第16話 春夏秋冬(ひととせ)ナズナ ①(ナズナ視点)

 ──家の前で「また明日」と、海璃と別れたナズナ。


 家に帰って早々、彼女は赤く腫れた頬をどうしたのかと母親に問われ、真顔で蚊に刺されたと答えた。


 母親に変な顔をされたが、ナズナはそんなことは気にも留めず、サクッとご飯と風呂を済ませると寝巻へと着替えた。


 そうして、自室のベッドに寝転がって、ある物を手にする。


「えへへ、カイちゃんのタオル貰っちゃった♪」


 三年前から疎遠になっていた、幼馴染の私物。


 ナズナは自分のスポーツタオルと交換したを見つめ、沸々と湧き上がってくる感情に思わずニヤけ顔になる。


 しかし、そんな幸せ気分の彼女の脳裏に、タオルをあげると言った時の海璃の顔がふと過った。


「……てか、タオルをあげるって言った時、なんだかカイちゃんの様子が少しおかしかった様な気がするけど……。私、別に変なことを言ってないよね……?」


 言って、段々と自分の行動がおかしかったのかもしれないと思い始め、ニヤけ顔から一転、彼女の表情は不安なものへと変わっていく。


「いや、だって、あのタオルは自分で使う機会なんて全然なかったし、毎日走ってるカイちゃんが使ってくれればなって、思っただけ、なんだけど。でも……え? いやいやいやいや、ちょっと待って。やっぱり、私が使ってたタオルとか、そんなの気持ち悪くていらなくない? てか、私って変な人じゃない?」


 ナズナは『なんか、やらかしたかも!』と、恥ずかしさに顔を紅潮させると、手にしていたタオルで顔を覆って、足をバタつかせる。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇ! ど、どうしよう!? カイちゃん、ホントは私のタオルなんかいらなくて困ってたのに、でも気を遣って貰ってくれたんだ! そうだ! きっとそうだよ! ヤバい、ヤバい! 今頃になって恥ずかしくなってきたぁ!」


 そして、足をバタつかせるだけでは足りなかったのか、ベッドの上を右へ左へと転がり始めた。


「恐らくこのハンドタオルだって! カイちゃんはさりげなく自分のタオルと交換する事で、使ってたタオルをあげるのは変じゃないよって、私のことをフォローしてくれたんだよ! きっと、そうなんだぁぁぁぁぁ!」


 一階から聞こえてくる、母親の『静かにしなさい!』と言う怒鳴り声も華麗にスルーして、ナズナはベッドの上を転がり続ける。 


 ゴロゴロ、ゴロゴロと……自分がかいたであろう、恥に悶えながら。


「あぁぁぁぁぁぁ、私っていっつも、こんなんだぁぁぁぁぁぁ、うぅぅぅぅぅぅぅぅ。恥ずかしいよぉ……」


 ナズナは言いながら転がるスピードを徐々に緩めると、仰向けの状態でピタッと止まった。


 彼女の見つめる先には、真っ白な自室の天井。


 明々と灯るLEDの電灯を見つめながら、ボソリと呟いた。


「カイちゃん、私ね……。私、カイちゃんのことが」


 と、その時。机に置いたスマホから着信音が鳴り響いた。


「とと、誰だろ?」


 ナズナはベッドからむくりと起き上がると、机の上のスマホを手に取った。


 そして、電話をかけて来た相手を確認する。


「あ、みゆちゃんだ」


 小学校以来の友人である園嵜そのさき美優みゆう


 海璃と共通の友達ではあるが、中学からは別々の学校へと進学することになってしまい、以来、電話やメールでのやりとりだけになっていた。


 そんな彼女からの連絡に、何かあったのかな、とナズナは電話へと出た。


「はいはい、みゆちゃん?」


『あぁ、ナズナ? ごめん、寝てた?』


「ううん、全っ然。ベッドの上で、ひとり恥ずかしさに悶えてたよ」


『え、ナニソレ? どういう状況? ひとりエッチしてたってこと?』


「アハハ、してないしてない。それより、どうしたの? なにかあった?」


 言って、ナズナは自分の机の椅子を引くと、そのまま腰かけた。


『あぁ、うん。ナズナさ、先週から付き合い始めた彼氏がいるって言ってたでしょ?あれ、どうなったのかなって』


 忘れた頃にやってくる、どこまでもしつこい元カレの影。


 その事に、ナズナはウンザリとばかりに溜息をついた。


「はぁ、もういいよその話はさぁ。別れたから勘弁してよぉ」


『えぇ、マジ? ……まぁ、そんな気はしてたけどさ。てか、別れるのだけはホント早いねぇ』


「……だって、私が悪いんじゃないもん。あっちが二股したんだもん」


 拗ねたのか、ナズナは頬を膨らませる。


『でもさ。その原因って、もしかしなくてもアンタの方にあるんじゃないの?』

 

 ──春夏秋冬ひととせナズナの事を知る人間の間では『彼女が超絶寂しがり屋で構って貰いたがり』だと言うのは有名な話だ。


 小学一年生からナズナと付き合いのある美優も、その事を熟知している。


 そんな犠牲者の一人でもある彼女に言われ、ナズナは不満気に眉を顰めた。


「えぇ……。みゆちゃんも私に原因があるって言いたいの?」


『まぁ、昔からアンタを知る身としてはね。て言うか、って事はさ、他の誰かにも言われたの?』


「……カイちゃんにも言われた」


『あぁ、カイくんか。納得、納得』


「でね、カイちゃんが『お前が重いからだろ』って言うの。でも私、最近は甘い物は控えているし、食事制限だってしてるんだよ? 重いって言われるほど、太ってないと思うんだけどなぁ」


 スマホのスピーカーからは、美優のやれやれと言う溜息が漏れ聞こえてくる。


『……ねぇ、ナズナ。その重いじゃないからね』


「えっ! それも、カイちゃんに言われた。な、なんで!? もしかして、みゆちゃんとカイちゃん、二人は付き合ってるの!?」


『いやいや、んなワケないじゃん。ホント、アンタは相変わらずだねぇ』


 と、笑う美優にナズナは唇をとがらせる。


「もう~、ひとりで納得しないでよぉ。私は何一つ分かんないんですけど?」


『いいよ、分かんないなら、分かんないでさ。それよりも、元気そうでなにより。心配して損したかも』


「え、そう? 元気、かな?」


『元気でしょ。だって、電話に出た時の声とか、結構テンション高めだったし』


「うぅ、そ、それはちょっと、ね」


 ベッドでひとり悶えていたのを思い出し、ナズナは言葉を濁らせた。


 そんな彼女の反応から、美優は何かに思い当たった様に頷く。


『ふ~ん……なるほど』


「な、なに?」


『ねぇ、ナズナ。アンタ、カイくんとなんかあったでしょ?』


 その一言に、ナズナは思わず驚きの声をあげた。


「え……えぇっ!? な、なな、なんで分かったの!?」


 彼女の慌てぶりに、美優は思わず「フッ」と吹き出す。


『いや、分かんないから、ヤマ掛けただけなんだけど。でも、今アンタの方からゲロってくれた』


「ぐっ……」


 なんて私は単純なんだ、とナズナは悔しそうにキュっと唇を噛む。


『てか、何? カイくんとり戻した?』


「よ、りって……。みゆちゃんも知っての通り。私とカイちゃんは、一度も付き合ったことないんだけど」


『ジョーダン。少しは二人の距離、戻した?』


 なんだかんだで、昔から気にかけてくれている親友の美優。


 そんな彼女の言葉に、ナズナは静かに頷いた。


「う、うん。ロクでもない彼氏と別れた時に、愚痴を聞いて貰った。それで、次の日は一緒に学校行って、放課後は……友達も一緒にいたけど、買い物にも行った」


『おぉ~、前進したねぇ。あんなにも、カイくんに近づくのを怖がっていたのに』


「そうだね……なんとか、ね」


 言って、ナズナは俯く。と、美優が囁く様に話しかけた。


『それならさ、もういいんじゃないかな。カイくんの代わりを探すのは』


 スピーカー向こうの彼女の言葉に、ナズナはハッと顔を上げる。


『アンタ、ずっと彼の代わりを探してたんでしょ? の出来事はスミレだけのせいじゃなくて、自分のせいでもあるって責めて、そして彼から離れた。その寂しさを紛らわせる為に、代わりの男を探した。カイくんの代わりをさ……』


 美優にそう言われ、ナズナはしばし黙り込んだ。


 ……あの日の事を相談した、彼女の言う通りだと思ったから。


 自分に勇気が無かったせいで、海璃の心をズタズタにしてしまった。


 二度と恋をしないと泣く海璃の姿を目の当たりにした事で、ナズナは罪の意識から自己嫌悪に陥り、彼から逃げる様に離れた。


 心に深い傷を負った彼に触れるのが怖い、傍に居て慰める資格なんて自分には全くない。そんな感情が入り混じって、どんどんと疎遠になっていき、時間が経てば経つほどに、なんて声をかけて良いのかも分からなくなっていった。


 それと同時に、いつも一緒にいるのが当たり前だった幼馴染と離れたことで、彼女の心にはポッカリと大きな穴が空いてしまった。


 彼のカタチでしか埋めることの出来ない、大きな穴が。


 その心の穴を埋めようと、彼女は必死に藻掻いてみた。けれども、結局は埋めることなど叶わなかった。


 告白して来たから付き合った。その程度の男たちでは、海璃の代わりにはならなかったのだ。


 三年もの時を経て、ようやくナズナは本当はどうすれば良かったのかに気づいた。


 自分が本当に取るべきだった道、その最良の道を……。


『てかさ、そもそもナズナが気に病む事なんてひとつも無いんだよ? あの事はスミレが全部悪いんであって、アンタは何一つ悪くないんだから。まぁ、確かに私も相談された時は、彼の心の傷が癒えるまで時間と距離を置いた方がいいんじゃない? とは言ったけどさ。ホントは、傷ついた彼の傍にいてあげて、癒してあげるのがアンタの役目だったんじゃないかなって思うんだよね。今さらではあるけどさ』


「……で、でも、本当に私でいいのかな。カイちゃんの傍にいてあげる人が」


『それでいいんだって、寧ろ、そうしたいって気づいたから、カイくんとの仲を戻そうとしてるんでしょ? 今からでも全然遅くはないと思う。だから、カイくんの傍に寄り添って、トラウマを忘れさせてあげな。そうしてさ、彼の隣、アンタの指定席にしちゃいなよ』


「私が、カイちゃんの……」


 ナズナは黙ったまま、ベッドの上に置かれた海璃のタオルへと視線を移す。


(カイちゃんは、私にとって幼馴染で、大切な存在で、そして……)


『ナズナ。どうでもいい男と付き合っても、大切な人の代わりにはならないよ』


 ナズナは、美優の言葉を噛みしめる様に頷いた後、ゆっくりと口を開いた。


「……うん、そうだね。随分と遠回りしたけど、私、やっと気づいた」


『だったらさ。もう逃げるのはやめて、心のままにやってみなよ』


 気づいていても、どこか揺らいでいた気持ち。


 その気持ちが強く固まったのか、ナズナは大きく頷いた。


「うん、ありがと、みゆちゃん。私、やりたいようにやってみる。自分の気持ちに素直になって……ぐいぐいやってみる」


『おぉ~、その意気、その意気。やれるだけやってみなよ。まぁ、骨ぐらいは拾ってあげるからさ』


「えぇ! なんかダメなの前提になってない?! それって、応援してくれてるのかなぁ!?」


 美優の『アハハ』と笑う声に、ナズナも釣られて笑顔になる。


『あ、でもナズナ。ぐいぐいとは言っても、電話やメールのやりすぎ注意ね。カイくんに嫌われちゃうよ?』


「え……嫌われちゃう、かな?」


『まぁ、適度にしなよって』


「わ、わかった……。嫌われたくないから、気を付ける」


『あいあい、気を付けな。それじゃ、今日はこれで。アタシ、明日は早いからさ』


「う、うん、分かった。おやすみ、みゆちゃん」


『……えっと、そ、それとさ、ナズナ』


「ん?」


『ア、アタシは何があっても、ずっとアンタの味方、だからね。じゃ、おやすみ!』


 言って、美優はすぐに電話を切ってしまった。


 なんだか、最後は照れ臭そうだったな、と思いながらナズナは微笑む。


 そして、すでに電話の切れたスマホに向かって呟いた。


「ありがと。私のもう一人の大切な、幼馴染……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る