第3話 ないと・すたーと

 ポツポツポツ。


「いい、一志?」


 なあに、母さん?


「このお面は、きっとあなたの力になってくれるからね」


 でも、ちょっと、怖いね。


「ふふ、確かにね。じゃあ、もし怖かったら、〇〇ちゃんと〇〇ちゃんを頼って? あの子たちは、いい子だから」


 ——? なんて言ったの?。

 ポツポツポツ。


「あ。ごめんね、母さん、お仕事の時間だ」


 えー! いっちゃやだよ!やだ!


「ごめんね……〇〇ちゃん、一志のこと、お願いね」

「はい、叔母様」


 いやだよ!なんで!僕のこと、大事じゃないの!


「コルナ、この子を守ってあげるのよ」

「コン!」


 母さん!母さん!待ってよ!


「〇〇ちゃんには……帰ってきたら、甘えさせてあげないとね」


 母さんっ!


「あっ! お待ちください!」

「コンッ!?」

「あらあら……全く」


 母さん、なんでお仕事なんていっちゃうの。


「うーん、そうね、一志にはまだ、難しいかな……」


 やめてよ!離して!


「そうだ、帰ってきたら、ちょっとずつ、母さんの仕事のお勉強しようね」


 行かないでよ!じゃあ今、教えてよ!母さん!母さん!

 ザーザーザーザー。



 ***



 妖面を持って地下から上がれば、黒さんはもう、廊下にはいなかった。

 一志はその影を追うことなく、真っ先に玄関にむかってピタリと揃えられた靴を履く。

 履きながら、昨日、帰ってきた時に靴を揃えていなかったことを思い出す。


「すみません、二人とも」


 小さな声で二人に詫びて、一志は書き置き一つ残さず家を出る。

 一志が後にした静かな家には、静寂が張り詰めるばかりだった。



 ***



 『妖面』それは、生物の成れの果て。寿命で、はたまた悪意で、はたまた恋で、故意で。

 さまざまな要因で命を落とした『生物』は、特定の条件下で世界に還らず妖面となる。

 そんなふうに昔、母から聞いたことを思い返しながら、一志は夜道を駆け巡る。

 今、一志は何の手がかりもなしに『鬼』を探している。

 この、一志の住まう東京にしては田舎寄りの街では、ぽつぽつと辺りを頼りなく照らす街灯のみが光源だ。

 連なって立てられた家も、最近できた十階建てのマンションも、どの部屋違わず電気はついていない。

 まだ、夜一時といったところなのに。


「みんな早寝のお利口……と、いうわけではなさそうですね」


 明らかな異常事態、それがこの街全体に干渉したものなのか、はたまた一志が異常に魅入られたのか。

 それは一志一人で定かにできることではないため、後回し——すれば不意に、何かに背を突かれる。


「——ッ!」


 ほんの僅か、背中に何かが触れた。刹那、触れられた場所を中心に、背中は間髪入れずズキズキと痛みを訴える。


「あぁクソッ! 喰らえ、妖面——!」


 一志はその痛みに顔をシカめ、振り返りながら叫ぶ。

 叫べば、体の奥底が鮮烈な熱に犯されていくのが、わかる。体が持った熱は、一志の体を支配して。

 刹那の間に一志の顔を、狐の面が覆う。

 振り返って、目に入るのはニタニタと笑う一つ目の蛇。それも、五メートルほどの巨体。

 やはり、ここは異常事態が起きている異常地帯である。


「一志、何が欲しい?」


 意識外にどこからか、頭目掛けて声が反響する。それを動じずキャッチした脳が、言葉を咀嚼して、反芻して、理解して、返答を声の主に授ける。


威奴刀イナトウ!」

「わかった」


 簡易なやり取り、だが、この妖面との間ならばこれだけで十分なほどの意思疎通が取れた。

 一志の手に、刀がどこからともなく現れる。


「シャーーーッッ!」


 鳴き声を上げながら、その五メートルほどの巨体を自由気ままに動かす蛇が、全身を使って一志へと飛びかかる。

 蛇から見れば、一志は不意打ちを避けれず、尚且つ武器も持ってない、それはそれは間抜けな餌に見えていた事だろう。

 ——だから、一志からすれば自殺にしか見えないような攻め方をしてしまったのだ。


「添えとくだけで十分だ」


 刀を、刃の面を相手に向けておくだけで十分だった。

 その巨体で、一志を食い殺さんと飛びかかる蛇は、刀をその愚かな一つ目で認識した頃にはもう、止まれない。


「死ねよ」


 顔から尾にかけて、身勝手に襲いかかってきた蛇は、勢いを殺せずその身を二つに分けられに来る。

 スパりと、綺麗に分けられた二つの身は自分の死を受け入れられないのか、陸に上げられた魚がもがくように、まだ懸命に助かる道を探している。

 一志は、その二つの身のうちの片方、おそらく脳があるであろうところに刀を突き刺して。


「アホが」


 言葉を吐き捨てながら、ぐりぐりと捻る。

 その身が、ぴくりとも動かなくなるまで。

 動かなくなったのを見届けて、一志は唾を吐き捨て、その地を後にする。

 ——後ろからこちらを見つめる『何か』に、気づけずに。



 ***



「こりゃ、随分なやり方だね」


 人っこひとり、どころか大人すら一人もいない夜道、のそのそ歩く男がそう溢す。

 男が見つめるのは蛇の死体、上下泣き別れにされた挙句、随分なオーバーキルを施された、可哀想な死体。


「うーん、どうしよっか」


 首を傾げて顎に手を当て、わざとらしい思案のポーズ。このポーズを取ると、冗談でもなんでもなく真面目にアイデアが浮かんでくる気がする。

 やがてアイデアは腹から上ってきて、脳まで上がるか先んじて喉から出るかを迷いだす。


「——シャーッッ!!!」


 思案の最中、男は後ろから飛びかかる蛇に気が付かない。

 その蛇の鋭利な牙が、男の首元目掛けて飛びかかり、達する——。


「ん?」


 と、思われた瞬間。

 月明かりに照らされる男の影、そこから女が現れ、蛇の首を一閃。

 斬られた首は弧を描いて宙を舞い、地面に——ぐちゃ。


「危ない……」

「おぉ、頼りになる」


 頭を失くした蛇の胴体は、勢いのままこちらに倒れ込んできていた。

 それを、間一髪のところで女が男を胸元に引き寄せるようにして、救う。


「かっこいいね、惚れちゃうかと思ったよ」

「気持ち悪い……」

「つれないね」


 女のすげない反応に男はクスリと笑う。笑って、蛇の亡骸を見つめて。——そのおおよそ、ここに先んじて転がっていた蛇の死体の三倍ほどの大きさがある死体を、見つめて。


「夜の始まりだね」


 夜を、俺の独壇場だと、星が言い争って、より一層眩く煌めく。

 その星に強く照らされた男の影に、すでに女は溶け込んでいた。

 

 

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