第2話 司の宮を連れて
僕に特別な仕事は与えられなかった。
ただ、一日中、宮廷での事を教え込まれた。
主に台頭する勢力に付いてだった。
サドが教官を務めた。
あれやこれや一日で覚えられる筈が無い。
出たとこ勝負、どうにかなるさ。
夜半の事だった。
部屋で頭の中を整理して居ると、サドが息せき切って部屋に入って来た。
「新、何者かが屋敷に侵入した」
「僕はここに居ますけど」
「冗談を言っている場合じゃない。お嬢様の所へ連れて行くから。お前はしっかりお守りするんだぞ」
「あっ、はい」
サドの後を、階段を降り、一階へ。
ここからは入れませんと、モンガが言って居た所まで来た。
「新、こっちだ」
「はい」
その部屋に入るなり心地良い香りに包まれた。
高貴な女性から否応なしに香って来る甘くて柔らかい、それでいて凛としている香だ。
こっちでは五感がやけに鋭くなる。
とは言っても、熊の嗅覚には及ばない。奴らは、山向こうの匂いまで嗅ぎ分けるそうだ。
「サド、何事ですか?」
ん~ん、キラリかヒラリか分からない。
「キラリ様、何者かが屋敷内に」
「分かりました。お嬢様は奥の部屋です」
「新、お嬢様から一瞬たりとも離れないようにな」
「はい」
「どうした。目が泳いでいる様だが~」
「大丈夫です。直ぐに慣れますから」
「ん?私は警備の者の指図をしなければならい。そうだ、キラリ様。これを~」
「これが例の・・・ですね」
「はい」
「分かりました。新、こっちよ」
「お嬢様~」
「聞こえて居たわ。宮廷の誰かの手の者ね」
「はい、きっと、そうです」
「キラリ姉さん。相手はどれくらい?」
「さぁ、ここに乗り込んで来るくらいだから、一人や二人ではないことよ」
『ドヤドヤドヤ』
「ここを嗅ぎつけたみたいね。ヒラリ、お嬢様と新を隠し部屋に」
「はい」
「それと、これっ。いざと成ったらこれで新を・・・ねっ」
「分かりました」
「あの~」
「静かに!」
一体、どうした事か?
隠し部屋とやらで、お嬢様とヒラリと共に息を潜めて居る。
元居た部屋から数人が争っている音が頻りに聞こえて来る。
「どう仕様かしら」
「ヒラリ、何を迷って居るの」
「それが、お嬢様」
「叔母さまから何か言われて居るのね」
「いえ、姉さんが。仕方ない。新ごめんね」
「えっ!」
『チクッ!』
首筋に痛みが走った。
注射を打たれたようだ。
「新、どうしたの?しっかりして!」
意識が遠のいて行く中で、司の宮様の温もりが伝わって来ていた。
「新、起きなさい」
「ん~ん、ムニャムニャ~」
「しっかりしてよ、私の付き人でしょ」
「お嬢様、あれっ、ここは?」
「それは私が聞きたいことでしょ」
気が付けば、ベッドの中、それも、司の宮様とべったり。
「少しは、正気になって」
「はい、もう、大丈夫です」
「それで、ここは何処?」
「僕の部屋です」
「随分と狭いのね」
「そりゃ、お屋敷に比べれば」
そうだ。ここが僕の現実の部屋だ。
さっきまで~、あれは僕の夢の世界での出来事。
でも、こんな事は初めてだ。夢の世界からここに人を連れて来るなんて。
司の宮様の温もりがじんわりと伝わって来ている。
こんな所を屋敷の誰かに見られたら、ただでは済まされないだろう。
むち打ち、水攻め、磔(はりつけ)、ウワォー!!!
「新、離れて。その手も退けてくれない」
「あっ、どうも、生まれつき手癖が悪いもんで」
「私の体から何を盗むっていうの」
「いやっ、それがその~」
「いい加減にしないと、ぶちますよ」
名残惜しいがベッドから抜け出し、テーブルを挟んで司と向き合った。
これから、質問攻めが待っている。
「叔母さまから、それと無く聞いては居ましたが、まさか、ヨミの世界に来るとは~」
「ちょっと、違うんだよな」
「どう違うの。それに、その言葉遣い。誰に向って~」
「だって、ここが僕の現実の世界。言わば、テリトリーってとこかな。司に取ってはここは夢の世界なんだから」
「私のことを呼び捨てにするの」
「お怒りはあっちの方でお願いします」
「それはそうと、ここはヨミの世界では無いのですか?」
「カヤ族の言い伝えの程はよく分からないけど、少し言葉足りずで来たんじゃないかな」
「しっかり、分かるように説明しなさい」
「はいよ。ヨミの世界は無始無終の精神世界で、とても、僕らが足を踏み入れる
こと等出来ないんだ」
「では、誰なら?」
「精神、つまり、心の本性を知り得た人間だけが辿り着けるのさ」
「ますます、分らなくてよ?」
「夢は一種のツールの様なモノで、僕の現実と司の現実を行き来する事を可能にしてくれる。その中間点にヨミの世界が存在するんだ。
この宇宙には数多の銀河があり、その中に僕や司の住む星がある。僕は何かしらの縁が在って司の世界に忍び込む事が出来ている」
「???」
さて、司と新が一瞬にして姿を消した屋敷の中では~。
「ヒラリ、あなただけが置いてきぼりなの?」
「そうみたい、姉さん」
「奥様に報告しないとね」
「なんと言えば良いんでしょう」
「なに、泣きべそをかいたりして。そのまま、ありのままを伝えれば良いから」
「うん」
広間では事の報告を聞く為にこの屋敷の奥様が待ち構えていた。
先ずはキラリが口を開いた。
「奥様、首尾よく行きました」
「そう、それは何よりです」
サドが広間に入って来た。
「どうでした、何処の手の者か分かりましたか?」
「はい、左大臣の配下かと。手首にトマ族の刺青が有りました」
「宰相が司の存在を皆の前で公表したので、慌てて確かめる為に手の者をよこしたのね」
「はい、彼にしてみれば藪から棒で、何の前知識も無かったでしょうから」
「皇子(こうし)の座が危うくなった事で、居ても立っても居られなくなったのね」
「さようかと」
「ところで、ヒラリ。あなたがここに居るって事は~」
「はい、奥様。それが、キラリ姉さんに言われた通りに新の首筋に麻酔薬を打ったのですが」
「忽ち、二人が居なくなった」
「奥様、なんでそれが~」
「ごめんなさい。ヒラリは正直者だから打ち明けずに居たのです。サド、あなたから~」
「はい。賊が忍び込んだのは事実だが、屋敷の外で追い払った。奥様がこの際、新の力量を試してみてはと仰られたので、キラリさんにその旨を伝え、司様の間で、ドタバタ劇を演じて居ただけなんだ」
「姉さんはそれを知って居たんだ」
「ごめんなさい」
「ところで、サド。司や新はどれくらいヨミの世界に居るとお思い?」
「二日と持たないでしょう。新も人間ですから眠気には勝てない筈です。ただ、時間の速度が同じだと仮定してですが」
「それもそうね。カヤ族の文献にも細かい事は書かれてなかったから、あの子たちが戻って来るのを待つしかないようね」
「さようかと」
「では、キラリにヒラリ」
「はい、奥様」
「あなた方にはしばしの休日を与えます。宮廷に上がって仕舞えばそんな暇(いとま)はないでしょうから」
しばらく経って、キラリ姉妹の部屋では~、
「姉さん、暇をどう過ごすの?」
「決まってるでしょ。マッチングアプリを使ってひと夜限りのアバンチュールを楽しむだけよ」
「まあ、大胆な事~」
「宮廷には碌な男は居なくてよ。今の内にね。ヒラリは読書するだけでしょ」
「私だって、いつまでも子供じゃなくてよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
遠く離れた宮廷の片隅では、女官たちが噂話に余念がないようだ。
「聞きました。皇族の誰が氏が近く宮廷に上がられるそうよ」
「そう、そう。確か、つかさと云うお名前と聞いて居ます」
「男性、それとも、女性なのかしら?」
「今の所は、まだ~」
「それで、お血筋は?」
「それが聞いてびっくり。先帝の隠し子だって話よ」
「大変!」
「何が?」
「だって、帝位継承の問題が起こりかねないんですもの」
「それもそうね。皇子(こうし)様があの有り様だから」
「おい、おい。こんな所で立ち話しか?」
「あっ、左大臣様。いえ、あの~」
「まぁ、いい。早く部署に戻りなさい」
「あの~、一つお聞きしても?」
「なんだ」
「つかさ様は男性ですか?」
普段は表情を崩さない左大臣の顔が急に曇った。
「何処からその名前が漏れたのかな。つまらん話に現(うつつ)を抜かして居るんじゃない」
「申し訳ありません」
女官たちは蜘蛛の子を散らしたかの様にその場から離れて行った。
「これは、左大臣殿、帝の所へ」
「宰相は戻られて来たのかな?」
「はい。昨晩、カヤ族の屋敷に狼藉物(ろうぜきもの)が現れたと、帝に報告して来たところです」
「ほう、そんな事が~。右大臣の落ち度ですな」
「さようかと。近頃は怪しい輩が跋扈(ばっこ)して居て、困ったものです」
「実に、実に。では~」
「はい、足下に気を付けて下さい。ご自分の足で転ばない様に」
「なかなか、宰相も侮(あなど)れませんな。ここは、お互い様と云う事で。では~」
「どうぞ」
成る程、宮廷内での権力者同士の腹の探り合い。
司や新の前途が危ぶまれる。
さて、司と新はと云えば~
「新、ベッドに入りましょう」
「えっ、真昼間から?僕はまだ、心の準備が~」
「バカお言いでない。あちらに戻るのよ」
「来たばっかりでしょう。皇帝に成るんだったら、少しはこっちの世界を見て行けば。見識は広いに越したことは無いと思うけどな」
「なに、のんきな事を言って居るの。あの状況を忘れた訳ではないでしょ」
「やっぱり、司はまだまだ子供だな」
「私が?」
「考えて見てごらん。なるほど、賊が忍び込んだのは事実だが、敢えて、僕と司を狭い空間に誘い入れたように思わないかい」
「奥様が?」
「そうさ、これを機に僕の能力を試したんだと僕は思うけどな」
「何の為に」
「決まってるだろう。僕がカヤ族の言い伝えの人物かどうか確かめる為にさ」
「そんな、俄かに信じられません」
「サド、キラリも一役買って居たんだろう」
「新って、物事をひねくれて考える質(たち)なのね」
「豪邸で過ごした事が無いんで」
「もう、いいわ」
「何が良いんです?」
「出かけるわよ、新の世界とやらをこの目に焼き付けにね」
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