第3話

 ビアンカにとって、全てのしがらみを蹴り飛ばして好き放題に振る舞う七度目の人生は、それはそれは楽しいものだった。


 入学式当日のあの邂逅がヴィルヘルムにどのような印象を植え付けたのかはわからないが、彼はキャロルが接近しようとする度に護衛にそれを阻止させた。

 ビアンカは言われた通り学園内での大半の時間をヴィルヘルムの側で過ごしていたので(悪行タイムはそれとなく理由をつけてそれぞれしっかり護衛をつけての別行動である)、結果的にキャロルは入学してから三ヶ月が経過してもヴィルヘルムにもビアンカにも接触する事が出来ないでいる。

 こんな事は初めてだ。

 これまで繰り返した学園生活では早々に護衛もなくなり一人放って置かれていたが、今回はヴィルヘルムの命令でやたら護衛がつけられる。

 その点は正直鬱陶しいものの、そのおかげでキャロルの動きを牽制出来ているのだから、結果オーライという事にしよう。

 護衛はお目付け役も兼ねており、ビアンカの学園での振る舞いは王家に筒抜けになっているだろうけれど、それらは正しくビアンカが行ったものであり捏造された情報ではないから気にしない。

 ついでに他の生徒からも遠巻きにされている気がしないでもないが、それはそれである。


 この展開に気を良くしたビアンカは、悪行ついでに因縁でもつけて早々にキャロルの家を没落させてやろうかとも思ったのだが、自分の死にどのように彼女が関わってくるのかが判明していない今ではそれは悪手に思えて後回しにしている。

 代わりに、ビアンカが処刑される時点でキャロルの取り巻きとなっている令嬢達に挨拶代わりに軽く脅しをかけ、反抗的な態度を取った幾つかの家門は見せしめとして二度と王都に顔を出せないように手を回した。

 お茶会や令嬢達のサロンに呼び出しては難癖をつけて不作法を咎め、他の令嬢の前でたっぷり恥をかかせた後で、気に入らない、二度と顔も見たくないと言えばそれで終わる簡単なお仕事である。

 後は世間の噂話が今後の令嬢の王都での社交を潰してくれるので、指先で蟻を潰す程度の容易い事だ。

 蟻を潰すなんて、手袋が汚れるからやらないけれど。


 ストレスフリーな学園生活を謳歌し、日々せっせと脅迫をはじめとする悪行に精を出している内に、学園内においてビアンカは苛烈な性格の令嬢であると噂されるようになったが、これこそ望むところである。

 むしろ神聖なる裁判でぬけぬけと偽証し、ゆくゆくビアンカを死に追いやるような者達に、同じように死で贖わせなかっただけ寛大な処置だと思って気にも留めなかった。

 ちなみにこの時点で目障りな全ての家門を潰さなかったのは、後でキャロルが彼女達に助けを必要とした時にサクッと潰してやろうと思ったからだ。

 こういうのはタイミングが大切である。

 ヴィルヘルムガードが堅牢過ぎてビアンカからもキャロルに近付く事が出来ない為、キャロルを平手打ちするという目標こそ果たせていないものの、未来で歯噛みするであろうキャロルの顔を想像するだけでビアンカは満たされた気分でふんわりと美しく微笑む事が出来るのだった。


 とある日の放課後、護衛を伴い担任教師に提出物を渡しに行ったヴィルヘルムを待つ為に教室に残っていたビアンカは、一人の女生徒が近付いてくるのに気付いて読んでいた本を閉じて視線を上げた。

 同時に近くの護衛が警戒して女生徒の接近を阻もうとするのを制止して口を開く。


「ご機嫌よう。あなたは隣のクラスの方ね?」

「は、初めまして。私、アンナ・アップルヤードと申します」

「アップルヤード……。あぁ、伯爵家の」

「さようでございます。あの、大変不躾とは承知しておりますが、リンハルト侯爵令嬢にお願いがありお声掛け致しました。どうかお時間を頂けないでしょうか」


 どこかおどおどした様子のアップルヤード伯爵令嬢に、ビアンカはふむと考え込む。

 この娘、地味過ぎて記憶に薄いが確かキャロルにつくのではなかったか。

 何回目かの人生でキャロルの取り巻きとして後ろの方にいたような気がする。


(あの娘の手先としてスパイにでも来たのかしら)


 そうだとしたら、丁寧に手間暇を掛けて、死ぬより辛い目に遭わせて差し上げなくてはならない。

 ビアンカは薄紫色の目を細めて微笑を湛えると、ヴィルヘルムが戻るまでならという条件のもとアンナの申し出を受け入れた。


「此処ではお話出来ないので、場所の移動を……」


 そう言われてビアンカは更に笑みを深めた。

 全く、誰がそんな怪しい誘いに乗るというのか。

 移動など相手に有利な場所に連れて行かれるに決まっている。

 ビアンカは何度目かの人生で得た教訓を胸に、にこりと笑って指を鳴らした。


「あら、聞かれては困る秘密のお話なのね。ではこれで如何?」


 ビアンカが指を鳴らした瞬間、シャボン玉の膜のような薄い壁が二人を中心に包み込む。

 透明の壁なので周りの風景は見えるが、一切の音は遮断されていた。

 外界の音は中にいる二人に聞こえないし、二人の声も周りには聞こえない。

 その魔法の精度にアンナが息を呑んだ。


「これは、結界魔法ですか?」

「そうよ。便利でしょう」

「すごいわ。侯爵家の方はこんな上級魔法まで習得なさっておられるのですね」

「私の場合は必要があったから覚えただけよ。でもこれでお話出来るわね?」


 結界の中でビアンカに真っ直ぐに見つめられ、アンナは一瞬戸惑うような表情を見せた。

 白か、黒か。その判断を下す為に、ビアンカはにこにこと微笑みながらアンナの言葉を待つ。

 完全に音が遮断されていると理解したらしいアンナは、一度大きく深呼吸をすると、先ほどとは打って変わって決意に満ちた表情を浮かべた。


「……学園内に、リンハルト侯爵令嬢を排除しようとする者達が潜んでいます」

「まぁ怖い」

「特にウィンズレッド男爵令嬢には、どうかお気を付け下さい」


 案外簡単に仲間を売るものだなとビアンカは思ったが、それを表情に出す事なく逆にアンナに問い掛ける。


「あなたはそれをわたくしに伝えてどうせよと言うの。あなたは確かウィンズレッド男爵令嬢とお友達なのではなかった?」

「友人? 心外です」


 アンナはきつく拳を握り締め、しかし冷静な口調で答えた。

 伯爵家の人間である己が男爵家の、それも元平民の娘に取り入るような真似をしなくてはいけない屈辱を語る彼女の姿には、どうにも嘘の匂いはしない。


「……父は詳細を私に伝えはしませんでしたが、私の察するところでは男爵家などではなくもっと上位貴族の介入があったはずです」

「そう。伯爵家に圧力を掛けられるような上位貴族がウィンズレッド男爵令嬢の背後についていると言うのね。それで、あなたはわたくしに何を願うの。わたくしの『お友達』になってわたくしに手でも貸して下さるのかしら?」


 薄々察していた事ではあるが、やはりあの娘の裏には何かいるらしい。

 その事がはっきりしただけでも収穫だ。

 アップルヤード伯爵家は国の穀物庫とも言える広大な穀倉地帯を代々治める一族である。

 そこに圧力を掛けられる家門や地位の人間は限られてくる。

 これで大分敵の的を絞りやすくなったと、ビアンカは機嫌良くアンナを見遣った。


(内容の精査はこちらでするとして、情報を与えてくれた伯爵令嬢には多少の便宜を図って差し上げても良いわね。手駒があるというのも悪役のステータスだもの。わたくしの悪行を手伝う人間がいるのもいいかしら)


 そんな事を考えたビアンカだったが、アンナの返答はビアンカの予想とは全く異なるものだった。


「いいえ。私はリンハルト侯爵令嬢につくことはございません」

「あら、そうなの」

「私はリンハルト侯爵令嬢に助力は致しません。けれどウィンズレッド男爵令嬢にも助力は致しません」


 アンナはウィンズレッド男爵家の味方をしない事で生家が圧力を掛けられるだろう事を理解している。

 だからウィンズレッド男爵家の味方をしない代わりに、リンハルト侯爵家にアップルヤード伯爵家を守れといっているのだ。

 敵にも味方にもならない完全中立な立場は、日和見に思えて使い方次第で相手の足留めとなり得る。

 もしかしたらここぞという時の切り札に出来るかもしれない。


(ふぅん。キャロルの取り巻き達の中には、アップルヤード伯爵令嬢のように生家に圧力を掛けられて渋々従っている者も含まれているのね)


 なるほどやはり脅しは効くのか。

 相手を切り崩すなら狙うはそこだなとビアンカは胸中で頷き、アンナの出した条件を受ける事にした。

 ビアンカに聖術が使えれば強制力のある誓約も交わせたのだが、ビアンカが保有するのは魔力のみ。

 せめて約束を違えたら何らかのトラップが発動するようにしたいと思っても、その手の精神作用系魔法は当然使用が制限されている。

 悪行を積みたいとはいえリスクが高過ぎるので、少々アナログではあるが後から秘密裏に書面を交わす事を決めた。


「わかったわ。わたくしが手を回してアップルヤード伯爵家を守ります。その代わり、アップルヤード伯爵家はウィンズレッド男爵家への支援の一切を打ち切りなさい」

「必ずやその通りに致します」


 アンナが軽く頭を下げたところでビアンカは話は終わりだと結界魔法を解除した。

 周りの音が一気に戻ってきて、下校時刻を知らせる鐘の音がいつもよりも大きく聞こえる。

 アンナが教室を出て行くのと入れ替わりに、教室にヴィルヘルムが戻って来てビアンカに尋ねた。


「ビアンカ、待たせてすまない。何もなかったか?」

「えぇ、殿下。隣のクラスの方と少しお話ししたくらいで何もありませんでしたわ」

「そうか。なら良かった」


 いつも通り、ヴィルヘルムと共に迎えに来た馬車に乗り込み学園から屋敷へと戻る道すがら、ビアンカはふと思った。


(……わたくし、特に何も考えずに気に障ったからという理由だけであの娘についた令嬢を何人か王都から追い出して差し上げたけれど、もしかしたらその中にアップルヤード伯爵令嬢のように生家に圧力を掛けられてやむ無くあの娘に味方していた令嬢もいたのかしら……)


 だとしたら悪い事をした。

 両親の命令には逆らえないだろうし、そもそも家門を丸ごと人質に取られているようなものだ。必死にもなるだろう。

 ──しかし。


(だとしてもアップルヤード伯爵令嬢のように行動する事は出来たはずだわ。それをせずに諾々と従ってわたくしに逆らったのなら、それはもう潰されたって仕方のない事よ)


 それにもう済んでしまった事だし。よし、忘れよう。


「ビアンカ? どうかしたのか。疲れたのか?」

「あら、心配して下さるの。でも何でもありませんのよ。明日には忘れているような取るに足らない些事ですもの」

「そうか。それなら良いんだが……」


 ビアンカのうっかりによって王都から追放され、未来を潰された令嬢達が流した涙で川が出来ようともビアンカの知った事ではない。


(帰ったら伯爵令嬢の話の裏取をしてから、改めてキャロルの側にいる取り巻き達の家門を洗ってみましょう。何だかワクワクするわね)


 新しい玩具を見つけた子供のようにビアンカはにこにこわくわくしており、翌日には何人かうっかりで王都から追放してしまったかもしれないなんて事は、すっかりビアンカの頭から抜けてしまっていたのだった。

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