第13話

「……お疲れ様、です」


 翌日の23時、夜勤入りの為に病院に入った私は更衣室を出て、静まりかえった病棟の廊下を詰所に向かって歩いていた。


 夜になると気温もグッと下がる。白衣から覗く二の腕に鳥肌が立つのを見てロッカーにカーディガンをさ取りに戻ろうかと逡巡していた私は、動く人影に目をとめた。


 緋山くんだった。


 彼は詰所前の階段の陰から顔を覗かせて、こちらを見ていた。けれど彼は近づくのを躊躇っているかのようにその場から動かない。


 (もしかして、私が来るのを待っていた?)


 普段よりトーンを落とした声で緋山くんにお疲れ様と声をかける。


 彼は周囲を気にしながら近くまでやってきて、そしていつもよりは少し距離を開けて止まった。


 「お疲れ。……あのさ、」


 「……な、に?」


 本当は逃げ出したかった。でも、それをする事で彼が傷つくのは嫌だったから、グッと堪えてその場に立ち尽くした。


 「ごめん」


 いきなり頭を下げた緋山くんに少しだけ驚いた。彼が直角になる位に体を折って謝る姿に、少寂しくも思った。


 謝るってことは、あのキスはやっぱりあの場の雰囲気とか、流れとか、そういう軽い気持ちだったってことだよね。


 「……謝るくらいなら、しないでよ」


 「俺はっ、」


 恨み言が零れた。それに間髪入れずに声を上げた彼に慌てて「シッ!」と人差し指をたてた。消灯後の廊下に緋山くんの声が響いて、ヒヤッとする。


 この距離なら詰所や当直室にまで彼の声が聞こえてしまうかもしれない。けれど幸いにして誰かが出てくる気配はなかった。


 「お酒なしで酔っぱらったの?」

 

 小声で嫌味を言えば、彼は何かを言いそうにしつつもグッと押さえて黙り込んでいる。


 少し待ったけれどそれ以上何かを言う様子もなくて、私はあきらめて詰所へ向かって歩き出した。その後ろを緋山くんもついてくる。


 詰所には既に深夜勤務の2人も来ていて、準夜勤の人と雑談をしているのが見えた。


 「あ、緋山さん、お疲れ様です。あ、妹尾さんも」


 嬉しそうに緋山くんに声をかけた後、私には付け足しみたいな挨拶をしてきたのは、内藤さんだ。


 「お疲れ様です」


 「今日は救急も入らず落ち着いてますよ」


 そう言ってヒラヒラと手を振るのは、夜勤専属看護師である、2児の母の横塚さん。ほかにも彼女と同年代の看護師が中央のテーブルで雑談に花を咲かせている。


 久間田くんは奥の処置室で、夜勤帯で使用する点滴の準備をしているようだった。女性達の中に混ざって雑談をするタイプではないから、通常運転と言えば通常運転だった。


 奥の休憩室に荷物を置いてから、申し送りの準備を始める。緋山くんも久間田くんの方に向かい一緒に点滴のチェックを始めている。


 いつもの、と言えば、いつもの風景だった。

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