第24話 姉妹のキッチン


 それから20分ほど後。荷物を片付けたわたしは着なれないエプロンに袖を通してキッチンに立っていた。


 この家には14年くらい住んでいたはずだけれど、キッチンに立ったことはあんまりない。ご飯はお姉ちゃんか、たまにお母さんが作ってくれて、わたしは専ら食べる専門だったから。だから、来ている服と言い、立っている場所と言い、なんとなく落ち着かない。


 そんな風にそわそわしていると。


「双葉ちゃん、エプロン着替え終わっ……」


 同じくエプロンを付けたお姉ちゃんがわたしを見て言葉を途切れさせる。わたしのエプロン姿、そんなに似合わなかったかな……そんなことを思っていたら逆だったみたい。


「はっ、ごめん。双葉ちゃんのエプロン付けてるところなんて見たことなかったから、可愛すぎて、ちょっと言葉を喪っちゃって。双葉ちゃん、本当にわたしのお嫁さんみたい」


 真顔でそう言われるとちょっと照れる。


「ま、まあエプロンなんて学校の調理実習の時ぐらいしか来たことなかったしね。琴音ちゃんとわたしは学年違うし、当然と言えば当然だよね」


「双葉ちゃんと同学年の子達はわたしよりも先にエプロン姿の双葉ちゃんを見れてたんだ。ちょっと悔しいかも」


 悔しそうな表情をするお姉ちゃん。いったいどこに嫉妬してるんだ……とか思っていると。


「でも」


 そう言ったかと思うと、お姉ちゃんはわたしの栗色の髪に手を触れてくる。


「お料理をするとき髪は束ねた方がいいわよ。せっかくの綺麗な双葉ちゃんの毛先が焦げちゃったりするとイヤでしょ?」


 手慣れた手つきでわたしの髪を纏めてくれるお姉ちゃん。わたしはその感触に懐かしさを感じるとともに、ふわふわとした感触に包まれていた。そういえばまだ姉妹だった時は、よくこうやってお姉ちゃんに髪型を弄ってもらってたっけ。そんな時間が、わたしはなんだか安心できて、好きだった。お姉ちゃんの優しい手の感触に身を委ねて、わたしは自然と目を瞑る。そして。


「はい、できた」


 お姉ちゃんの言葉で目を開けると、磨かれた銀色のシンクに、お団子ヘアに結んでもらった自分の髪が映る。ちらりと見てようやく気付いたけれど、お姉ちゃんとお揃いの髪型だった。


「えへへ、おね……じゃない、琴音ちゃんとお揃いの髪型っていうのも久しぶりだね」


「そうねぇ。まあ、今日くらいはいいでしょ。さ、お菓子作りを始めましょ」


 お姉ちゃんの言葉にわたしは大きく頷いた。



 お姉ちゃんとのお料理はやり始めると、存外楽しかった。危なっかしい手つきで包丁を持つわたしの手にお姉ちゃんに手を添えてもらって包丁の使い方を矯正してもらったり、生クリームの上手い泡立て方を教えてもらったり。お料理がこんなに楽しいものだなんて、生まれて初めて知った。けれどこれはきっと、お姉ちゃんと一緒だからなんだろう。楽しくてわたしは時間が過ぎるのも忘れていた。


「琴音ちゃん、今日はなんで急にわたしとお菓子作りをしようなんて思ったの?」


 生クリームをかき混ぜながらふとわたしはお姉ちゃんに聞いてみる。


「それは……恋人として付き合い始めてから間もなくのデートの時、わたしがひかりちゃんとよくお料理してるって話をした時に双葉ちゃんが不機嫌そうになったのを思い出したから。そういえば二人でお料理なんてわたし達、姉妹の時もしなかったなぁ、って思い出して」


「あの時のこと、覚えててくれたんだ……。でもいいの? それって『恋人』っぽいことというよりも、『姉妹』っぽいことなんじゃないの? 今日はお泊りデート、なんでしょ……」


「別にいいのよ。それに――わたし達って女の子同士のカップルで、どっちもお嫁さんじゃない? わたしは、わたしのお嫁さんにはそれなりにお料理ができて手料理を振舞ってほしいもの。今日はそのための仕込み、よ」


 いたずらっぽくウインクしてくるお姉ちゃん。そんな表情で『お嫁さん』なんて言われるとわたしの胸はついときめいてしまう。


 恥ずかしくなってわたしは生クリームの入ったボウルに視線を落とす。泡だて器を持つ手に自然と力が入って、勢い余った生クリームが飛び跳ねてわたしの頬に付着する。泡立てる手を止めてわたしがそれを脱ごうとした時だった。


「双葉ちゃん、ちょっとこっちを向いて」


 そう言ったかと思うと、お姉ちゃんがぺろっとわたしの頬を舐めてくる。それにわたしの頬は火が出るように熱くなる。


「な、なななな!」


「うん、美味しくできてる」


 ペロッと舌を出しながら言うお姉ちゃんから、わたしは慌てて視線を逸らしちゃう。


 ——ほんと、お姉ちゃんはこういうところがずるい。本当にそんな気になりそうになっちゃうじゃん。


 そう、わたしは心の中で毒づいた。



 そんなこともありつつも、わたしはお姉ちゃんと一緒にホールケーキと、そしてお夕飯の肉じゃがを完成させていた。


「今日は何のお手伝いもしてなくてすみません……」


 お夕飯の時間になってダイニングに戻ってきたひかりちゃんにお姉ちゃんは


「いいのよ、彼女といちゃついていただけだから。むしろ居心地悪くしちゃっていたらごめんなさいね」


と頭を下げる。それに対してひかりちゃんの表情は一瞬だけ強張ったけれど、すぐにいつもの優しげな表情に戻って


「気にしないでください。2人の幸せそうな姿を見れて、私も眼福です!」


と言って来る。それがどれだけひかりちゃんの真意なのか、わたしには読み取れなかった。


 そしてその真意を確かめる間もなく話題は移っていき、その会話が楽しくてわたしはいつのまにかひかりちゃんがどう思っているのかを忘れていた。


「そう言えば、この3人でゆっくり話すのって初めてよね」


 お姉ちゃんのふとした言葉にひかりちゃんは相槌を打つ。


「ええ。最初に会った時は私、東さんに親の仇みたいに嫌われてましたし」


「あ、あの時はごめんって!」


 慌てるわたしにお姉ちゃんとひかりちゃんは吹き出す。


「でも、これがはじめてだとは思えないくらい3人での会話は楽しいですね。まるで本物の家族みたい」


「いつか、本当にそうなれるといいわね」


 ひかりちゃんの言葉にお姉ちゃんがしみじみと呟く。その言葉にわたしは考え込む。もしわたし達3人が家族になれたとしたら、お姉ちゃんとひかりちゃんはわたしにとってどんな名前のついた関係性になるんだろう、って。

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