第20話 皇子の許嫁
『ここは、一体、何処なんだろう?宮殿内で間違いは無い筈だが』
新は誤って宮殿奥の一室に着いてしまった。
その部屋には重々しい雰囲気が漂っていた。
ぽつねんと在ったベッドで誰やらが眠りに着いて居る。
ドアが開けられるのを感じ取った新は、咄嗟に、ベッドの下に潜り込んだ。
白衣を纏(まと)ったその者はベッドに近づきながら、
「マチルド様、ご気分は如何ですか?」
と、囁いた。
問われた本人は眠って居るようである。
「脈を拝見いたします」
医師に手を掴まれて、漸く、マチルドは目を覚ました。
「変わりはないでしょう」
「はい、未だ脈拍が正常とは言えません。お顔の色も些か~」
「もう、良いのです。どうせ、このまま死に至るのですから~」
「その様に気弱いお心では、病(やまい)が勢いを増しましょう」
「なら、教えてよ。私はなんという病なのですか。それも分からないくせに、気休めは止めて下さい」
医師は既に匙を投げだして居たのか、口を噤(つぐ)んでしまった。
彼は小さなため息を吐き、部屋を後にした。
新はベッドの下で、
『もしかすると、サドが言っていた皇子の許嫁の部屋?』
ドアが閉まる音が閑散とした室内に冷たく響いた。
病に侵され却って神経が鋭敏になって居たのか、マチルドは他の者の気配を感じ取った様である。
「誰か居るの!」
彼女が体力を消耗していても、いざとなれば、それなりに叫び声を挙げるかもしれない。
となれば、厄介なことになる。
牢破りをしたばかりでもあり、ここは穏便に済ませなければと新は考えた。
新はベッド下から抜け出し、スクッとマチルドの視界に現れた。
「あなた、誰?」
「ごめんなさい。うっかりして部屋を間違えたみたいです」
「そう、それで~」
マチルドは弱々しく言葉を吐いただけで新をじっと見つめている。
「最近、宮殿に上がったばかりで、す、直ぐに出て行きますから~」
「ちょっと、待って・・・、もしかして、そなたは司の宮とやらと関係が有るのですか?」
病室に籠って居ても、身の周りの世話をやく者からそれと無く司の事を聞いて居た様である。
司が現れた事は、宮殿の下々の者までを巻き込んだ大事で有ったに違いない。
「えっ!・・・一応、付き人を任されています」
「ここでは暇を持て余しています。少し、話をしませんか?」
「身体に障るのでは?」
「何をどうした所で、悪く成って行くに違いは有りません」
新は一瞬躊躇ったが、彼女の希望に添うのが一番だと判断した。
「司のことを知りたいのですか?」
「呼び捨てですの、付き人の分際で~」
「そ、そんな~、こちらの言葉に成れて居ないもんで~」
「えっ!そう云えば、身なりもどことなく違っていますね、どこかの国から来たのですか?」
「はい、それはそれは、遠い国から~」
「そうですか。私はこの国から出た事は有りません。おそらく、この先もそうでしょう」
「幾ら病気でも~、ほらっ、病は気からと言うでは有りませんか」
「あなたも同じですね。そうやって僅かな希望をチラつかせるだけで、何一つ出来ずにいる」
新は困り果ててしまった。
何を言っても、『暖簾に腕押し』の様だ。
と、小机の上に薬とその処方箋が置いて有るのに目が行った。
「これっ、僕が預かって行ってもいいですか?」
「その紙きれを持って行って、どうするのですか?」
「つかさ、いや、司の宮様の頭の中には想像を絶するような知識が込められています。事に寄ったら、事に寄ったらですよ、回復への糸口を掴めるかも知れません」
マチルドの顔に心とは裏腹な表情が浮んだ。
心より身体が正直な事がたまにある。
無意識の内に体が手を伸ばしたのかも知れない。
「司の宮の知識はそれ程のものなのですか?」
「僕が言うのもなんだけど、そこらへんのコンピューターに引けは取りませんよ」
「眉唾物(まゆつばもの)ですね。幾らんなんでも~」
「どうかな。『百聞は一見・・・』、後はなんだっけ?一見に如かずだっけ、一度、司の宮に会ってみては?年頃も近いようだし~」
「病が移って仕舞うかも?」
「これは勘だけど、大丈夫だと思うよ。司には大きな志があるから、おいそれとそこら辺の病気に負けたりはしないよ~」
「あなたにそう思わせる程の人物なんですね。もしかして、それ以上の~」
「そ、それだけですよ。互いに深く信頼を寄せては居ますけどね」
マチルドの言葉には二通りの意味が込められて居た。
その一つは、司に何かしらの野望とそれを成し遂げる力が有るのでは~?
もう一つは、司と新の間に友情以上のモノが有るのでは~?
新は、その後の方に反応したに過ぎない。
本音を吐いたとまでは言えないが~。
『ゴホッ、ゴホッ』
「ごめんなさい。長く話し込んだせいで~」
「僕の方こそ、ごめんなさい。突然、現れたりして~」
「そう云えば、ドアには衛兵が居た筈ですが、どうやってこの中に~」
「ちょっとね~。少しの間、目をつぶって居て下さい。直ぐに退散するから~」
「えっ!その前に、あなたの名前は?」
「僕は、新。じゃぁね」
と言い残して、新はカーテンの影に身を顰(ひそ)め、キラリから万が一の為にと預かっていた麻酔薬を首筋に注射した。
カーテンが僅かに揺れたかと思うと、覗かせていた足下もろとも新の姿は消えてしまった。
『まぁ、長生きをした訳ではないけど、不思議なことに出会うモノですこと~』
マチルドはそれ程驚いた様子を見せなかった。
やがて、自分もあの様に消えて失くなるのだと思い詰めて居たからだろうか。
そして、一言、
「司の宮か~」
と、呟いた。
恐らく、マチルドが健全で有れば、司に対する捉え方は違っていたであろう。
彼女には度を越した負けず嫌いな所が在ったのだから。
加えて、彼女には今は影を潜めて居るが兼ねてからの念願があった。
それは、ファーストレディーとなる事である。
だが病弱の身では、それとて何ほどの者であろうか。
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