第23話 久しぶりの我が家


 土曜日のお昼過ぎ。わたしは実に3年ぶりに、かつて最寄駅で慣れ親しんだはずの駅に降り立った。たった3年しか経っていないからあまり風景は変わっておらず、飽きるほど見たはずの景色。だけどなんか新鮮で、どこか自分が外から来た招かれざる客のような気かして、不思議な感覚になる。引っ越すって、こういうことなんだ、って、少し感慨深く思う。


 スーツケースを引いて、これまた歩きなれた道を歩く。スーツケースには1夜分のお泊まりセットが収められている。使用済みでない着替えの入ったスーツケースを引いて実家に向かうなんてこれまた少しふわふわと不思議な感覚に襲われる。


 そして迷うこともなくわたしは3年前まで自分のお家だった一軒家に辿り着く。途中、中学までの友達にすれ違うかな、なんて期待していたけれど、あまり距離がないからか、そんなことはなかった。


 家の外観も3年しか経っていないんだから、そんなに変わっていない。変わっているところと言えば『西園家』という表札くらい。


 「西園」はわたし達のお母さんの苗字。両親が離婚するまではわたしもお姉ちゃんも父方の苗字である『東』を使っていたけれど、当然だけど離婚後、お姉ちゃんとお母さんは、お母さんの元々の苗字である『西園』姓を名乗るようになった。


 その、たった1枚の表札の違いで見慣れていたはずの目の前の家が一気に得体の知れないもののように見えてきて緊張が走る。同時に、わたしなんかがここにいていいのかな、という不安。


 インターホンに伸ばした人差し指が震える。今更になって、お母さんがまだ家にいたらどうしようなんていう不安が込み上げてくる。インターホンを押してお母さんがもし出てきてわたしと鉢合わせたら……最悪なんてレベルじゃない。


 そうやってわたしがインターホンを鳴らすのを躊躇ってる時だった。


「東さんじゃないですか。思ったより早かったですね」


 背後からすっかり聞き慣れた、安心できる声がする。振り向くとそこには、両手いっぱいの手提げ袋を持ったひかりちゃんがいた。その袋には大容量のジュースやらお夕飯の食材やらが詰め込まれていた」


「お義母さまがいないか不安なんですか? ちゃんと出かけてるから大丈夫です。それよりいいところにいました! 私、両手が塞がっちゃってるので、胸ポケットに入ってる鍵で玄関の扉を開けてもらえますか」


「う、うん……」


 そう言われてわたしはひかりちゃんのYシャツの胸ポケットに手を伸ばす。その瞬間、柔らかい感触が指先から伝わってきて、頭がぽーっとする。そんなに大きいわけじゃない、けれど柔らかでなんか落ち着……。


「って、どこ触らせてるの⁉︎」


「チッ、ばれましたか」


小さく舌を出すひかりちゃん。


「まあまあ、ちょっとしたいたずらです。でも、大好きな東さんに敏感なところを触れてもらえて、ちょっと気持ちよかったです。少しはそういうことをしてる気分になれました。これで、今日からの2日間何を見せられても耐えられる気がします」


 満足気な表情を見せるひかりちゃんにわたしはげっそりとしながら


「ひかりちゃん、ほんとにわたしの恋路を応援する気ある……?」


と、つい尋ねてしまった。しかも結局自分で家の鍵開けてるし……。


 ひかりちゃんに振り回されてため息を吐きつつも、ひかりちゃんのお陰でわたしは、一人だと入る勇気の出なかったお家に入ることができたのでした。




 一歩家の中に足を踏み入れると、懐かしいはずなのにわたしの知ってる場所とは違う、という感覚がさらに強まる。たった3年でも、そこに住む人が変われば雰囲気も変わる。調度品やインテリア、もっと漠然とした空気。そう言ったものが確かにわたしを余所者扱いしているように感じて、ちょっぴり寂しさが募る。


 そんな気持ちを抱いていると。


「お姉様、東さんがいらっしゃいましたよ」


 ひかりちゃんが声を張りあげる。


「ちょっ、家に対する感傷に浸ってたせいでまだお姉ちゃんに会う心の準備が!」


 慌てふためくわたしの言葉も虚しく、ひかりちゃんの言葉にお姉ちゃんがひょっこり顔をのぞかせる。お姉ちゃんもまだ準備ができていない状態で来たのか、ゆったりと下部屋着でノーメイクだった。そんなお姉ちゃんが懐かしくて、心の準備なんかを考えていた気持ちが吹き飛んで、懐かしさで胸がいっぱいになる。


「双葉ちゃん、いらっしゃい。ごめんなさいね、まだお出迎えの準備がぜんぜんできてなくて……」


「い、いいよそんな畏まったことしなくて。だってわたし達、3年前までは普通に同居してて、互いにそんな見栄張らずに一緒に暮らしてたでしょ。それと変わらないって。それに、これから恋人としての時間を積み重ねて夫婦になったら、また『家族』として一緒に暮らして、恥ずかしいところとか互いに見せ合うことになるんだろうし」


 微笑を浮かべながらなんの気なしに言うわたしにお姉ちゃんはぽっと頬を赤らめる。なんだかひかりちゃんはニマニマしてるし。


「あれっ、双葉、なんか変なこと言っちゃった?」


「もうっ、そういうとこがほんと、双葉ちゃんはずるい」


 不満気に口を尖らせてお姉ちゃんは目を伏せる。えっ、わたし、なんかまずいことしちゃった?


「ごめん! よくわからないけどなんか双葉、無神経なこと言っちゃったんだよね。双葉にできることだったらなんでもするから許し」


「今、なんでもしてくれるって言ったね?」


 口を滑らせたわたしに、お姉ちゃんは妙に食いついてくる。そこでわたしはしまった、と思う。いくら口を滑らせただけとはいえ、わたしのことが女の子として本気で好きなお姉ちゃんに軽々しく言っていい台詞じゃなかった……。


「えっと、常識の範囲内なら……」


 ごくり、と唾を飲み込みながら予防線を張るわたし。そんなわたしのことをお姉ちゃんはつぶらな瞳でまっすぐと見つめてくる。そして。


「それなら――いっしょにお料理しましょ」


「ほへっ?」


 想像していたのと違うお姉ちゃんの提案に、わたしはついへんな声を出してしまう。わたしの反応を見て、お姉ちゃんは口元に手をあてて笑う。


「双葉ちゃん、何を想像してたの?」


「てっきりえっちなことを強要されるのかと……」


「まだお昼だし、さすがにひかりちゃんがいるところでそんな話はしないわよ。——まあ、双葉ちゃんがどうしてもって言うならば、わたしはいつでもカラダの準備はできてるけれど」


「どうしてもってわけじゃないから!」


 必死で言うわたしにお姉ちゃんはまた楽しそうに笑う。そんなお姉ちゃんを見てわたしは内心、がっくりと肩を落とす。


 正直、わたしはお料理なんて殆どやったことがないし、あんまりやりたいと思ったこともない。けれどおねえちゃんに性的にへんなことをされるよりはマシだと思うしかないか。

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