第22話
「口止めしたかったってことかー」
「口止め?」
独り言を寺本さんに拾われて、私は慌てて両手を振って否定した。
「何でもないんです。今日はもう終わりですよね。お疲れさまでした」
「あぁ、うん。お疲れ様」
挨拶もそこそこに休憩室からバックを取って更衣室へ向かう。
閊えはとれたはずだった。変に勘違いせずに済んでよかった。お世話になっている先輩に可愛い彼女ができたんだ。素直におめでとうと言えばいいだけだ。
それなのにどうして……。
更衣室には他にも日勤を終えて着替えをするスタッフがいたから、必死で堪えた。
服の着脱によって乱れた髪の毛を直すこともせずに、車に向かって走った。
今が秋でよかった。陽が落ちるのが早くて、周囲の薄暗さに感謝したくなった。できれば今も誰にも自分の顔を見せたくなかった。
下を向いて走っていたから、周囲が見えていなくて、自分の車迄あと少しだったはずなのに、誰かにぶつかってしまった。
手に握っていた車のカギがアスファルトに跳ねてあらぬ方向へと滑っていくのが、視界の端に見えた。
(最悪……なんだってこんな時に)
車のカギを追って、落ちたカギに手を伸ばす。
同時に誰かの手が視界に映った。
「どうした?前方不注……」
誰かの声がして、私より一瞬早く落ちたカギを拾っていた。顔を上げた私は、声の持ち主と目が合う。
(本当に最悪だ)
「妹尾、さん?」
「ごめんっ、ちょっと急いでいて……ぶつかったの、ごめんね」
「……別にいいけど。どうして泣いてんの」
「……」
声の持ち主は一番スルーしてほしい所を直球で聞いてくる。そこは、気を遣って見ない振りをしてほしかったよ。久間田くん。
心の中で自分勝手な言い分を吐きながら、急いで袖口で涙を拭った。
「なんでもないの。目にゴミが入っただけだから。それより仕事中だよね?どうしてここに?」
「……急患が入るって連絡が外来から入って迎えに降りたところ。偶然妹尾さんが見えたから」
見えたから、わざわざここまで来たんだろうか?
「何か用事でもあった?」
「いや、別に」
「?」
「とりあえず、戻るわ」
よく分からなかったけれど、戻るという彼が背を向けたところで救急車のサイレンが聞こえてきた。救急入り口には他の看護師や医師が待機しているのが見える。
「じゃあ、頑張ってね。お先に失礼します」
「お疲れさまでした……っと、妹尾さん。覚えてる?この前のスイーツの時の」
「あぁ!今度何か奢るって言った分でしょ?安心してよ。忘れていないから」
「じゃあ、今度の週末、お互い半日勤務だったろ?最近見つけたカフェでスイーツ奢ってよ」
「は?」
「約束だからな!」
「え?ちょ、」
私の返事も聞かずに、救急入り口に向かってダッシュしていく久間田くんの後ろ姿に、唖然としてしまう。
奢りはするといったけれど、一緒に食べに行くとは言ってないんですけど……。
あまりにも強引な誘いを受け、しかも相手が普段気軽に誘ってくるタイプじゃない人からだったから余計驚いてしまった。
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