第三.〇〇話 レイの立ち位置

「クサっ!くっさァァ..何で公衆便所って、コンナに臭っせえんだよなぁ?サトォ?」

「は!馬鹿。俺に聞くなよサトウ。そりゃ俺等のションベンが臭っさいからだろッ!」

 

 某繁華街に在る会社で勤務する、二人の若い会社員のサトウ。只今の時間、平日月曜日の二〇時五十八分也。。週明け最初の一日の勤務を終えた二人。行き付けのマコトが働く居酒屋から出た後、もう一軒行こう。だが二人共チト小便がしたい。小便を済ます為だけの理由だけで、二軒目の呑み屋を適当に選んで入店などしたく無い。毎日一生懸命、正社員として働いて居るのだ、大事なお金を同じく払うんだったら、満足感が多い方が良いジャン。右脳で適当に次の店をフラフラ歩きながらも、左脳の方では公衆便所を確実に探して居る、ハンターサトウの二人。

 (ア。在った。)二人のサトウの左脳が同時に深層世界で呟く。周りの飲食店から放出される賑やかな光の微熱を浴びて、怪しげに輝く小さな市民公園の中に在る、燻んだ乳白色の公衆便所の壁。サトウの二人は足早に公衆便所に「スルリンコ」駆け込む。一個の豆電球のみで狭い空間を照らされて居る室内。壁から剥き出しの小便用便器が二つ。閉める戸の鍵が壊れて居る和式便器が一つ。先客は居ない様だ。颯爽と室内に登場した二人のサトウは、共に並んで小便用便器の前に仁王立ちをする。丁度サトウ二人の立った目線上の壁に、〇い丁度良い大きさの穴が在って、その◯い穴越しに繁華街の雑踏が眺められる。◯い穴から夜の繁華街を見詰める右側に立つサトウ。同じく◯い穴から、夜の繁華街を見詰める左側に立つサトウ。

「クサっ!くっさァァ..何で公衆便所って、コンナに臭っせえんだよなぁ?サトォ?」

「は!馬鹿。俺に聞くなよ、サトウ。そりゃ俺等のションベンが臭っさいからだろ!しっかし、チャンと便所掃除の奴、ここ掃除してんのかよッ?!くっせえよな?」

 小便や大便を臭いと決め付けて居る人間共。そもそもの話、其の臭い元凶は人間其の者で在る事を、永遠に気付かず死んで行く人類。こんな公衆便所と便所清掃員を罵倒した言葉の言霊が、地球上全ての公衆便所の中で日夜、渦巻いて居る。

 用を足した二人のサトウ、ダブルサトウ。室内お手洗いの蛇口を捻って水を出す。果物屋で良く見掛ける、柑橘系の果物を入れる小さなプラスティック製の網の袋に石鹸が入って居て、蛇口の部分にダラリぶら下がって居る。手拭きの紙は無かった。文句は言うな。文明の力、テコの原理を使って、両手を空中で思いっ切り振って乾かすダブルサトウ。大の大人のシングルサトウが、片割れのシングルサトウに飛沫を振り撒けて茶々を入れる。

「ギャハっ!サトオ、止めろって!」

 両手を洗いオモテに出たサトウの二人、未だ若干濡れて居る両手を、気が触れた様に空中で振り翳しながら歩き始める。

「さ、次の店トットと決めようぜ!」

「さ、次の店トットと決めようぜ!」

 同時に同じ台詞を公衆便所の出口で吐く、二人のサトウ。薄暗かった公衆便所の室内から出た直後、通りのネオンの光が眩しく感じたサトウの二人。同時にお互いの左手を両眼に当てて、光の加減を和らげる。

「サ、行こ。」

「サ、行こ。」

 ダブルサトウが、煌びやかな虚構の光を放つ繁華街の漆黒の世界へと再び消えて行く。


 一夜明けた世界の公衆便所。世界都市の公衆便所。繁華街の公衆便所。昨夜サトウの二人が小便をした公衆便所。未だ繁華街は薄暗く、然も無音と云う雑音の世界。精々カラスが、路肩や空中にて「カァカァ」たまに鳴いて居る程度。只今、平日火曜日の〇五時四十八分也。上下、焦茶色の作業着を着たレイが勤務地にやって来た。ホンノリとシャンプーの香りが絡まる長い黒髪を後ろに輪ゴムで括っては、作業着と同じ焦茶色の帽子の中に仕舞う。顔はホンノリと薄化粧を施して居るが、貴金属の一切をして居ない。仕事の邪魔になるからだ。オッと忘れてた、レイは鼈甲色の極端に大きな楕円形のメガネも掛けて居る。仕事内容を考えると眼鏡は邪魔で鬼門だが、レイに取ってはコレは絶対に譲れない。眼鏡を掛けれない人生だったら、死ぬ。其れ位メガネを愛して居る。伊達眼鏡では無く、本格的に目が悪い。伊達メガネをして居る御洒落人間は死んだ方が良いと思って居るレイ。伊達眼鏡に自分の感性を託すな、逃すな、 と云うのがレイの持論。コンタクトレンズの着用は眼中に無い。食物や水分以外の異物を体内に挿入するなど考えられない。後、眼鏡の程良い重力を頭部に感じられるのもマタ良き。

 仕事開始はキッチリ〇六時。誰かに見られて居る訳でも無いし、監視されて居る訳でも無い。市民公園内の公衆便所から程近い、木製のベンチに姿勢正しく腰を下ろすレイ。両手の白く、細長い一〇本指をチキンと伸ばし切って、両手の掌は行儀良く両肘の上、寸分の狂い無し。公園内にレイの僅かな呼吸音が響く。今日も暑くなりそうだ。

 仕事一式の道具は、各公衆便所の中のロッカーに在る。鍵付き。読者の皆さんは、公衆便所にロッカーなど在る筈が無い、見た事が無いと思うだろう。在るのだ、実際に。用を足す為に訪れる公衆便所を「マジマジ..」と観察する利用者など居ない。コレが正に答え。

 レイは木製のベンチで両眼を瞑り、深層世界の意識を集中させては、今朝の現場の公衆便所との対話を試みて居る。コレは毎日欠かさず行なって居る聖なる儀式。小刻みな感覚で左手にして居る腕時計を睨む。デジタル時計は何故か嫌い、電池が切れたら地球の時間も止まるって一体如何云う事?あくまでもゼンマイ式の針時計に拘るレイ。

 (後、三秒..)

 勤務時間が開始したと同時に、木製のベンチから立ち上がったレイ。レイは、受け持つ何箇所かの現場を与えられた時間内で、確実に廻らなければならない。主な清掃業とは、一箇所だけで一日が終わる訳では無いのだ。歩かなければいけない一日の歩行距離もカナリ。其れ故にレイの足下には、リーボック社の時代を超えた名作、クラブCウォーキングシューズ 純白色が「キラリンコ」光る。足が全く疲労を覚える事の無い神々しい靴。何故、レイの作業靴が汚れが目立つ“白”か?と云うと、只単に、身体が汚れる事を極端に嫌うレイ、この靴が穢れない様な綺麗な仕事を心掛ける為の所業。だが仕事は一切手を抜かないレイ、何なら自身が清掃した便器や便器を「レロレロペロペロ」舐め廻す事も出来るレイ。

 レイの勤務する清掃会社には正従業員の選択肢は無い。この会社は公衆便所清掃専門の老舗の名門にも関わらずだ。公衆便所の清掃する時間は早朝に限定されるが故、実働勤務時間は早朝の大体、数時間が勝負。朝〇八時から夕方十七時、若しくは朝〇九時から夕方十八時の一般的な勤務時間は、公衆便所専門清掃業界には当て嵌まる事は無い。寿司屋が書入れ時の営業時間中に態々、魚の仕入れに向かわないのと同様にレイの業界も、顧客で在る利用者達が普段やって来ない時間帯が、彼等に与えられる限定された勤務時間帯となる。欲を云えば、レイは生活が安定した正社員の清掃人になりたいと思って居る。清掃業は譲れない。だが勤務時間が極端に短いが故に、如何しても雇用条件はパート扱いになってしまう。良かった..今回の物語の主役は『パート従業員』。レイが正社員の設定だとチト趣向が変わってしまう。

 

 時空はチト遡って、レイの腹式呼吸がチト荒くなった。その現象は勤務時間が近付いてるを表して居る。左腕に嵌めて居る安物の針時計の時間をチラ見するレイ(時間ね..)。徐に木製のベンチから立ち上がり、職場の公衆便所に向かって歩き始める。ほんの十数歩で出入り口に着いてしまうが、未だ未だ始業時間には程遠い。数秒間程だが早い、キッチリ〇六時〇〇分を待ち、立ち尽くすレイ。一秒だろうが決して只働きはしないレイ、時間にも煩い拘り屋さん。

 感受性の微塵も無い一般人の感覚だと、清掃員達は、只モクモクタンタン公衆便所や便器を掃除してるだけだと捉えがち。公衆便所は魔城、そして便器は魔物其のもの。日夜問わず、数々の人間達の“業”と云う排泄物を吸い込んで居る公衆便器。そして其れ等の便器達が眠る公衆便所。無駄を一切省いた、面積がギリギリにまで削られた城内の中、昼夜関わらず、常に薄暗く灯った明かりの真下で人間達が用を足す、薄汚れたダンスフロアー。排泄行為とは、一種の快楽行為。嫌な事や、死んでしまいたい様な事が在っても、一回、若しくは数回の排泄行為を繰り返す事によって、今迄ズット気になって居た事が、便器や便座を通じて、排泄物と共に宇宙に吐き出される仕組み。人類が生まれて初めて味わう快感が、赤ん坊の時の排泄行為。読者の皆さん、若しも辛い時や哀しい時には是非、排泄する事をお勧めします。昨夜までの人間達の怨念が入り混じる公衆便所の早朝。排泄物の中には、未だ成仏したく無い、便座にコビリ着いた苦々しい輩もチラホラ。中々落ちない怨念(汚れ)。入城する前にチト気持ちを整えなければ、清掃員の神経がヤラレテしまう。

 (すゥゥ..ふゥゥゥゥ..)

 深く深呼吸をして深層世界の意識を整えるレイ、さぁ時間だ。

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