第21話 姉妹ごっこの終焉


 それから、一緒に店を見て回るわたしとひかりちゃんはどこかぎこちなかった。


 いや、わたしが一方的に挙動不審になっていただけで、ひかりちゃんは明らかにおかしくなったわたしと、なんとか会話を繋ごうとしてくれた。けれど、お姉ちゃん以上に気楽に話せていたはずのひかりちゃんが振ってくれるどんな話題でも、わたしの受け答えは不自然なものになってしまった。


 さっきまで繋いでいたはずの手は自然と繋がなくなり、わたしとひかりちゃんの肩の間には30センチの間が空いてしまって、二人で歩いているのかどうかすら分からないくらい。


 ――ひかりちゃんとちゃんと話せないのなんてイヤだな。でも、間違えてひかりちゃんを傷つけちゃって、ひかりちゃんともう二度と口をきいてもらえなくなる方が、怖い。


 わたしの心は、恐怖でずっと小刻みに震えていた。



 そうこうしているうちに、お開きの時間になる。日曜日の夕方のこの時間の駅のホームは人がまばらで、わたし達のことなんて誰も見ていなかった。


「そろそろお別れの時間だね。ごめんね、最後はなんか、へんな空気になっちゃって」


 わたしの謝罪に、ひかりちゃんはすぐには答えてくれなかった。あれだけ大口を叩いておきながら、最後は姉妹どころか、友達の距離感ですらなかったんだ。腹を立てられても仕方ない。もしかしたらひかりちゃんの恋愛相談も、もう今日で終わりかも。


 駅のホームに貨物列車が通過する旨のアナウンスが響く。そして速度を一切緩めないで貨物列車がホームへと滑り込んできた時だった。


「———————ごめんなさい。こんなの、もう我慢するのは限界です。もう、全てを喪ったっていい。だから、奇跡のような今日と言う日の最後に、最後の夢を見させてください」


 ひかりちゃんはそう、よくわからないことを言ったかと思うと。


 何を想ったのか、わたしの唇を奪ってきた。けれどそれは、わたしとお姉ちゃんが付き合いだしたばかりの時のような、形式だけの唇と唇を重ね合わせただけの接吻じゃなかった。


 ひかりちゃんの唇の柔らかさを感じる暇もなく、ひかりちゃんの舌がわたしの舌を求めて、遠慮なくわたしの口腔へと侵入してくる。わたしじゃない、他の人の体液と自分の体液が交わる。


 お姉ちゃんとでさえ苦手なはずのディープキス。なのに、わたしのことを求めてくるひかりちゃんを、わたしは受け入れていた。むしろ、わたしの方からひかりちゃんのことを求めて、貪る。それも、嫌々じゃない。心から私がしたいと思って、ひかりちゃんのことを求めている。


 心臓がうるさい。脳が蕩ける。気持ちよさの絶頂って、幸せの絶頂って、こういうことを言うんだ、って本気で思った。


 それから。わたしは長い長い貨物列車が通り過ぎる約1分の間。ずっと互いが互いのことを求め、貪り続けた。



 貨物列車が通り過ぎると。わたしとひかりちゃんはようやく唇を離す。二人の交わりあった唾液は意図を引いて、西日を反射して銀色に煌めく。


 ひかりちゃんと接吻を終えた後。気持ちよすぎてぼーっとしていた頭が、ようやく正常に動き始める。


「ひ、ひかりちゃん、今のは……」


 さっきまでの幸せな瞬間が信じられなくて震えた声で尋ねるわたし。そんなわたしに、ひかりちゃんはきまり悪そうに俯く。


「……好きでもない女の子にあんなことされて、東さんのことを傷つけちゃいましたよね。でも、東さんがいけないんですからね。私はずっと我慢してきたんです。東さんにはお姉さまがいるから、私は身を引かなくちゃいけないんだ、って。だから、東さんの幸せのために、お姉さまの恋を応援しようと思った。けれど――好きな人とこんなデートまがいのことをしたら、いくら私が自分の気持ちを抑え込もうとしたって、最後くらい期待したくなっちゃうじゃないですか、ばか」


 がばっを顔を上げたかと思うと。瞼いっぱいに涙を溜めながらひかりちゃんはマシンガンのようにまくし立てる。


「ひ、ひかりちゃん、それってつまり……」


「……そうです。東さんは忘れちゃっているかもしれないですけれど、私と東さんはずっと前に知り合っていて、私はその時からずっとずっと、あなたのことが好きだったんです!」


 駅のホーム全体に響き渡るほどの大きな声でなされた、思いもよらない告白。その反動で、ひかりちゃんの瞼からは涙が零れる。それに、流石にまばらにいた他のお客さんの視線もわたし達に集まる。けれど、わたしだってそんなことを気にしている余裕はなかった。


「……って、ことは、わたしとひかりちゃんは両想い、ってこと……?」


 わたしの言葉にひかりちゃんは固まる。


「えっ、嘘……」


「う、嘘じゃないよ! ……多分。さっきのディープキス、お姉ちゃんとする時はすっごく苦手なのに、ひかりちゃんとは嫌じゃなかったというか、気持ちよかったというか。それだけじゃない。ほんとはわたし、ひかりちゃんともっともっと先のことまでしたいって、そう思っちゃってる。きっとこれは、ひかりちゃんのことをわたしが『女の子』として意識しちゃっているからで、これが『好き』って気持ちなんだと、思う」


 一言一言確かめるように喉の奥から押し出すわたしの言葉に、ひかりちゃんの表情は一瞬、ぱっと明るくなる。けれど、すぐにその表情はまた暗くなる。


「そうですか。東さんも、私のことを女の子として好きになってくれたんですね。それだったら他の人の恋なんて応援していないで、もっともっと早く告白していれば、両想いカップルになれてたんですね。——でも、もう全て手遅れです。私は大馬鹿者です」


「えっ、なんで」


「だって、東さんはお姉さまと付き合ってるじゃないですか」


 その言葉に、わたしは背中にぴしゃりと冷や水を浴びせられたような気持ちになる。


「お姉さまと付き合っていながら、幾ら両想いだからって私と付き合うことなんて許されませんよ。いや、私が許せません。それは浮気以外の何物でもありませんから。今のディープキスだって、誰かにバレたら浮気なんですから」


 そう告げるひかりちゃんは自嘲するような表情になっていた。


「だから、いくら両片思いだとしても、このお話はこれで終わり。今日の最後のことはきっぱり忘れて、姉の恋人と恋人の義妹、彼女との関係に悩む乙女と友人キャラ、姉との関係に悩む新米義妹と妹としての先輩、の関係に戻りましょう」


 そう言って口元に人差し指を添えると。ひかりちゃんはちょうどやってきた上り電車に飛び乗って去っていった。



 そして電車が行ってしまってからも。わたしはしばらくその場に立ち尽くしていた。そして自分の帰りの電車も3本ほど乗り過ごしてから。4本目の電車で、わたしはようやく帰路に就いた。胸にもやもやとした気持ちを抱えながら。

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