出し、スッと上品な仕草で口許に手を当てた。

 勿論そんな事をしたところで飛び出した言葉は口の中に戻って来たりはしない。


「ビアンカ、何故そんな事を……」

「まぁ何の事でしょう」

「婚約を破棄すると」


 やっぱり聞こえていたかとビアンカは内心で舌打ちした。

 とりあえず誤魔化して笑ってみたが、ヴィルヘルムはふるふると狩人に見つかった子兎のように、いっそ哀れに思えるほど震えながらビアンカを凝視している。

 これは誤魔化せない。ビアンカは諦めてペンを置いた。


「殿下。わたくし、そう遠くはない未来に、殿下の殺害を目論んだ咎で処刑されますのよ」


 午後の日差しが柔らかく差し込む王族専用の図書館の一角で、ビアンカが美しく微笑んで告げたその半年後。


 ──彼女はその言葉通り、ヴィルヘルム・ヨアヒム・クラインベック王子殿下殺害未遂容疑で捕えられたのだった。

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