第14話
「ラウンド、行ってきます」
「じゃあ、私も」
緋山くんと、久間田くん達の担当は2階フロア。私と内藤さんは1階フロアが担当で、ラウンドはそれぞれの階の担当が行う。病床数と夜間とはいえ処置をする患者さんの部屋もあるから、ラウンド自体には10-30分はかかる。
久間田くんと内藤さんがライトを持って詰所を出て行くと、緋山くんと2人きりになってしまった。
しまったというのは変な話で。けれど、彼とはさっき少し会話しただけで、あれからは仕事以外の話はしなかった。
彼のオン、オフの切り替えがちゃんとできるところは本当に感心するし、少し恨めしくもある。彼の姿を視界に入れて、ずっとドキドキ、モヤモヤしていた自分が馬鹿みたいで。
(コーヒーでも飲もうかな)
幸い準夜帯に続いて、救急隊からの搬入依頼はなかった。土曜日の深夜だからもう少し救急外来の受付もあるかもしれないと心配していたが杞憂だったようだ。
立ち上がって休憩室の方に向かい、紙コップにインスタントのコーヒーを入れた。
「俺も、コーヒー飲もうかな」
いつ休憩室に来たのかと思う位音もなく、気付けば緋山くんが入り口に立っていた。
もう少しで声を挙げそうになったのを必死で堪えた。
「ついでに入れようか?」
「あ、うん。サンキュ」
普段なら、他愛のない会話の一つくらいお互いにしていたはずで。今みたいな変な沈黙に落ちることはなかった。やっぱりお互いに昨日の事を気にしているのだと気づく。あたりまえだけど。
何も解決していないもの。緋山くんが私に触れた理由。ちゃんと聞けていないからこんな風にモヤモヤするんだ。
「はい」
「……ありがとう。あのさ、」
受け取ったカップを傍のテーブルに置いて、緋山くんが口を開く。私はカップをもったまま、彼を見上げた。
身長の高い自分でも、少し見上げるところにある彼の顔。身長、どの位だっけ?
意味もなくそんなことを考えていた。このくらいの身長差だったら、立ったままのキスも……って、何考えてんだ私は。
昨日のキスに毒されている。恥ずかしさで自己嫌悪に陥りながら私は頭を振った。
「どうした?」
「え、あ、ううん。なんでもない」
話の腰を折ってしまったのだろうか?目の前の不振な行動をする私を見て訝し気に眉を寄せた緋山くんだったけれど、私の答えにとりあえず納得したのか再び話始めた。
「本当は、昨日のあの焼き肉屋でちゃんと言うつもりだったんだ」
「?」
休憩室の入り口の壁に背中を預け、何度か深呼吸を繰り返す緋山くんと、立ったままコーヒーを飲むこともせず彼を見る自分。
今、ここに誰もいないことは、入口側を時折気にする素振りを見せる緋山くんの態度で分かった。他の誰にも聞かれたくない話をしようとしているんだってことも。
なんだか少し緊張してきた。
キスの言い訳をされるのかもしれないし、他に話があるのかもしれない。そのどちらにしても私には心の準備が必要だった。
いやに静かな空間に、心電図モニターの規則的な電子音だけが響いていた。
「でも、言えなかった。他愛のない話しながらさ、こんな楽しい時間がいつまでも続けばいいって思いながら肝心なこと結局言えなくて……。何やってんだって情けなかった」
「緋山くん?」
彼が言わんとすることが分からず、遠まわしすぎて察することもできなくて、つい急かしてしまいたくなった。でも、結局できないんだけど。
別にキスの理由だけでいいのに。「魔が差した」とか「顔が近くにあったから」とか、そういうのサラッと笑いながら言ってくれたら、今度夕飯を奢ってよねと言って済む話だったはずだ。
それなのに、すごく楽しかったあの焼き肉屋の話にまで遡らなくてもいいのに。せっかくの楽しかった時間迄嫌な思いでに変えたくなかったのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます