第4話 レースメーカー
「おお。良いですな。雪鈴妃」
雪鈴の織り台を覗き込んで言うのは、初老の男性だ。
引退したレースメーカーで、今は雪鈴の師となっている。
雪鈴は、一般から言えば「上手い」域だったが、王室御用達のレースメーカーたちに比べれば遥かに劣った。
もっと腕を上げたいと訴えた結果、最上級のレースメーカーが師としてついたのだ。
彼――グルシャは、国内随一のレースメーカーであったが、少々、レースを愛するあまり不正をしていた。
レースメーカーは、あまり働かせすぎると、細かい糸を見すぎて失明、あるいは、細かい糸の繊維片を吸い込みすぎて肺炎で死亡、そういう末路となる。
それを防ぐため、健康診断で引っかかったレースメーカーは強制的に引退、あとは年金支給となるのだが、グルシャは、レースを織りたいあまり、健康診断を誤魔化していた。
同僚が様子がおかしいことに気づき、通報した時には、中程度の肺炎と視力減退という状態だった。
強制的に引退させられた後も、レース工房に顔を出したり、自宅に秘密裏に織り台やボビンを取り寄せようとしたりと、執着が激しかった。
そこへ、誰か雪鈴妃の指導役をしてくれないかという話が来て、飛びついたわけだ。
「ルアはどうかな?」
もう一人、織り台に向かっていた少女のほうへ行く。
ルア――リディシア邸に住む娘である。
つまりは、リディシアと丁鳩の娘だ。
だが、王族ではない。
特に丁鳩が子供を欲し、王室や議会、神殿の許可を得て、養子を迎えたのだ。
扱いとしては、王族ではなく、リディシア邸に住めるのもリディシアと丁鳩が存命のうちで、あとは王城を出て平民として暮らさなくてはならない。
王族と一緒に住んではいるが、平民なのだ。
「グルシャ先生、ここがちょっと……」
「ああ、大丈夫。ひとつひとつ順番に織っていけば問題ない。まずは……」
と、ノックの音がした。
「はい、休憩時間ですよ!」
お菓子を抱えて乱入してきたのは、緑の法衣を着た魔法医だ。正確に言えば、魔法医のインターンだ。
「グルシャ先生、即刻休憩してください!」
特に念入りにグルシャに休憩を指示する。この老人のレースへの執着は言わずもがな。
織り台がある場所から離れたテーブルにお菓子を置くと、
「休憩です! 雪鈴妃とルアも!」
雪鈴が吹き出す。
「…………ライ……」
そう、魔法医のインターンの正体は、白の王族服ではなく緑の法衣を着た礼竜だった。
公務の空き時間が増え、許可を得て、魔法医の資格を取ったのだ。
理由は――妻の雪鈴を自分で診たい。
雪鈴は、第三子出産の際、母子ともに非常に危険な状態となった。
子宮で育ちすぎた子どもが産道からは出られず、雪鈴を切り裂く形でしか生まれることができなかったのだ。
母子ともに危険ということで、礼竜は産室に呼ばれ、最愛の妻が切り裂かれる様子を黙って見るしかなかった。
産科医の腕が良かったから母子ともに助かったが、普通なら、どちらかを諦めなければならない状態だった。
雪鈴の身体には、その時の傷跡がまざまざと残っている。
今も定期的に医者の検診が入る。
だから、せめて自分が診たいと、有り余る魔力を生かして魔法医の資格を取ったのだ。
礼竜に「雪鈴妃」と呼ばれることがツボなのか、雪鈴は笑ったままだ。
「はい、まずはグルシャ先生!」
この部屋は、ファムータル邸の中の、レース専用の部屋で、中には雪鈴花――淡い黄の無毒の彼岸花の鉢植えが飾られ、壁にはレースの額、織り台があるスペースと休憩用のテーブルがあるスペース、そして壁で区切られて診察台があるスペースがある。
グルシャを無理やり寝台に寝かせ、魔力で診始める。
「ファムータル殿下、私はどこも悪くないですぞ……」
「何言ってるんですか? まずは目の治療です」
緑の法衣は風属性の魔法医の制服のようなものだ。本来、魔法医には水属性が一番なのだが、礼竜の有り余る魔力はそれを補って余りある。
「じゃ、次は肺炎の治療です」
グルシャは観念しているのか、黙って治療を受けている。
「長年放置していた割には、進行は遅いですが……目も肺も、油断できませんよ。
分かりましたね?」
「あの、指導役を外されたりは……」
「黙って治療を受けてくださって、無茶をなさらなければまず大丈夫です」
礼竜の言葉に、グルシャはほっと息をつく。
「ええ、受けます受けます」
「では、お菓子を食べながら一時間休憩してください。
レースのほうを見ないように!」
「……はい……」
続いて雪鈴を呼んで、診察を始める。
「目がかすむとか、見づらいとかはありませんか?」
「……ライ……お願い、普通に喋って……」
耐えられないと言うように、雪鈴は笑いが止まらない。
「だって、僕はただの魔法医のインターンですから」
「ライ……このままじゃ……笑い死にしそう……」
笑い転げる雪鈴の様子を魔力で診て、
「はい、目も肺も異常ありませんね。
ストレートネック予防をしましょうか」
ずっと織り台を見続けるということは、斜め下に視線を送り続けるということになる。
つまり、首が自然とその方向に固まり、ストレートネックとなる可能性があるのだ。
グルシャはもう手遅れなので、痛み止めだけだが、雪鈴とルアは予防できるのでできるだけする。
「じゃあ、傷のほうはあとで、ね」
雪鈴の耳元で囁くと、見る間に赤くなる。
それを見て満足そうにして、次にルアを呼ぶ。
内容は、雪鈴と変わらない。
目と肺の診察、ストレートネック予防だ。
「レースは楽しいですか?」
「叔父さん、その口調……」
ルアも笑っている。
「色々、将来の独立に向けて忙しいと思いますが、体調に異変を感じたらいつでも相談してください。
……心の相談や、個人的なことは、ファムータルに、ね」
三人を診終えて、一緒にテーブルで菓子を食べ、一時間が終わると去っていった。
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