第14.7話 妹になった日 ~とある少女の話~
それからどのくらいの間だろうか。ひかりはトイレの個室で、声をあげて思いっきり泣きじゃくった。
泣いて泣いて泣きまくった末。身体中の水分を出して、涙も枯れて泣く体力もなくなったひかりは、よろよろと個室から出てくる。
不意に、泣き腫らして目元を真っ赤にした、長い黒髪もぼさぼさになった少女が鏡に映るのが視界に入る。それを見てひかりは自嘲を漏らす。
――ははは、我ながら酷い顔ですね。とてもじゃないけれど好きな人に見られたくないです。姉妹になるのが東さんじゃなくて、ある意味助かりました。
心の中で痩せ我慢を呟くと、余計に虚しくなってきた。
化粧の上塗りで涙の跡を誤魔化した後。父親たちの前で見せる笑顔の練習を、強張った頬を無理矢理ほぐして行う。満足のいく笑顔が作れると、何もなかったかのように、ひかりはトイレから出た。ひかりが戻ると、本日の顔合わせはもうお開きになる頃合いだった。
それから。琴音とひかりの親の再婚手続きはとんとん拍子で事が進んだ。
琴音が本心でどう思っていたのかは、ひかりにはわからなかった。けれどひかりも、そして琴音も、表面上は親の再婚や新しい家族ができることに好意的である風を装ったこともあって、顔合わせから1週間後にはひかり達の親は入籍した。それに伴い、ひかりは琴音達の家に同居することになった。それは、3年前まで琴音と双葉が両親と共に暮らしていたマンションだった。
ひかりが琴音と同居することになった1日目の土曜日の朝。
「ひかりさんのお部屋はここね。双葉ちゃん――わたしの妹だった子が使ってた部屋なの」
琴音にこれから自分の部屋となる空き部屋に通された途端、ひかりは胸がじんわりと温かくなっていくのを感じた。
――そう言われると東さんの匂いがする気がします。し、幸せすぎて死にそうです……。
ひかりがあまりに幸せすぎて悶えてる時だった。
ふと琴音が何を思ったのか猫撫で声で「双葉ちゃん……」と嬌声を呟いているのに気づいた。そしてもう無いに等しい双葉の残り香を追い求めるようにそっとカーペットを撫でる。
明らかに姉の妹に対する感情としては行き過ぎた行動。そこでひかりはとある可能性に気づいてしまった。なぜなら、琴音の行動があまりにも今の自分と重なってしまったから。
「……もしかして、西園さんってあず……妹さんのこと、妹以上として――女の子として好きだったんですか?」
ひかりの口にした疑問。それに、琴音は分かりやすく青ざめる。それから。琴音は諦めたように視線を伏せる。
「……ごめんなさい。今日から同居するあなたには共同生活を円滑に進めるために隠し通さなくちゃいけないのに、早くもボロが出ちゃった」
琴音の告白にひかりは正直驚いていた。ひかりの目には、琴音と双葉は仲のよい姉妹としてしか映っていなかったから。
「……因みに、妹さんは西園さんの気持ちには気づかれてるんですか?」
ひかりの言葉に、琴音はゆっくりと首を横に振る。
「双葉ちゃんは多分、気づいていないわ。ひた隠しにしてきたし、双葉ちゃんって勘の鈍いところがあるから。けれど、お父さんとお母さんには気づかれちゃった。そして、こんな気持ち悪いわたしが原因で、わたし達の両親は離婚しちゃったの」
それから、琴音は簡単に琴音の母親と父親が離婚し、母親が琴音を、父親が双葉を引き取ることになった経緯を語った。
「女の子を、しかも実の妹に恋愛感情を抱いてるなんて、気持ち悪いわよね、わたし。関わりたくないわよね」
自嘲するように遠くを見るような目になって琴音は言う。けれど次の瞬間。
「でも、なるべく家でも、学校でも関わらないようにするから我慢して。同居1日目からあからさまに仲が悪そうだと、こんな気持ち悪いわたしのことを棄てずにいてくれて、今だってわたしのことを想って再婚してくれたお母さんに、合わせる顔が無くなっちゃう。今度こそわたしは、親の期待を裏切らない、ちゃんとしたお姉ちゃんにならなくちゃいけないのに」
悲痛な表情で訴える琴音。彼女の身体は恐怖のために小刻みに震えていた。
そんな琴音に見つめられながら、ひかりは考える。
——あんなにお似合いだった東さんとお姉さんが、今は親から会うことすら禁じられていたなんて。
ひかりの中に一瞬だけ、これはひかりが初恋相手と結ばれるチャンスかもしれない、と言う考えが頭をもたげる。けれどひかりはすぐにその考えを自分で否定する。琴音と双葉の「好き」はきっと違う。けれど今でも二人は思い合っていて、だから親の言いつけを破ってこっそりと会っている。そんな二人の関係を、ひかりは邪魔をしたくなかった。誰よりも双葉の幸せを祈る者として、そして互いに互いを思い合う東姉妹に魅せられてしまった者たちの代表として。
——私が本当にしたいことは、姉妹百合の間に挟まって、東さんの気持ちを踏み躙って自分だけ好きな人と一緒になることじゃありません。東さんが、東さんの大好きなお姉さんと誰よりも『特別』で居続けることなんです。そんなわたしがすべきことは……。
そう思ったひかりは、そっと震えたままの琴音の手を包み込む。そして。
「私は、気持ち悪いなんて思いません。私だって実は女の子しか恋人として見られないんですから、お揃いです。だから、そんな寂しいことを言わないでくださいよ、お姉さま」
ひかりの言葉に琴音は驚いたように顔を上げる。それを気にせずに、ひかりは優しい口調で、更に言葉を重ねる。
「それに、私はお姉さまの妹さんがどんな女の子かよく知りませんけれど、きっとお姉さまと妹さんは美少女同士でお似合いのカップルになると思います。だからお姉さまの恋、私にも応援させてください!」
「……実の妹のことを好きになっちゃったわたしのことを、気持ち悪いって思わないの? それどころか、わたしの恋を応援してくれるの……?」
目を丸くする琴音に、ひかりは大きく頷く。
「はいっ! 私、女の子と女の子が仲睦まじそうにしてたり、付き合っているのを見ると、自分の胸もときめいちゃうんです。だから私も、お姉さまと妹さんが付き合っているところを見てみたいんです。もちろん、妹さんの気持ちも尊重してあげる必要がありますけど」
ひかりの言葉に、琴音は感極まったように手を握り返してくる。
「ありがとう、ひかりさん。わたし、自分の恋をこんな風に応援してもらえたの、はじめて……」
琴音の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。そんな琴音のことをひかりは優しく抱きしめながら囁く。
「感謝されるほどのことはまだできていませんよ。けれど、私達はもう姉妹なんですから、私のことも、妹さんと同じように『ひかりちゃん』って呼んでください。私も、お姉さまのことはお姉さまって呼びますから」
「う、うん、ひかりちゃん……!」
ひかりの胸の中で泣きじゃくる琴音。そんな琴音の頭を撫でながら、ひかりの胸はどこかきゅっと痛んだが、ひかりは気づいていないふりをした。
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