第3話



 娘を連れて邸に帰ると、まず、棚を開けてクッキーのようなものを取り出し、ぬるま湯に浸けてふやけさせる。


 礼竜は、王位三位教育が始まってから、忙しさのあまり毎回参加していたお菓子コンテストにも応募できない日々が続いていた。


 海藍音の祝言で国王候補から外され、王太子の教育から解放されて復帰とばかりにお菓子コンテストに出品したのが、ぬるま湯でふやけさせれば離乳食になる菓子だった。もちろん普通に菓子として食べられる。


 海藍音と雪鈴と、一緒に食べたいと作ったものだったが、これが大賞を受賞し、今や菓子屋がこぞって売っている。


 礼竜は、開発した菓子のレシピは全て無料公開している。誰でも、どんな商売に使ってくれても構わないという形で、発表されれば菓子屋に並ぶ。

 個人的に菓子作りが好きな国民も多いが、礼竜は自覚がないのだが、レシピの難易度は高いようだ。故に、菓子屋が講習会を開くこともある。


 礼竜はいつも、レシピ発表の際に添えている言葉がある。


「僕にはできませんが、羊肉や南瓜、メロン、西瓜……そういったものでも作ってください!」


 実際、礼竜に遠慮する形で、羊肉や瓜類の消費はエルベット国内で急激に下がった。

 王室がこれらの生産者に支援し、ようやく成り立っているほどである。

 礼竜は、必死に国民に、過度な遠慮はやめてくれと訴えていた。


 雪鈴と婚約した頃には、メレンゲ人形の色アレンジが多く店頭に並んだが、海藍音が産まれた時には横に乳母車に乗せられた赤子の人形が添えられた。


 今回の男児誕生でどうなるか、レシピ考案者としても、父親としても楽しみで仕方ない。

 子どもが外に出せるようになったら、抱いて城下を見て回ろうと思っている。


「はい、あーん」

 目を覚ました海藍音の口に離乳食を運ぶ。


 実は、こうして子どもの世話をすることは礼竜は許されているが、雪鈴はあまり歓迎されない。

 出産が終わって回復したなら、呪祓のレースを織ってくれと言われるのだ。


 雪鈴が必死に訴え、授乳は雪鈴が大抵はさせてもらえた。だが、それだけである。

 礼竜は雪鈴に公務を振らないように願い出ていたが、雪鈴がレースを織ることが公務に当たった。


 雪鈴の従兄にして呪祓の村の生き残りのキョイが居なくなって久しく、キョイは去り際に可能な限りの知識を置いて行ってくれたが、心許ない思いをしている。


 人は些細なことで人生を踏み外し、引き返せない沼へ落ちていくのだ。かつて礼竜の主治医であり、道を踏み外して魔国の奴隷市で雪鈴を買ったスミゾ伯爵のように。

 そういった人間を、踏み外す前にレースを贈ることで救わなければいけない。


 雪鈴も、奴隷時代の記憶があるだけに、その公務を断れない。


 自分もクッキーの形で菓子を頬張りながら、複雑な思いを胸中に仕舞う。


 ――僕に手伝えればいいのに……。


 産みの苦しみも、奴隷の記憶も、何もかも雪鈴と共有したい。だが、当の雪鈴すら、気持ちだけで嬉しいと言うだけだった。




◆◇◆◇◆



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