第16話 お姉ちゃんのしたいこと

 2時間後。映画を見終わったわたしとお姉ちゃんは喫茶店に入って映画の感想を話していた。


「いやぁ、あの怪獣可愛かった!」


「……前々から思ってたんだけど、双葉ちゃんの感覚ってちょっと変わってるよね。普通に今回の映画の怪獣もグロテスクじゃなかった?」


 わたしを愛しむような目で見ながらも辛辣なことを言ってくるお姉ちゃん。


「そ、そんなことないよ!」


「初めてのデートで水族館に行った時だってオオサンショウウオのぬいぐるみがお気に入りだったみたいだし」


「うぐっ、それは……」


 言葉に詰まるわたし。けれどお姉ちゃんは怒った風でもなく、温かい目をしたまま言葉を続ける。


「でも、そんな双葉ちゃんが、わたしにとってはどうしようもなく愛おしいの」


 お姉ちゃんにそう言われると普通に嬉しくなっちゃう自分の単純さがちょっと悔しい……。


「それにしても、楽しそうな双葉ちゃんも見れたことだし怪獣映画にして正解だったわね。あの恋愛漫画だったらこうはいかなかっただろうから」


「それって、双葉がお子様だから途中で寝ちゃってただろうから、ってこと? それはちょっと……なんかもやもやするな。今の琴音ちゃんがお姉ちゃんじゃなくて双葉の『彼女』であるのと同じように、双葉だって琴音ちゃんの『妹』じゃなくて『彼女』にならなくちゃいけないんだから、琴音ちゃんとは対等でいたいのに」


 ぽろっと漏れたお姉ちゃんの言葉に不貞腐れたように言ってしまうわたし。するとお姉ちゃんは困ったような表情を見せる。


 そんなお姉ちゃんを見て、わたしは「やっちゃったな」と後悔する。やっぱりわたしはまだまだ子供っぽい。こんな風にお姉ちゃんを困らせてばっかりで。そんな、お姉ちゃんの『対等な彼女』がうまくできない自分が自分でイヤになる。


 ——どうしたらわたしはお姉ちゃんの『彼女』になれるんだろう。


 目の前のコーヒーカップに視線を落としながら考える。そのうちに、わたしはとあることを思いつく。


「————琴音ちゃん。今から、琴音ちゃんが見たかった方の映画も見に行かない?」


 わたしの唐突な提案に、お姉ちゃんは驚いたような表情を見せる。そんなお姉ちゃんを気にしないようにして、わたしは映画館の上映スケジュールを調べる。


「あと20分で次の回が始まるみたいだし。映画を2本はしごするのってそれなりに疲れるから琴音ちゃんがもしよければ、だけど」


「わたしはそれでもいいのよ、面白い映画は時間も疲れも忘れられるから。でも……わたしに気を遣っているなら、そんな気は双葉ちゃんに遣ってほしくないわ。それにきっと、その映画は双葉ちゃんは本当は苦手なジャンルだろうし、気になっている映画ではあるけれど来週にでも一人でゆっくり見に来ればいいだけだし」


 お姉ちゃんの言葉にわたしはゆっくりと首を横に振る。


「彼女って一方だけが気を遣うようなものじゃないでしょ。双葉にもちゃんと『彼女』やらせてよ。それに、双葉だって、琴音ちゃんの好きなもの、もっと知りたいから。ダメ……かな?」


 意識的に上目遣いをして見せるわたし。するとお姉ちゃんはトギマギしたように視線を揺らしながら最終的には「わかったわ」と言ってくれた。これまでの経験則からわたしが上目遣いでお姉ちゃんに頼みごとをしたら絶対にお姉ちゃんが折れてくれることは知っている上でやったから、わたしはわるい女の子だと思う。けれど、ちゃんとお姉ちゃんと仲直りして、お姉ちゃんの『カノジョ』になるには、手段なんて選んでられない。


 わたしはパンッ、と、手を叩いて喫茶店の椅子から立ち上がる。


「じゃ、お会計を済ませたらチケットを買ってこようか」



 映画のチケットを購入した時は開演の直前だったこともあっていい席はあまり残っておらず、わたし達は人がまばらな一番後ろの席に隣同士の席を2つ取ることにした。


「一番後ろだから、何をやってもバレなそうよね」


「やめてよ、大勢の人がいるところで変なことをするのは。二つ前の席には他の人がいるんだし」


 不穏なことを隣で囁いてくるお姉ちゃんに念を押しておく。お姉ちゃん、わたしのことが「そういう意味で好き」だから、割と冗談にならないんだよなぁ。


 そんな掛け合いをしているうちに、映画の本編が始まった。


 ◇◇◇


「双葉ちゃん。映画、どうだった?」


 映画が終わり、劇場に再び照明が灯る。既に他のお客さんは退出したようで、がらんとした客席にはわたし達二人しか残っていない。


そんなタイミングで横にいるお姉ちゃんに声を掛けられて、わたしはようやく現実世界に引き戻される。


 80分間、ずっと圧倒されっぱなしだった。だってお姉ちゃんが見たいと言っていた映画は恋愛モノは恋愛モノでも……女の子同士がお付き合いするがっつりとした百合モノだったから。


 お姉ちゃんと付き合う前から、女の子同士でお付き合いすることがある、ってことは知識としては知っていた。10年前と違って今はそういうのもめちゃくちゃ珍しい、ってわけじゃないから。でも、実際に映像として女の子同士が舌を絡ませるディープキスをしたり、恋人同士として同衾するのを見せられると、その……なんか刺激的だった。


 お姉ちゃんがわたしと今後したいのはこういうことなんだよね……。そう思ってちらっとお姉ちゃんの方を盗み見ると、お姉ちゃんの顔は火照っていた。


 そんなお姉ちゃんを見てたらなんとなくわかっちゃった。今のお姉ちゃんはきっと、わたしともっと進んだ恋人っぽいことをしたいけれど、必死にそれを抑えてるんだろうな、って。なぜなら、わたしを傷つけたくないから。それがわかったから。


 わたしは深く息を吸い、意を決してから


「琴音ちゃん、ちょっとごめんね」


と断ると、お姉ちゃんの唇を奪う。でもそれだけで終わらせずに、もっと深く、深く、舌をお姉ちゃんの口の中へと伸ばす。するとお姉ちゃんもわたしを求めるように舌を伸ばしてくる。そしてお姉ちゃんとわたしの舌は出会い、交わる。


 絡み合う2人の女の子の唾液。そのねちゃっとした感覚は単にキスをした時の気持ちよさを通り越して、わたしではない「異物」が自分の中に侵入してくることに若干の気持ち悪さを感じてしまう。これはお姉ちゃんだから特別に、ってわけじゃない。誰かとそういうことをするという心の準備ができていないから、誰としたってこんな気持ちになっちゃう。


 けれどわたしはその気持ちに必死に蓋をして、我慢する。これがお姉ちゃんのやりたいことで、これはお姉ちゃんの「彼女」になるために、「特別」であり続けるために必要な過程だと思ったから。

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