第15話 タオルの交換……そして、桜でんぶと海苔。

 ──公園を後にして、俺とナズナは帰宅の途についた。


 学校であった最近の出来事や来月は夏休みだねとか、そんな他愛のない会話を交わして、あっという間に俺の家の前へと着く。


 ナズナの家は、俺の家のすぐ隣。


 俺が自分の家の前で足を止めると、彼女はクルリとこちらへ振り返った。


「カイちゃん、タオルありがとね。明日の夜までには洗って返すから」


 彼女は笑顔で、アイスパックを包んだままのタオルを振る。


「うん、分かった……」


 と、返事をしてから、今朝のタオルの存在を思い出す。


「って、そうだった」


「ん? どしたの?」


 ナズナは小首を傾げる。


「あ、いや、タオルで思い出してさ。ほら、俺も今朝、ナズナにスポーツタオル借りただろ。アレ、もう洗濯してあるはずだから、とってくるよ」


 言って、家に入ろうとしたところをナズナに呼び止められた。


「ねぇねぇ、カイちゃん、カイちゃん」


「なんだ?」


「あのタオルは、もういいよ」


「……え?」


 彼女の言う『もういいよ』の意味が分からず、俺は眉を顰めた。


「も、もういいって。 ……それって、どういう意味だよ?」


「どういう意味って。あれはさ、カイちゃんにあげるって意味なんだけど」


 俺にくれる? なんでだ? と、頭の中を疑問が駆け巡る。


 ま、まさか……貸したはいいけれど、俺の汗が染み込んでるだろうから、もういらないってことなのだろうか?


 だとしたなら、なんかショックなんだけど……。


「あ、あげるってなんでだよ……。俺が使ったから、もういらないって事か?」


 俺がそう訊き返すと、ナズナは真顔でふるふると首を振る。


「え、ううん、違う違う。そうじゃないよ」


「じゃ、じゃあ。なんでなんだよ」


「う~ん、なんて言うか。あのピンク色のスポーツタオルさんは、自分ではあんまり使う機会ってなかったんだよね。だから、毎日走るカイちゃんが持ってた方が、きっとタオルさんも活躍の場が増えて喜ぶと思うの」


 急な擬人化を果たした、ナズナのタオルさん。


 ひとまず、春夏秋冬ひととせタオルさんの事は置いとくとして。


 彼女の言葉をそのまま受け取るなら、使ではなくて、自分よりもタオルを使う人にあげたいってだけなのだろう。


 とりあえず、懸念していた様な答えではなくて、ホッと一安心する。


 だが、例えそうであったとしても『はい、そうですか』と、素直にタオルを受け取る訳にはいかない。


 誰もが振り向く美少女が使用していた私物。そんなものを貰う訳には……。


「た、確かに、俺の方が使う機会が多い、かもしれないけど。元はお前が使っていたタオルじゃないか。そ、それを、俺なんかが貰っても、いいのかよ」


 その質問に、ナズナは不思議そうな表情をする。


「え、全然いいと思うよ。変なこと気にするね、カイちゃん」


 ……なんだろう。なんか、俺の方が間違ったこと言ったかな、と一瞬考える。


 いや、決してそんな事は無い。おかしいのは俺の方ではなく、気にも留めていないナズナの方だ。


 だって普通、女子高生が自分で使っていたタオルを……。


 と、そこまで考えて俺は一度冷静になる。


『でも、ナズナが言う事だしな』と。


 さっきの公園でのデート発言と言い、彼女は昔から少し変わった女の子だった。


 だから、常識に当て嵌めるだけ無駄なんだろう、と早々に思考を諦める。


 ただ、貰ってばかりだと言うのも何だか落ち着かない。


 そう思った俺は、お返しになるかは分からないが、彼女にある提案を持ちかけた。


「……じゃ、じゃあさ。お、俺のタオルも……その、返さなくていい」


 そう言うと、ナズナは「え?」と言って、俺へと近寄って来た。


「いいの? ホントに? これくれるの!?」


 彼女の異様なテンションに圧されて、俺はたじろぐ。


「あ、う、うん。俺のハンドタオルで釣り合うかどうかは疑問だけど、スポーツタオルを貰ったし……そのお返しに」


 その返事に、ナズナは赤く腫れた頬を綻ばせる。


「えへへ、やったぁ♪ それじゃあさ、私のスポーツタオルとカイちゃんのハンドタオルは交換、ってことで」


「……あ、あぁ。お前がそれで良いって言うなら」


「もちろん♪ 全然オッケーだよ! スポーツタオルなんかより、こっちのハンドタオルの方がすっごく使い勝手が良さそうだもん。ありがとね、カイちゃん!」


 想像以上のナズナの喜び様に、俺は戸惑いを覚える。


 俺のハンドタオルで、そこまで喜ぶことなのだろうか、と。


 だが実際に、ナズナはそれで良かったと喜んでいる。


 色々と疑問は尽きないが、考えるのも疲れたし、彼女も喜んでいるし、もうそれでいいやと、自分を納得させる。


「そ、それじゃ、今日はもう遅いから……また明日な」


 言って、俺は軽く手をあげた。


「うん! それじゃ、また明日ね! カイちゃん!」


 ナズナは、手にしたハンドタオルをギュっと握りしめて、足取り軽やかに自分の家へと帰っていった。


 そんな彼女を見送って、俺も自分の家へと足を向ける。


「ホント、昔からアイツだけは良く分からんな……」


 何だか、今日は色々あって凄く疲れたな。と溜息をつきながら、俺は自宅の玄関を開けた。


 ──そうして、そんな俺を出迎えてくれたのは……


「おかえり、にぃに。遅かったね」


 と、腕組みして仁王立ちする、我が妹、毬衣まりいだった。


 上はピンクのパーカー、下はグレーのスウェット姿で、俺の事をジト目で見てくる。


「た、ただいま……毬衣」


 いつからそうしていたのだろうか。ずっとそこにいて暇じゃなかったのかなと、どうでもいい事が気になる。


 そんな俺を他所に、毬衣は自分のスマホの画面を指差しながら見せてきた。


「ねぇ、にぃに。こんな時間までどこに行ってたの? いつもなら、18時半までには帰って来てトレーニング始めるのに、今日はもう20時回ってるよ? 遅くなるなら遅くなるって連絡して欲しい。心配したんだから」


 毬衣の言う通り、すでに時間は20:15分と表示されていた。


 妹に心配までかけて、トレーニングもサボっちゃったな……。と、頭を掻く。


「いや、そ、それが、その。今日はナズナとカオンモールにちょっと……な」


 俺がそう言うと、毬衣の眉がピクッと跳ねた。


「今も、外でナズナちゃんと楽しそうに話してたね」


「う、うん……」


 毬衣はスマホをポケットにしまうと、絹糸の様な綺麗な黒髪を耳にかける。


「にぃに。あたしはね、昔からナズナちゃんのことを認めてはいないの」


 ……うん、一体何の話だろうか。認めていないって、何のことだ?


「ちょ、ちょっと待ってくれ、毬衣。いきなり何の話をしてるんだよ」


 俺の疑問に、毬衣は何かを説明するかの様に人差し指を立てた。


「何って、ナズナちゃんの話だよ。現段階において、彼女はにぃにの子供を身籠るのに相応ふさわしい女性では無いってこと」


 マジで、何の話をしているんだ毬衣は。子供を身籠るって……なんだよ。


 そんな、愛する妹の衝撃発言に俺は額に手を添えて大きく息を吐いた。


「なぁ、毬衣。一体何の話をしているのか良く分からないが、ナズナはお前が考えてる様なヤツじゃないよ」


「それって、どういう意味?」


「どうもこうも、いいヤツってことさ。それに、毬衣が気にする様な事にもなってないぞ。今日帰りが遅くなったのも、ナズナの友達と一緒に買い物をしてただけだし」


「ホントかな?」


 と、毬衣は訝し気な表情で俺を見る。


 実際には他にも色々あったけど……。話すと長くなるし、カットでいいだろう。


「ホントだよ。て言うか、何を疑うことがあるんだ? 俺がそんな陽キャな人間ではないことを、妹である毬衣が良く知っているだろ?」


「にぃには体を鍛えてて、カッコよくて優しいから。すっごく心配」


「妄想が過ぎるぞ、毬衣」


 ナズナと言い、毬衣と言い、大堂海璃と言う男を過大評価し過ぎである。


 もっと、本当の俺のことを良く理解した方が良い。ただの、ライトノベルが大好きな陰キャだぞ。


「まったく……」


 俺は靴を脱いで家に上がる。そして、カバンの中から空の弁当箱を取りだした。


「それよりも。ほい、毬衣。今日の弁当も美味しかったよ。料理の腕前、どんどん上がっているんじゃないか?」


 毬衣は俺から弁当箱を受け取ると、ジト目から一転。チワワの様なつぶらな瞳で寄ってくる。


「ホ、ホントに? なにが一番美味しかった?」


「そうだなぁ。一番は……やっぱ、卵焼きかな。母さんの味に近づいてる」


「ふふっ、良かったぁ。だってね、お母さんの卵焼きは砂糖多めだから焼き加減がすっごく難しいんだよ? でも、美味しかったなら良かったぁ。えへへ、にぃにが褒めてくれた。嬉しいな♪」


 弁当箱を胸に抱きしめて、その場でくるくると回り出す毬衣。あどけない笑顔ではしゃぐ姿は、この上なく微笑ましい。


 先ほどまで『ナズナはにぃにの子供を身籠るに値しない』とか、何やら物騒な発言をしていた女の子とはとても思えない。


 ほんと、こういう所は可愛いんだけどな。と、俺は頬を緩ませたところで、ある事を思い出した。


(あ、そうだった。毬衣に桜でんぶのハートと海苔を止めて貰うように、お願いしないといけないんだった)


 とにかく、アレだけは止めて貰わなければと、俺は話を切り出した。


「なぁ、毬衣。お願いがあるんだけど」


「なに、にぃに?」


「その、実はご飯部分の桜でんぶと海苔の事なんだけどさ……」


 俺がそこまで言うと、毬衣はニッコリと微笑んで頷いた。


「うん! あたし、頑張る! 明日もたっぷりの桜でんぶと海苔で、にぃにへの愛をバッチリ表現するから、楽しみにしててね♪」


 目の前の無邪気な笑顔を前にして、俺はアレを止めろとは言えなくなる。


「あ……あぁ、うん。そうか、とても嬉しいよ」


 明日もアレなのか。と、俺は絶望して項垂れた。

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