夕刻に転寝うたたねから目が覚めたのは、暑さの所為ばかりじゃない。



 実際、シーツを湿らせるくらい汗だくで、体中ベタベタしてて気持ちが悪いけど、そればっかりが原因じゃない。



 決め兼ねてる「問題」がある所為もある。



「暑……」


 のそりとベッドから下り、ベランダがある南向きの窓を開けると、外から生温い不快な風が入ってくる。



 洗濯物がよく乾くから南向きのベランダがいいと姉に言われて借りたマンションの部屋は、その窓の所為で夏場は暑さが半端ない。



 射し込む強い陽射しが室内の温度を上げ、籠もった熱がクーラーを効きにくくさせる。



 Tシャツの首元を掴みパタパタと動かすと、汗が冷えて少しだけ涼しくなった気がした。



 そういえば、彼女は俺から太陽の匂いがするとよく言っている。



 準備室や資料室にこっそりついて来て、たまにふたりきりになると抱き付いてくる彼女は、クンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。



 この南向きにあるベランダの所為で、否応なしにする服からの太陽の匂いを嗅いで、「先生は太陽の匂いだね」と言う。



 嫌みなのかと思う時もある。



 お天道様に顔向け出来ないような事をしてる俺に、嫌みを言ってるのかと。



――教え子に手を出すなんざ、お天道様に背を向ける行為だろうよ。



 無邪気な彼女は無邪気な笑みで、俺に現状を知らしめる。



 この関係がどういうものなのかを突き付けてくる。



 抱き付かれたまま、抱き返す訳でも引き離す訳でもない俺を、彼女はどう思っているんだろう。



 未だ完全には踏み込めず、それでいて引き返す事も出来ない俺に、彼女は気付いているんだろうか。



 そんな事を考えたところで、現状は何も変わらないんだけれど。



「さて、と」


 気を取り直して窓を閉め部屋に向き直ると、ベッドの上に散らばっている、転寝する直前まで作ってた補習用のプリントが目に入る。



 やらなきゃならない事が山積みで、遊んでる暇はない。



「忙しいんだよ、俺は」


 独りごちた理由は、目覚めた原因である「問題」を頭から追い出す為。



 やらなきゃいけない事を片付けるには、頭の中にある「問題」を追い出す必要がある。



 悩む必要はどこにもない。



 こっちの意思は伝えてある。



 無理だとちゃんと伝えたんだから、悩む事はない。



 はずなのに。



――でも本当は先生と、明後日のお祭り一緒に行きたいな。



 ここ二日、彼女からのメッセージの内容が頭の中から離れない。



 普段何も言わない彼女からの言葉だけに、その願いは重い。



「いや、無理だろ……」


 思わず口から言葉を吐き出し、ベッドの端に腰を下ろした拍子に洩れる溜息。



 やらなきゃいけない事と、やってやりたい事の狭間で気持ちが揺れる。



 どうするのが正しいのかと思う気持ちと、自分はどうしたいんだと考える気持ちに揺さぶられる中、ふと昨日の彼女を思い出した。



 夏休み中にある登校日で久々に会った彼女はいつもと変わらず、秘密と気持ちを胸に仕舞い「生徒」をしていた。



 あんな素っ気ない二文字のメールのあとなのにも拘わらず、拗ねた様子も不貞腐れてる様子もなく。



 彼女は二週間前に見た時と同じ、「生徒」をしていた。



 あの年頃の子供ガキにしてはよくやってる方だと思う。



 我儘を言わないところも、我慢をするところも、あの年頃の子供にしてはよくやってる。



 ただやっぱり子供は子供だから――と、思う。



 教師を好きだなんて思うのは一過性のもので、すぐに飽きて、気持ちも冷めてしまうんだろうと思う。



 昨日ホームルームが終わったあと、廊下でクラスメイトの長嶺と話してた彼女が、走り去っていく長嶺の背中を見つめているのを見掛けた。



 やっぱり同い年の方がいいのか――と、思って正直イラついた。



 何故イラついたのかを考えて、悟りたくない気持ちを悟る。



 俺はもう引き返せないところまでは気持ちが出来てる。



 完全に踏み込んでしまうのも時間の問題で、そうなれば今よりもリスクは大きくなる。



 そうなる前に、どこかの男が彼女を連れ去ってしまえばいい。



 連れ去ってしまえば――。



「――気に入らねえよな」


 言葉と同時にまた溜息が出た。



 追い出すはずの「問題」が頭の中で大きくなる。



「キリがねえなあ」


 ギシリと音を立ててベッドから立ち上がり。



「徹夜でプリント作ればいいか」


 無駄に大きくなった「問題」を片付ける事を決心する。



「連れてかれちゃ困るからな」


 とりあえずシャワーを浴びてから出掛けようと、俺は風呂場に向かった。

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