第一.二五話 シノブの目覚め、ヒカルの覚醒

 確か..自分の胸を思いっ切り、何度もハサミで刺した筈。そして実際に肉眼で見た多量の出血具合。其れも自分の肉体発、コンビニエンスストアーの店内行き。詳しくは地球の重力も関係して、コンビニエンスストアーのフロアー行き。後々の掃除がチト大変そう。

 あれだけの出血で在れば、恐らく自分は死んでしまった筈だが、たったイマ目が覚めた。目が覚めたと云う事は、事前に意識を失った事を意味する。ウン、確かにシノブは気を失った。だからシノブは、こうやって新たに目を覚ました。意識が朦朧として居るシノブは、コンビニエンスストアーの地面に仰向けで横たわって居て、視界に白い天井と、天井に向けて開帳して居る脚立が映る。あの天辺の脚立の踏み台から落ちて、今のシノブの描写が在る。

 

「あ、アノ..大丈夫、ですよねッ?ハハ!」

 性別不能な甲高い声の持ち主の問い掛けをキッカケに、シノブは本格的に目を醒ました。台詞の最後の「ハハ!」は、シノブに声を掛けた目撃者のヒカルによる、シノブの生存に対する安堵確認に対する誤魔化し。何年にも亘り、このヒカルは他人と対面で会話をして居ない。コンビニエンスストアーでも、電子レンジ調理を必要とされる食品は絶対に買わない。店員との無駄な会話を避けたいのが主な理由。会計を済ます時にさえ、両掌に汗を掻いてしまう位なのに、会話ナンテ..

「コチラ、温めますか?」に対して、「コクリ..」だけの反応は、チト相手に対しても敬意を支払って居る気がしない(失礼だろ、そんな対応..)。かと云って「..ア、はい..お願いします..」も言えないヒカル。だったら一層の事、商品を買わない方がマシだ。そんな思慮深い、引き篭もり要素のヒカルが、其れまで立ち読みして居た漫画雑誌を丁寧に本棚に戻し、内股寄りの若干小走り気味、シノブが倒れて居る現場に向かった。やって来る恐怖から逃げ出す事も出来た。だが無意識にシノブの元に歩み寄った。何故だか分からない。

 シノブが脚立だと思って居たモノは実は低い踏み台で、一番高い品棚で新しい商品を品出しする為に、背がチト低いシノブの必須の作業道具。コレが無ければ奥の深い所まで手が届かない。では“血”と云うと、実は血では無くてトメィトケチャップ。透明なチュウブ入りで寸法は大。この商品のトメィトケチャップのチュウブを品出し中のシノブは、包装紙を開いては頭の天辺から「グジュっ!」搾り取っては、全身に隈なく塗した。左手にチュウブを持って握り潰し、右手で頭部、特に顔面を執拗に塗り塗り「ヌリリンコ」させては、ドロリと感じる肌の感覚と、血を浴びて居る様な快感を覚える。そして其のママ気分は盛り上がって卒倒

 (ア、死んじゃう。コンビニで。ウケる!)

 勿論死なない、トメィトケチャップでは決して死ぬ事は無い。

「あ、アノ..大丈夫、ですよねッ?ハハ!」

 両眼をユックリと開き、天井を朧げに眺めるシノブの頭上辺りから聞こえて来た。

 (最後の「ハハっ」って、今のシノブの状態をバカにしてんの..?)

 シノブは思った。

 視界に細長い手が「ニョッキ」っと、入り込んで来た。今の展開で推測すると、恐らくコノ手はシノブの事を立ち上がらせたい..)

 シノブは思った。

 二回目の“シノブは思った”の台詞と交換に、シノブは其の手を強く握り締めて、弱々しくも立ち上がった。身体を空中で急に動かしたら、トメィトケチャップの酸味の強い香りが酸素と交わって、チト「オエっ。」シノブの両方の鼻腔に入り込む。ヒカルの手を握ったまま、完全に直立不動したシノブ。シノブと正面を向き合ったヒカル。ヒカルと正面を向き合ったシノブ。背丈は一緒位で年齢もホボ同年代。そしてお互いに性別不詳の二人。

「あ、アノ..大丈夫、ですよねッ?ハハ!」 

 気が動揺して居るヒカルが、シノブに対して二回目の同じ台詞を吐く。

「..有り難う御座います..ですけど、最後の“ハハっ!”ってチト失礼過ぎません?」 

 開口一番、シノブはヒカルに問いた。シノブの両眼は、シッカリとヒカルの顔面を直視して居るが、ヒカルは云うと、シノブの両目を見る事が出来ず、たまたま視界に入った棚の『ハッピーターン』、其の包装パッケージを傍観する。ここにヒカルの弱さが露呈。

 ヒカルの手を握る、トメィトケチャップでベトベトのシノブの手に力が少し入った。

「アナタ、シノブに似てる。」

 このシノブの一言で、思わずヒカルは視界を目の前のシノブにやった。初めは顔の中心に在る“鼻”に焦点を合わせ、トメィトケチャップの臭いのせいで「ヒクヒク」して居る鼻穴から、徐々に目線を上昇。ヒカルが数年振りに見る人間の二つの◯い眼球、ようやっと二人は顔を合わせた。恥ずかしさの余り、ヒカルの顔面が赤らむ。

 (ア、そうだ、人間の顔ってコンナ感情だったけ..)ヒカルは呟く。

「あ..御免なさい..今の“ハハ!”の台詞は恥ずかしさを誤魔化す為にウッカリ吐いてしまったんだと思います..。本当に、大丈夫デスか..?」 

「うん、どうやら大丈夫だったみたい。アハっ、只ケチャップを頭から被っただけだから。有り難う、本心からの言い訳をしてくれて。アナタ、名前なんて云うの?私はシノブ。」

「わ、私は..ヒカル..」

「知ってた。シノブはヒカルの事をずっと知ってた。ヒカル、このお店に良く来るでしょ?それも絶対に深夜。アナタ、人が苦手って云うか、人間が嫌いでしょ?シノブには分かるの。」

「あ..ヒカルの事、前から知ってたの..?店員には存在を知られたく無いから、絶対に会話しなくても良い買い物しか此処ではしなかったのに..」

「ハハっ!うん似てる、似てるね私達」

 コンビニエンスストアーのシノブは見て居た。ヒカルが深夜に訪れては、必ず小一時間位は雑誌の本棚の売り場に佇み、「ぶつぶつ..」と呟いて居る。そして其の後、必ず何か、お菓子を代表とする“乾き物”を購入して、無言で退店する。決して電子レンジでの加熱が必要な出来合い食品は買わない。雑誌や漫画本も買わない。立ち読みの行為は、店内に長く滞在出来る為の偽装行為にしか過ぎないのをシノブは見抜いて居た。

 シノブが「いらっしゃいませ」

 声掛けしても、商品購入の際に、

「有難う御座いました」

 と返信を期待しつつも、ヒカルは絶対に目を合わせずに、軽く会釈するだけで其のまま退店。シノブは、ヒカルの呟く「ぶつぶつ ..」の内容に付いて、実は気付いて居た。

「イラッシャイマセぇ..」

「こちら、温めますかァ..?」

「有難う御座いましたァ..」

 コンビニエンスストアー業界の三種の神語。この三つの呪文をヒカルはシノブの働く深夜帯の店に訪れては呟いて居た。と或る深夜、二人っきりだけの店内で、シノブは品出しを装い、そぉぉっ..雑誌を立ち読みするヒカルの背後に大接近。相変わらず「ブツブツ..」呟きながら雑誌を読み続けるヒカルの唇の動きを見事解読して居たのだ。

 (ウゥン、全然気持ち悪い感じは無かったけど、そもそも人間って基本的に気持ち悪くない?)

 其の時のヒカルに対するシノブの率直な感想。ワザワザ深夜、コンビニエンスストアーにやって来ては、雑誌や漫画を数時間も立ち読みする人間が居るか?然もホボ毎晩。

 人間が外出するのは“力”以外に無い。体力が無ければ、人類は決してオモテには出ない。そして深夜に限って外出する人間は、日中は大体が寝て居る。ヒカルは軽く数時間は、シノブの店に滞在しては上記の三つの言葉を呪文の様に呟いて居る。

 (コレは何かのメッセージ..)

 シノブは逸早く気付き、其の為に日中の暇な時間を勉学に充てて、読唇術をヒカルの為に学んだのだ。

「って訳。キャハッ!どぉ?正解でしょ?」

 シノブを助けたつもりのヒカルが、逆にシノブに救われた気持ちになった。イヤ、今回の自殺をシノブが決行しなければ、ヒカルとの接点も持てなかったに違い無い。ヒカルはシノブを助けるどころか、余計な事には関わりたく無いと、あのまま店外へと逃げ出す事も出来たが、何故だがしなかった。ヒカルもシノブに対し、何か強烈に惹かれる運命的なものを直感で感じてしまい、シノブが自殺を試みた時に、敢えて声掛けをしたのだ。

 ヒカルは立ち上がったシノブの魂を胸に抱いて、抜け殻となったシノブを大きな黒いゴミ袋に詰めて、業者が何時も引き取りにやって来るオモテの歩道に置いた。バレない様、一緒に賞味期限切れのオニギリや弁当、惣菜パンなども気休め程度に一緒に詰めた。其の後は、店内に撒き散らかったシノブのトメィトジュースの大掃除。床の汚れはモップと洗剤で何とかなるが、問題は商品に飛び散ったトメィトケチャップ。粘着力が中々凄く頑固、ペーパータオルでも簡単に拭き取る事が出来ない。

 商品の買い取り。ヒカルが取った行動。何時の間にかヒカルはシノブの店に入り浸る事によって、レジスターの使い方を盗み見、完全習得して居た。現金なら在る。毎月両親から、引き篭もり『パート従業員』として貰って居た賃金。実は貯まって居た。ソノ殆どを使う羽目になったが、血トメィトケチャップで汚れて居た店の商品は全て買い取る事が出来た。そして買い取った商品もゴミ袋に全て入れて、表のシノブが入ったゴミ袋の隣に捨てた。

 すっかり綺麗になった店内、店員が居ないのはチト困る。店のカウンターの中に入り、カウンター下の引き出しから予備のエプロンを出して着用。其のまま朝番の人がやって来るまで店を仕切った。

「イラッシャイマセぇ..」

「こちら、温めますかァ..?」

「有難う御座いましたァ..」

 妄想で呟いて居た三つの台詞を、実際に現場で何度も活用が出来た。

 分かった事だが、客もヒカルの両目を見ないで生返事を返す場合が多いと云う事。

 (死ね。ヒカルが一生懸命に対話しようとしてるのに。)

 都合が良い事にヒカルの髪型もオカッパ。交代の朝番の人間がやって来ても全くバレなかった。其時、サングラスは外して居た。もうサングラス無しでも他人の目を見詰められるからだ。最早サングラスは鬼門。

 アレから時間が経って、表の世界は漆黒から灰色、そして透明色の日常に色を変える。

「お早ぉ、シノブちゃん。」

 店に勢い良く入って来た、朝番交代の同僚が言った。

「あれ?シノブちゃん。今日はサングラスして無いんだね?」

「ええ、もうサングラスは必要無いんです」

 ヒカルは返した。

 

 

 ———この日も、ポティトチップスの品出しをして居たヒカル。店内に流れる、糞の臭いがする有線放送の流行歌の数々。今迄のヒカルは全然気にした事が無かった、流行歌の歌詞の内容。

 (しまった!)普段は極力、外界に向けて公開はしない非公開、とても非常に大事にして居る自身の深層世界の扉を開けてしまい、と或る曲をウッカリつい聴いてしまった。

 (うわァ..嘘臭い内容の歌詞..)

 

 普段は乞食達が漁るオモテの黒いゴミ袋。中のシノブが見つかったら、ヒカルはシノブでは無くなってしまう。ごみ収集車がやって来る迄の間、ウジャウジャと集まって来て居た乞食達の全員を店内に引き入れて、彼等の欲しい物を全て買って与えてやった。

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