西の院の姫君
@kabochamusi
第1話 なれそめ
さて梅雨が上がってからこっち、大滝の荘では寄ると触ると西の院の姫様の話でもちきりだった。
西の院というのは、大滝を治めるのが亀井の殿様でなく地頭の旦那だったころ、
そんな西の院の建物に手を入れて、亀井の殿のご次男、
さて、ここいらからは西の果てのように思われている伊吹山よりも、都ははるかに西である。はたまた、武家のまつりごとの開祖たる鎌倉もまた、ここからは東の彼方。田舎なれどここ、大滝の荘はどちらの大波も受けないのどかな場所であった。とはいえ都落ちという言葉はそこに事情があると読むべきもの。西の院の姫君の事情は、しばし在の者には知られなかった。亀井の殿様の下でうちの親父殿が別当をしていたことと、母方の叔母上がやもめになっていたのを幸いに、西の院の下仕えの頭となったことで、かろうじて拙の耳には入った次第であった。
まずご到着された姫君は、両耳にふたをするように布を巻いておいでになった。それだけでは足らず、両手で耳をふさいでおられたのであろう、黒髪はくしゃくしゃにかき乱され、白い頬には涙の跡が幾筋も残っておいでになったという。
白髪の侍女が言うには、姫君は恐れ多くも帝のお血筋に連なるお方なれど、赤子の時より耳が異常に敏く、殊におのこの声は雷鳴のごとく恐ろしく響くのだそうで、たいそうお困りになっておいでだったそうな。
お子様のころは、耐えきれなくなると絹を裂くがごとき悲鳴を上げて泣き叫び、耳を押さえ、足を踏み鳴らしてお怒りになったという。なまじ美貌であられるからこそ、このご性分は悪評を広げた。いかなる呪詛か、悪鬼のたたりかと高位の僧やら修験者やらを呼んでみても、霊験あらたかな呪文や読経の声がそもそも姫君にはお怒りの源たるおのこの声、結局何の甲斐もないまま月日は流れた。心労のあまりご生母様は早世、どこかへ縁づくこともかなわず、ひっそり御所の片隅で数人の侍女と物語の巻物だけを友にお過ごしになっていたという。
そんなお方もご成人されて、少しは馴染む音を見出された。笛の音である。名曲を当代の名人たちに奏でさせてご堪能になった後、ご自身でも手ほどきを受けて演奏することを楽しまれるようになった。もともと敏い耳をお持ちなので、たちまち名人と言われる腕前になり、御所の催しのある時は、離れた建物から演奏だけを聞かせるまでになったのだ。
ご上洛された光時さまは、上納金を納めた後の宴にて、都の噂話の一つとしてこの笛の姫君の話を聞かれた。実は光時さまも篠笛のたしなみがあるので、
南無三これはいかん、てっきりお咎めを食うものと覚悟して、もはや逃げ隠れもせずにいたところ、御殿より妻戸をあけて、老女が一人いざり出た。
「ただいま、姫様の演奏に合わせて笛を奏でた者、姓名を名乗られませ。姫様にはいたくお心に感じられた様子。」
とのこと。さすればとて、これは美濃の国、大滝の住人亀井次郎光時と申す者、下賤の身なれど、
都見物もおわって下向の支度なども始めた頃、光時さまに幕府の重鎮、畠山様より直々のお呼びがかかった。さては先日の狼藉がお耳に届いたのであろうと覚悟して一同まかり出ると、予想にたがわず笛の姫君のことである。かの老女の報告を聞いて、姫の行く末を悩みの種にされていた院やご当代が、もしも光時さまにその気があるなら、姫を一旦畠山様のご養女としたうえで御降嫁させようとおっしゃるのである。ただし元が
光時さまは驚かれた。
この条件は即座に聞き届けられた。実は姫様は光時さまより五つも年嵩であられ、今までに何の縁もなかったのは、ひとえに耳の敏いが災い。かといって読経の声が怖くては出家させることもかなわず、父君の院には田舎侍であろうと姫様の笛の腕前だけが目的であろうと、片付くならばのお気持ちがあったのだそうで、思った以上の領地を持参金としてつけていただけることと相なった。
こうして、笛の姫様こと、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます