第2話 嘲笑は君にだけ
——家まで帰って玄関を開ければ、そこに立っていた二人のメイドに出迎えられる。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
「お帰りなさいませ、主様」
挨拶と同時にカーテシーで一礼。その所作は洗練されたものであると、きっと誰の目から見ても一目瞭然なほど美しい。
「はい、ただいまです」
一志は荒い呼吸を悟られぬよう返事し、右足から玄関にあがり靴を脱ぐ。
「ご主人様〜、ご飯にします? お風呂にします? それとも……」
「ご飯もお風呂も、少し早すぎる気がしますね。部屋に戻って休みます」
「あ〜! 最後まで聞いてくれてもいいじゃないですか〜!」
「白、黙ってください」
「はい、なんか黒ちゃん、怒ってる……?」
「別に」と言いながら、白さんの口を黒さんが両の手で挟み込む。
いつものように振る舞う白さん、白さんには申し訳ないが、今はいつもみたく構っていられない。
一志は脱ぎ捨てた靴も揃えず、駆け足で階段を上ってゆく。
***
「あんか、おひゅじんひゃま、ひぇん?」
「……えぇ」
口を挟まれたまま喋る白の意見を、黒は首肯する。
一志を想う両者の意見が、合致する。
黒の手から逃れるようにしてしゃがみ込んだ白さんは、すぐさまに立ち上がって言う。
「今日の夜、ご主人様見張る?」
「……白、貴女、夜何時まで起きていられますか?」
「え? いつも時計見る前に寝ちゃってるから、わかんない」
「はぁ」
——合致はしたが、チームプレイは無理そうな現状に、黒は頭を抱える。
律儀に、一志の靴を「あ、ご主人様ってば」と、言いながら揃える白を前に、これ以上は何も言えなかったし、これ以上言うのは、面倒くさかった。
***
夜。何日か前までエアコンがなくては暑くて寝付けもしなかったのに、今ではすっかり夜風が冷えて冷房は不要だ。
今晩、一志は『鬼』との決着をつける気でいた。
『鬼が出るんやって』などと、ただの悪ふざけの冗談にしか聞こえないその言葉を、一志は本気で信じていた。
そう深く、一志を信じさせるものが、あいつにはあるから。
鬼を倒すためには、妖面がいる。その肝心な妖面は、八枷家の秘密の地下室に隠されていて。
「————」
自室には時計がないためスマホを見れば、もうすっかり時刻は零時を回っていた。
今日——否、もう昨日である。夕食の際、二人のメイドはやけにこちらを気遣うように見ていた気がする。それはただの杞憂かもしれないし、あの二人なら一志の異変を察して、バカをしないよう気を張ってくれている可能性もある。
できれば前者なら楽だ、なんて考えながら、一志は静かに階段を降りる。
一段、また一段、物音一つ立てず、降りる。
——やがて、やっとの思いで一階に降り立つ。
「主様」
「————」
その瞬間、廊下に背を預けた黒さんが、窓から差し込む月明かりに照らされながら姿を現す。
しかしその姿は、見慣れたヴィクトリアンメイド服に身を包むいつもの様相とはと違った、部屋着に短く髪を纏めた、同じ家に住んでいるのに滅多に見ることのない新鮮なものだった。
纏められた黒髪が、夜風に揺られるのがこれまた幻想的で、綺麗だった。
「——黒さん、どうしてこんな時間に?」
「……恥ずかしながら、お手洗いに」
「あっ、それは、その、すみません。失礼なことを」
「いえ、お気になさらず」
一瞬、黒さんの見慣れない姿に気を取られたが、自分にそんな余裕などないと、即座に自分を律する。
次いで黒さんがここにいる訳を聞けば、お手洗い。女性にこんなことを言わせるのは、我ながら不躾極まりない。——あぁ、だめだ、余計なことばかり考えてしまう。
「ところで僭越ながら聞かせていただきたいのですが、主様こそなぜここに?」
今、一番聞かれたくない、それはそれは鋭角な質問が、一志へと投げかけられる。
冷や汗が、でこから滲む。
「——えっ、と、僕も、お手洗いに」
咄嗟に、苦し紛れに誤魔化す。
「なるほど、それは、私も失礼な質問しました。申し訳ありません」
「い、いやいや、おあいこ……というのもなんですが、僕はあまりそういうのを気にしないので」
——もどかしい。一志は一刻も早く、鬼を探さなくてはいけないのに。早く妖面を持って、それから。
とりあえず、黒さんがこの場を去ってくれるまで、一志もトイレに入って時間を稼ごうと、トイレの方へと歩き出す。
「あっ、主様……」
歩き出せば、黒さんから言い出しにくそうに声をかけられる。
——もどかしい。
「——。はい、どうしましたか、黒さん」
「その……言い出しづらいのですが、私がお手洗いを使ったばかりですので、その、すぐに主様に入られるのは気恥ずかしいと言いますか……」
驚いた。普段、冷静で、何事にも動じないように見えるクールな黒さんも、このように取り乱すことがあるのか。
違う、そんなことを考えている暇はないと、言っている。だが、そう言われれば、一志はトイレに入ることがしばらくできない。
痺れを切らした一志は、一か八か、この足で地下室に行くことを決めた。
「あー、そうですよね。すみません、気が回らなくて」
「いえ、主様が謝ることでは……私の我儘を聞かせてしまって、申し訳ないです」
「全然大丈夫です。気にしないでください。——じゃあその間、僕は地下室の様子でも見てきます」
少々強引になってしまった気がするが、どうか——。
「主様」
地下へと歩みを進める一志の背中に、珍しい、弱々しい声で黒さんは続ける。
「何かあれば、私たちを頼ってくださいね」
***
あれから、黒さんは一志を止めず、一志も返事もせず地下室へ向かった。
地下室の重々しい戸を開ければ、その異質な空気感には毎度の事ながら息苦しさで溺れそうになる。
地下室に置かれるのはさまざまな妖面。鳥を模した妖面や、魚を模した妖面、はたまた何を模したのか見た目ではわからない妖面といった、本当にさまざまな。
その中から迷うことなく、一志は数ある妖面の中から真ん中にかけられた妖面を手にとる。
「また、頼むよ」
手に取った妖面を腰に付ければ、まるで固定されたかの如くぴたりと張り付く。
張り付いて、妖面は服をも貫通して、一志の体に溶け込んで。
体の中に多少の不快感が伴うが、これも代償で、仕方のないことだ。
「行こうか」
一人、地下室でぽつり。
その声はきっと、誰の耳にも届いていなかった。だのに、異質な地下室に置かれた妖面に聴かれて、嘲笑われている気がして、一志は苦虫を噛み潰したような顔をして地下室を出た。
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