それは、本当に毒親ですか?
星咲 紗和(ほしざき さわ)
本編
近年、「毒親」という言葉が、広く使われるようになりました。インターネット上やSNSでは、親に不満を抱く人たちが「自分の親は毒親だ」と語る場面が増え、その認識がどんどん広がっています。確かに、一部の親は子どもに対して有害な行動を取っている場合もあります。しかし、その一方で、「毒親」という言葉が一人歩きし、本当にそうかどうかを慎重に見極めずに使われているケースも多いように感じます。
では、何をもって「毒親」と言えるのでしょうか?単に厳しい親、過保護な親が「毒親」だとされるべきなのでしょうか。
私自身、過保護で心配性な両親に育てられました。「あれはダメ、これもダメ」と制限されることが多く、自由にできないこともありました。それに対して「嫌だな」と感じることも確かにありました。しかし、それが直ちに「毒親」だと言えるかどうかというと、私はそうは思いません。なぜなら、その背後には親なりの理由や思いがあり、私を守ろうとする意図が感じられるからです。何より、感謝していることも多くあるのです。
一方で、毒親と感じる人の中には、一度の叱責や注意を受けただけで、親を「毒親」と断じてしまうケースも見られます。親子関係における感情的な摩擦は避けられないものですし、すべてが毒親的な行動とは限りません。親は子どもを正しい道に導こうとする役割も果たしており、時には厳しい態度を取らざるを得ない場面もあります。そうした一時的な厳しさや注意が、すぐに「毒親」とされるのは、やや行き過ぎではないでしょうか。
もちろん、親の過剰な干渉やコントロールが子どもの自主性を奪い、自己肯定感を損なうようなケースもあります。例えば、子どもの選択を常に否定し、親の意志を押し付け続ける場合、それが長期的に子どもに悪影響を及ぼすこともあるでしょう。しかし、ここで重要なのは、親の意図や動機、そして子どもがどのようにそれを受け取っているかのバランスです。
親子関係は複雑で、多面的です。親の行動には善意があっても、子どもがそれをストレスとして感じる場合もあります。その逆もまた然りです。だからこそ、親を一方的に「毒親」とラベル付けする前に、何が本当に有害なのかを見極めることが必要です。親の行動が単なる心配からくるものなのか、それとも子どもの成長や自己実現を妨げるものなのか、その違いを理解することが重要です。
私たちが「毒親」という言葉を使うとき、その言葉の重みを理解し、本当にその親が「毒」なのかどうかを慎重に考えるべきです。親の意図、行動、そして子どもの受け止め方、そのすべてを見つめ直し、感情的に決めつけるのではなく、対話や理解を通じて関係を改善する道も模索するべきかもしれません。
「それは、本当に毒親ですか?」と問いかけることで、親子の関係に潜む真実を見つけ出すきっかけになることを願っています。
それは、本当に毒親ですか? 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92
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