第十六話 続・三日月が似合う神明社-梢子が思い出の織女神にあずけた鍵-

 私は珊瑚梢子さんごしょうこ。地方ケーブルテレビで仕事をもらうフリーのキャスター兼リポーターだ。今日は母校の近く、麻布の元神明近くに出来た造り酒屋のアンテナショップの取材で来ている。




 だが今は前日、前のりだ。なんでも関東中央ケーブルネットワークという会社の広告番組の依頼。取材レポート兼広告の構成番組。麻布に新しく出来たショッピングモールの一角に地酒アーケードというエリアが作られて、各地の銘酒を取りそろえるというコンセプトらしい。




 私に当てられたのは、造り酒屋の試飲ブースである。昔風に言えば「角打ち」と言うらしい。まあ、どうでもよいおじさんたちがたむろする酒飲み場を案内するだけで、交通費を差し引いても一日三万円以上になる。悪くは無い仕事だ。撮影のドレスコード、和服のレンタル料が少々痛いぐらいだ。




 小綺麗に着飾ったアラサーの私は、かつての大学卒業当時、キャスター職に憧れていたころの新鮮さはもう無い。行く末の不安と面倒なクライアントのわがままを聞いては、我慢と忍耐で仕事をしている毎日。何のためにそこそこの大学を出たのか分からない無駄な人生を過ごしている。こんななら行かない方がマシだったとさえ思う日もある。現状に満足できていない証拠だ




 下見を終えて、地下鉄の駅に戻ってきた私は、ふらっと安酒の飲める居酒屋に入る。ここは住所で言えば麻布になる。大学近くにある懐かしの店だ。小綺麗な格好の今日の私はここに不似合いで、店の造りはどちらかというと気さくで庶民的な感じだ。


 髪にはおとなしめのヘアバンド。白のファー調のワンピース。白いストッキングに紅のローヒール。クリスマスを意識した装いだ。明日のリポートは着物なので、自分らしさを出すために今日は自分好みの洋装である。




 その懐かしい店の引き戸をガラガラと横に走らせて縄暖簾なわのれんを潜った先に、美味しそうに猪口をすする見慣れた人物を発見する。


「あ」


「あっ!」


 二人の声が重なった。瞬時に彼も私が分かったようだ。




「あれ? 珊瑚さんごじゃないか」と猪口をテーブルに置く男性。


 決して広くは無いその店内に彼の声は響いた。まだ開店すぐで客は彼しかいない。


「石鯛先輩?」


 そう、彼は大学の先輩だ。


「ひとり?」と訊く彼。


「ええ」


「相変わらず美人さんだな」と笑う先輩。気取らない笑顔も変わらない。昔のままだ。


「なによ、もう酔っているの?」と気心の知れた人物に遠慮無く言い返す。




 照れくさそうに「まあね、景気づけの一杯だ」と徳利を私に見せた。おそらく中身は彼の好きな久保田だろう。


 この先輩の口癖だ。昔と変わっていない。『景気づけの一杯』が深夜まで続く深酒派なのだ。


「相変わらずね」というと、彼は自分のテーブルの前の空席を目線で勧める。


 私は軽く頷くと、ハンドバッグを足下の荷物カゴに入れる。


「しょうがない、昔なじみで先輩の相手でもしてやるか!」と恩着せがましくも、軽く笑って彼の前に座った。そんな上から目線の言葉だが、既に私の心は『焼け棒杭ぼっくいに火』って感じだ。嬉しさと懐かしさと愛しさが止まらない。




「何、仕事?」と彼。少し猫背気味で相変わらず美味しそうに日本酒をすする。そう、この姿が学生時代の私の理想、好きな男性像だっだ。友人に言わせるとこの理想は二十歳そこそこの女性ではちょっとイタいらしい。




「うん、最後の仕事でね、私もう辞めるんだ」と切り出す私。


「何? 結婚するの」と心配そうな顔がまた懐かしい。その心配は私を必要としてくれる顔なら嬉しいのだが、この男誰にでも善良なのだ。近所のおじさんや親戚のお兄ちゃん的な心配の仕方である。




「逆よ。この仕事してたら、婚期逃すわ。男っ気なんてまるで無いし」と髪をかき上げて笑う私。


 思い過ごしかも知れないが、先輩の顔が少しほころぶように見えた。




 給仕さんから届けられた猪口を私が手にすると、先輩は自分の徳利から日本酒を注いでくれる。


 私が一礼してくいっと飲み干すと先輩は続けた。


「相変わらず真面目だな、珊瑚は」と笑う。


「先輩こそ、こんな大学の近くで思い出探しでもしているの?」


「僕も仕事。こう見えても、僕酒造会社の専務だから」と笑う。


「ああ先輩のご実家造り酒屋だったもんね。学生の時皆で押しかけたっけ。足利だった」


「そうそう」


「実家を継いでいるんだ、偉いね」と軽く日常会話の流れで言ってみる。


「なんだその近所の子どもに駄賃をくれる時みたいな褒め方は?」


「絡むわね」と笑う私。


「僕は明日、専務として立派に仕事して、ケーブルテレビに出るんだぞ」と威張ってみせる先輩。


 そこで私、「ん?」と何か引っかかるモノが脳裏を横切った。


『造り酒屋とケーブルテレビ』


 なんだこのパズルの組み合わせのような鍵言葉キーワード。


「先輩って、あのディアナショッピングモールの銘酒アーケードの特番に出るの?」と訊ねてみる。


「何でお前が知っているんだよ? 仕手せんがらみか?」と茶化す先輩。


「アタシは株屋じゃ無い!」


「じゃあ、何で知っている。どんな理由だ?」


「その番組のリポーター、アタシだよ。先輩」と笑った。




「おお、まじか?」


「まじだよ」


「僕、大学の後輩にインタビュー受けるの?」


「そう言うことね」


「旅行研究会の後輩がインタビュアーですか」


「こんな偶然もあるのね」と笑いながらも私は、おきまりで好物の焼き鳥を注文した。






 翌日のディアナショッピングモール。明日の開店を控えた最終チェックがあちこちで進んでいる。そんな中一発撮りの仕事は順調に終わった。


 真新しいパーテーションで区切られた銘酒ブースは、まだ木の香りがする新築住居と同じ香りだ。私はオフにしたマイクを持ったままヤレヤレという顔で仕事を終えた。


「珊瑚、ありがとうナ」と先輩、石鯛縞五郎いしだいしまごろうは私に礼を述べた。結構緊張しいなところも昔と変わっていなくて、私には微笑ましく思えた。




 その傍らでは先輩の父と妹さんが会話している。


「沙織、今日は鮭野さけのくんは来ないのか? この試飲ブースの感想が知りたいんだよ」


 足利から駆けつけた石鯛酒造の当主、即ち先輩の父はそわそわしながらブースにいた。オールバックにグレーの髪で、酒造会社の半被を羽織って店内を行ったり来たりで落ち着かない様子だ。


「声かけもしていないから、今日はお仕事してるわよ」


 呆れたように目を細めながら父親を宥める妹さん。


 まあ本来であれば、新しいアンテナショップを酒造会社仲間と立ち上げたのだから社長さんとしては、もっと中を見て回るのがスジかな、と私は思っている。




 だが『おまけ』で呼ばれてきている先輩の妹さんはかなり迷惑そうだ。私は、三つ歳下の彼女とは面識がある。そう私たちが学生時代、先輩の家にお邪魔したときは、彼女はまだ高校生だった。




 やることも無くただカウンターの椅子に座っていた先輩の妹に声をかける。


「妹さん、私を覚えている?」


 彼女はハッとして、


「あれ? 昔、ウチに泊まりに来ていた兄の大学の旅行研究サークルのおねえさんですよね。ミスコンの優勝者の美人おねえさん」とすぐに分かった。私の顔は覚え易いのだろうか。


「そうそう、美人かどうかは分からないけど、ご無沙汰しています」と私は笑顔で一礼をする。


 和服の私を確かめる彼女。何かを悟ったように、はっとして、


「じゃあ、さっきウチの兄にインタビューしていた和装のリポーターの方って……」と言いかけた彼女に向かって、「はい、私よ」と持っていたマイクをビュと彼女に差し出して見せた。


「ええっ?」と驚く妹さん。


「これって偶然なんですか?」


「そうなんですよ、ばったりと」と笑う私。




 妹さんは頷いて、


「御利益ごりやくですかねえ」と小声で笑った。


「何の?」と私。


「昨日ね、兄は私と一緒に足利の町中にある伊勢神社と織姫神社に、あ、私たちの町では『お伊勢さん』、『織姫さん』で通るんですけど、そのふたつの神社にウチに新しいブランドの日本酒を奉納してきたんです。そのまま兄は前日に東京に出て行きました。学生時代に行きつけだった縄暖簾の赤ちょうちんに行きたいって言って、その場で東武駅で特急券を買って前日に前ノリしたみたい。可愛い妹を置き去りにして。おかげで帰りは私がひとりで車の運転をして家に戻ったんです」




「ああ、夕べの話ですね。学生時代によく行った店、昨夜そのお店で先輩とお会いしました」 




 すると妹さんは思わせぶりな顔で私を見る。




「今朝、この会場に来たら、兄、何て言ったと思います」


「さあ?」


「昨夜ゆうべ、学生時代に好きだった後輩の梢子に飲み屋でばったり会っちゃってさ、織姫さんとお伊勢さんにお参りすると良いことあるもんだね、と上機嫌で品物の展示に精を出していたんです。よく働いてました。美人の効果覿面ですね」


「あらまあ」


 私は開いた右の掌で口を被う仕草で笑った。美人という言葉に少し恥ずかしくなっている。この業界にいると容姿に自信のある人などごまんといる。私など十人並みだ。




『確かにあの時足利に行ったときに、美人弁天神社で美人の認定書はもらった記憶あるけど』とほくそ笑む私。




 だがそれよりも先輩が自分をそんな風に見ていてくれたなんて、自然と嬉しさがこみ上げる。しかもその妹さんを介してとはいえ、想いを知ると嬉しさから顔が熱くなる。




 そう、なぜなら私も学生時代に先輩と付かず離れずのポジションにいたのは先輩が好きで、もしかしたら告白してくれるんじゃ無いかな? なんて調子のよいことを考えていたからだ。そして他の女が先輩に言い寄るんじゃないかと見張っていたのもあり、当時としては、最良の特権ポジション、常に先輩の横に身を置いていたのだ。




「先輩、他には何か言ってました?」と気になっている私の質問。


「うーん」と顔をしかめる彼女。




 しばらくして先輩の妹、沙織さんは悪戯顔で頬を緩ませると、


「内緒ですよ」とそっと耳打ちした。


「学生の頃、兄はおねえさんが好きだけど、あんなに美人でミスコン優勝しちゃったから遠くから眺めているだけでいいんだ。告白しそびれちゃった」と悄気しょげてました。


「ええ、両思いだったんだ」と思わず声に出す私。いや、そんな重大な情報、声を出さずにはいられなかった。


『しまった!』


 そう思い返した時は既に遅し。妹さんの顔がニヤリと笑う。


「良いこと聞いちゃった」と小学生なみの企み顔である。この美形小娘、結構やり手とみた。




「私、今の彼氏とは小さなお節介で繋がっているんです。だからこういう程良いお節介が大好きなんです。キューピッドは私!」と唐突な台詞を私にかます。


「なに?」と私は首を傾げた。意味が分からない彼女の台詞は私に伝わっていない。


 そう言った瞬間に彼女はカウンター席から立ち上がると、ニヤリと私の顔を一瞬見て、「おにいさま~」といたずら声を出して、ピュっと売り場の兄の元に走り去って行った。


 呆気にとられる瞬時の出来事にその場に佇む私だった。






 そのショッピングセンターの一件から三年が過ぎ、私は足利の石鯛酒造にいた。渡良瀬川の綺麗なせせらぎと赤城、日光の連山を見渡せる緑豊かな平野の町だ。


 伊勢神社にお酒を納めると、「じゃあ次は織姫さんだね、若女将」と縞五郎さんが言う。


 市役所の手前の横道から左に入ると、葛籠折つづらおれの坂道を走る自動車。対向車を気にしながら織姫山の中腹、神社の駐車場へと辿り着いた。


「ここはさ、伊勢神宮の女神もおいでになる神社なんだ」と主人。


「そうでしたね。以前、結婚式の時に聞いたわ」と私。


「だから君と僕は土地の縁もあったのかな?」と笑う。


「どうかしら?」とまんざらでも無い顔の私。すっかりこの町に馴染んでいるのが自分でも驚きだ。




「隣町の桐生とここ足利は絹織物の産地。お蚕さんと機織り機は町の発展とは切り離せない場所なんだ。そして何と言っても糸。ご縁の象徴だね」


「そうね。赤い糸なんてよく言うモノね」


「覚えている、我が家に泊まりに来たあの学生の夏の日、梢子と僕はあの鉄柵に一緒に鍵をかけたんだよ」と笑う。


「覚えているわ。私が引っ張っていって一緒にかけたじゃない。だって嬉しかったんだもの。好きな人の実家にお泊まりなんてなかなか出来ないから。先輩のお嫁さんになれるかな? なんて甘酸っぱい思いをしながらあの鍵をかけたわ」




「なれたね、奥さんに」と頷く縞五郎さん。見渡す高台から町の風景と渡良瀬川の光る水面が見える。夜になるとここは関東の月景色百選に選ばれている月見の名所だ。


「なれたわ、妻に」




「元神明、足利のお伊勢さん、そして織姫さんと僕らにはご縁を取り持ってくれた神さまが沢山だ。お礼をしながら幸せにならなきゃね」と笑う縞五郎さん。


 そして続けて「頼りない僕だけど……」といった言葉を、私は断ち切る。


「そこが良いんです。私にも考える場をくれるあなたのその性格が私には合っているの。上からでも無く、強引でも無く、亭主関白でも無い、あなたのその性格がとても居心地が良いの」


「そっか」と嬉しそうに答える縞五郎さん。


 熨斗紙で包んだ二本束の清酒を抱きかかえると主人は車を降りて神社の藤棚を潜る。




 和服の私は少し後ろを静々と小幅に歩きながら付いていく。


 端から見たら、酒蔵さかぐらの若女将は板に付いているのだろうか?


 朱塗りの社殿を右手に見ながら、ここで挙式した昨年を思い出す。私の両親は凄く喜んだ。何故って? 私の両親は、三重の出身なのだ。萬幡豊秋津師比売命よろづはたとよあきつしひめのみこと、別名栲幡千千姫命たくはたちぢひめのみことはこの神社のご祭神の一柱ひとはしら。内宮さんのご相殿右方の女神さまである。伊勢の香りのするこの神社での挙式をとても喜んだ。


 緋絨毯の参道を和傘で参る白無垢の私に涙してくれた両親と義両親。運命を信じるほどの信心深さがあるとは言えなかった独身時代の私だが、酒蔵で過ごし、神社と結びつきのある今の生活の中で、日増しに運命という、何らの人の手や偶然が織りなすモノから素直に信じる気持ちが生まれている。そう考えなければ、先輩、いや主人との再会はあり得ないし、今の生活もありえない気がしたのだ。




「早くおいでよ」といつの間にか数メートル先に行ってしまった主人が手招きをする。


「はい、ただいま」と着物の絹裾をはだけないように押さえながら急ぎ足の私。


 よき晴れの日のおかげ参りといったところだろうか。足利の町とこの神さまに笑顔を向ける私だった。




                              了


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