第5話

 カン、と木槌が叩かれる高く乾いた音に、ビアンカはふっと目を開けて周囲を見回した。

 侯爵家の娘が裁判にかけられるとあって、貴族裁判の行われる王城の特別な大広間には、ぎっしりと、名のある無しに関わらず多くの貴族達が押し寄せていた。

 その中にはアップルヤード伯爵や、難しい顔をして口をへの字に曲げている叔父のダリモア伯爵の姿もある。

 父であるリンハルト侯爵はビアンカの犯行に関与している可能性があるとして審議が終わるまで王城内で軟禁と聞くから、気難しい叔父は親族として引っ張りだされたというところだろうか。


(あらあら叔父様ったら、可愛い姪の裁判なのだからもう少し心配そうな顔をすれば良いのに)


 罪人として引っ立てられたビアンカを見て、貴族達はひそひそと細波のように何事かを囁き、同時にビアンカと目が合わないように目を逸らし続けている。

 この光景はどの人生でも同じなので、ビアンカは何だか感慨深さのようなものを覚えていた。


(……あぁ、ついにこの日が来たのね)


 ビアンカの細い手首には罪人を示す手錠が掛けられ、背後には三人も見張りがつけられていた。

 逃げ出すなんてあり得ないのに、全く大層な扱いだ事。

 ビアンカは漏れそうになる笑いを堪えるのに必死だった。


「これより、ビアンカ・コルドゥラ・リンハルト侯爵令嬢による王族殺害未遂事件についての裁判を開廷する」


 この国の貴族裁判は一般的な裁判と異なり、貴族院のトップが裁判長を務める事となる。

 だが、今回の事件はその貴族院のトップたる侯爵家の娘が起こしたものであったので、今回に限り裁判長は繰り下がってとある伯爵家の当主が引き受けていた。


「リンハルト侯爵令嬢には、第二の月四日に開催されたヴィルヘルム・ヨアヒム・クラインベック王子殿下との茶会の折、王子殿下のカップに毒を混入し殺害を謀った容疑が掛けられている。リンハルト侯爵令嬢、この内容に間違いはないかね」

「わたくしは、王子殿下を弑し奉るなど畏れ多いことを考えたりなど致しません」


 ビアンカは七度目となる台詞を淡々と述べた。

 今回も裁判にヴィルヘルムは参席してはおらず、ビアンカが捕らえられている間に顔を見せる事もなかった。

 彼はビアンカが捕えられる直前にキャロルと接触し、そこからはビアンカとの仲睦まじい日々が嘘のようにキャロルとばかり過ごすようになっていた。

 貴族達もヴィルヘルムがキャロルと学園内を連れ立って歩いたり市街を散策する様子を目にしたり、またその噂を耳にしたりしていたので、この場所に王子殿下がいない事は当然だと思っていた。

 軽症で済んだとは言うが、婚約者に毒を盛られたのだ。顔も見たくないと思うのは当然だろう。


「──証人をこれに」


 裁判長を務める伯爵は、重苦しい声で待機していた証人を呼んだ。

 彼ら、彼女らは、ビアンカがこれまでどれ程傍若無人に振る舞い、気に入らないというただそれだけで他の貴族を虐げて来たか、その残虐性を熱弁した。

 地位と権力を振り翳し、他者を顧みる事なく悪徳の限りを尽くす、由緒あるリンハルト侯爵家の令嬢とは思えないその振る舞いを事細かに語ってさえみせた。

 今回に限り七割くらい真実なので、ビアンカはそこそこ満足である。

 証人の中にはビアンカが手を下し家門が没落に追い込まれた者も何人か混じっていたし、前世で証人として立った者とは異なる人物が、ビアンカにはまるで覚えの無い物事をビアンカの悪行の一つとして語ることもあった。

 今生でビアンカが楽しくやってきた間引きは、結局特に意味がなかったのだった。


(やっぱり何をやってもこの裁判に行き着くのね)


 ビアンカは悲嘆に暮れる事もなく、ひどく凪いだ気持ちでそれを眺めていた。

 そして裁判長から問われれば、正直に、それが事実か否かを答えた。


 最後に証人として出てきたのは、キャロル・ウィンズレッド男爵令嬢本人だった。

 男爵令嬢は家格に見合わない程の上等なドレスを纏い、カツカツとヒールを鳴らして指定の位置に立つと恐れのない様子で口を開いた。


「私は学園生活において、リンハルト侯爵令嬢からいじめを受けていました! 侯爵令嬢は私が平民として育てられた事を嘲笑い、貴族社会から追放しようとしたのです! そのように醜い心の令嬢に愛想を尽かした王子殿下が私をご寵愛下さった事で、いじめはより酷くなって……」


 そこで一度言葉を切り、証人席で声を震わせ、ハンカチを握り締めながらキャロルは続けた。


「私はこの耳で聞きました。私が気に入らないって。私の存在が目障りだって。殿下が私をお選びになったから、きっと私を殺そうとしたんです。でも殿下が私を守って下さいました。だから侯爵令嬢は直接殿下に毒を……」


 あぁ、何て恐ろしい!と叫ぶなり、キャロルは大仰に肩を震わせてその場に蹲り嗚咽を漏らした。

 場内には「リンハルト侯爵令嬢がそこまで恥知らずな娘だとは」だとか「殿下の心変わりは致し方ない事だ」だとか、そんな言葉がさやさやと広がっていく。

 ただ一人ビアンカだけは、何度見ても大根役者ね、と心の底からキャロルを嘲笑していた。


 そうして裁判は滞りなく進み、ビアンカの部屋から毒物が発見されたやら、ビアンカが毒の入手を仄めかす発言をしたとかいう身に覚えのない証拠や証言の数々が挙げられて、審議の為の休廷を迎えた後、ついに判決を言い渡される事になった。

 毎回此処で死罪が確定し、その瞬間にキャロルがハンカチで隠しながら口許を笑みの形にするのをビアンカは見てきた。


 ──だから、ビアンカは裁判長が判決を言い渡す前に、凛と澄んだ声で言った。


「裁判長。最後にひとつ、わたくしの些細な要求を聞き入れては頂けないでしょうか」


 それは異例のことだった。

 予想通り、傍聴席にいた貴族達からは認められるかと声が上がったが、裁判長はまずビアンカに何を要求したいのか、それを確認した。

 裁判長の問い掛けに、ビアンカはこの裁判が始まってから一番しおらしい態度で答えた。


「判決を言い渡される前に、わたくしはこの裁判が神聖なるものであり、裁判の最中にわたくしが申し上げた言葉はひとつの偽りもないものであると証明したく存じます」

「具体的には」

「大司教様による聖術を行使させて下さいませ」


 その言葉に場内がどよりと揺れた。

 大司教はこの国が信仰する宗教において教皇と枢機卿に次ぐ地位にあり、魔法とは異なる体系を持つ『聖術』を使う事が出来る稀少な人間である。

 宗教は政治とは分離すべしとの国の方針により、本来こういった場に呼ばれる事は無いし呼んではいけないとされている。

 それを呼べと言ったビアンカに貴族達は冷ややかな視線を向けたが、ビアンカは真っ直ぐに裁判長を見詰めていた。

 しばしの時間が過ぎ、裁判長はビアンカの要求を受け入れると答えた。

 ビアンカの言う聖術とは、聖術を用いて神に誓約する儀式の一つの事だ。

 他人を害するようなものではなく、あくまで己の潔白を示すものである。

 これから死罪を言い渡される娘が教会の大司教に縋ろうとする姿を、裁判長はただただ哀れに思ったのだった。

 少しでも罪を軽くして天国の門を潜れるよう、大司教に己の罪を告白したいのだろう。

 同じ年頃の娘を持つ伯爵は、そう考えて急ぎ大司教に参席を依頼するよう遣いに告げた。

 大司教が今日中に到着するか否か、むしろ拒否される可能性もあるが、この様子ではきっと判決は明日に持ち越されるだろう。

 場内が少しずつ解散ムードになったその時、ドアが開いて先程出たばかりの遣いの者と共に大司教が現れた。

 近くで待機していたとしか思えない短時間での登場であった。


「あぁ、王子殿下の回復をお祈りする為に王城へ参りましたが、このように呼ばれるとはこれも神の思し召しですね」


 追及を受ける前にしれっとそう言って、大司教は迷いなくビアンカの前に立った。

 場内の何人かは絶対に嘘だなと思ったが、生憎この場にそれを口にできるものは一人としていなかった。

 大司教というのは、貴族で言えばそれこそ侯爵家くらいの力がある。

 悲しきかな貴族社会。権力がものをいうこの世界では、自由に発言出来る立場の人間はごく限られているのである。

 閑話休題。

 ビアンカは大司教に敬意を示して首を垂れ、そしてそのままの姿勢で聖術の宣誓を行使したいと申し出た。

 大司教はこっくりと頷き、ビアンカにどのような宣誓かと問うた。

 ビアンカは淑女らしく美しい立ち姿で顔を上げ、小さく微笑んで答えた。


「審判の宣誓を」


 ビアンカの言葉に大司教は僅かに眉を曇らせた。

 それは国内でも王族くらいしか知らないはずの高等聖術である。

 だがビアンカは王子の婚約者だった娘だ。その存在を知っていたとしてもおかしくはないと思い直す。


「審判の宣誓は一般的な聖術の誓約とは違い、とても厳しいものだ。軽々しく口にしてはいけない」

「わたくしは軽率に口にしてなどおりません。今のわたくしには何よりも必要なものなのです」


 ビアンカの瞳を見詰めた大司教は、その瞳に宿る決意を見て頷いた。

 そして裁判長に視線で許可を得ると、朗々とした声で聖術のトリガーとなる聖句を唱え、呼応するように清らかな光が一瞬場内を満たして消えた。


「リンハルト侯爵令嬢。宣誓を」


 厳かに大司教に告げられ、ビアンカは感謝を込めて枷がはめられているせいで少々ぎこちなくカーテシーをしてから、改めて大司教に向き合った。


「──わたくしはこの事件に一切関与しておりません事を、わたくしの名と魂のもとに宣誓致します」


 淀む事のない声でビアンカは続けた。


「毒など手にしてはおりませんし、手にしておりませんから毒を盛るだなんて事もしておりません。それを誰か他の者にやらせたりもしておりません。これは、わたくしを陥れる為の卑劣な罠です。どうか神の御力でこの場の全ての人間の真実を明らかになさって下さいませ」


 再び場内がどよりと揺れた。

 そして何処からか、大司教まで呼んだのだから、本当に令嬢は陥れられただけなのではという声が上がり始める。

 すると、変わり始めた場内の空気に抗うように、証人の一人が声を張り上げた。


「いいえ! リンハルト侯爵令嬢は罪を逃れる為に嘘を言っているのです! 侯爵令嬢は本当に毒を……ッ!」


 それはビアンカの部屋で毒を発見したという元侍女だったが、彼女は最後まで言い切る事が出来なかった。


「あ……っ、がはっ!」


 何故なら元侍女は口から黒い血を吐き出し、苦しみにもがき始めたからだ。

 それを見てビアンカと大司教以外が驚いた顔をする。

 逆にビアンカは苦しげに喉を抑える元侍女に冷たい視線を向け、他の証人達をぐるりと見遣ってから徐に口を開いた。


「あなた方が真実としてこの場でした証言の数々、神の代理人たる大司教様の前でもう一度聞かせて下さらないかしら。もしその内容に偽りがある場合、聖術の効果で彼女のように罰を受けてしまうのだけど……」


 構わないわよね?と、ビアンカはそれはそれは美しく笑った。


 先程まで判決を言い渡されるだけだったはずの哀れな娘は、今まさしく、この場を支配する輝ける女王であった。

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