第14話 日の暮れた公園で
──陽が沈んだ、人気の少ない駅前の公園。
主役である子供たちの姿はすでになく、散歩や軽い運動をする人々がちらほらといるだけ。
そんな彼らとすれ違い、俺は街灯近くに設置されたベンチへとナズナを座らせる。
そして、ここに来る途中で買ったアイスパックを、自分のハンドタオルで包んで、それを彼女へ差し出した。
「ナズナ、これ。タオルは使ってないから、汚れてないはず」
ナズナはそれを受け取ると、暫く見つめてから赤く腫れた頬へと当てる。
「ありがと、カイちゃん。……ふふ、やんわりと冷たくて気持ちいい」
力なく微笑むナズナ。
そんな彼女の右隣に、俺も缶コーヒーを片手に腰を降ろした。
そうして、早速プルタブを開けて、一口含む。
昼間はジメっとして暑いけど、日が暮れると少々肌寒い六月の夜。ホットでも良かったかなと、後悔する。
辺りを包む、夜の
どちらかが話し出さない限り永遠に続くのではないか。そう思われた沈黙を、俺の方から破ることにした。
「な、なぁ、ナズナ」
「なに、カイちゃん?」
「いや、そ、その、頬……。大丈夫かな、って」
「ん? ……うん。まぁ、痛いのは痛いけれど。でも、ダイジョブ。カイちゃんが買ってくれたアイスパックが、私を癒してくれてるから」
いつもの底抜けに明るい感じとは違う、声のトーンの低いナズナ。
その落差に、何とも言えない居心地の悪さを覚えながら、俺は彼女を見やる。すると、丁度こちちへと向いたナズナと目が合った。
彼女は少々、申し訳なさそうに笑う。
「それよりも、ごめんね。カイちゃん」
なんのことか分からず、訊き返す。
「ん、何が?」
「コーヒー」
「え、あ、コーヒー?」
言われて、俺は手にした缶コーヒーを見た。それには、炭火焼珈琲・微糖と書かれてある。
「そう、コーヒー。約束していたストバのドリップじゃなくて、結局、缶コーヒーになっちゃった。しかもそれ、カイちゃんが自分で買ってるし」
……なんだその事か、と俺は首を振る。
「いや、気にするなよ。今日は色々あったし、しょうがないさ」
「うん、そだね。色々あったもんね……。だから次、私が絶対に奢るから」
「あぁ、楽しみにしてるよ」
俺の返事に、ナズナは少しぎこちない表情で微笑むと、言葉を続けた。
「それじゃあさ、次はいつにしようか? カイちゃんとのデート」
「……は? デート?」
突然のデートと言う言葉に、俺は間の抜けた声を発していた。
「いやいや、デートって……。学校帰りに、俺がナズナにコーヒー奢って貰うだけじゃないか」
「でも、男女でお出かけってことは、それってつまりデートだよね?」
流石は、ラノベと六法全書を同じ本だと一括りにする、ナズナらしい持論である。
その些か短絡的過ぎる暴論に対して、俺は疑問を呈した。
「じゃあさ。今日、俺と水上さん、そしてナズナでカオンモールに出かけたのもデートになんのか?」
「ううん。それは、ただの買い物」
ほう、どうやら男女二人で出かけると言う事は考慮するらしい。
「んじゃ、俺が水上さんと二人でコーヒーショップへ出かけるのは?」
「それも、お出かけ」
あれ? 男女二人でお出かけは、デートじゃないのか?
「……じゃ、俺とナズナが、学校行事で必要な物を放課後に買い出しに行くのは?」
「それはデート」
……どうしてそうなる。
「俺の中では、辛うじて二番目だけがデートだよ」
「えぇ~。違うよぉ……最後は放課後デートだよぉ」
ナズナは、そう寂しげに言って俯むくと、頬に当てていたタオルをギュッと握り締めた。
──と言うか。ナズナは今、どういうつもりで俺と出かける事をデートだと言ったのだろうか。
デートと言えば、普通は付き合っている男女がするものである。
ただの幼馴染と出かけることを、絶対にデートとは呼ばない……はずだ。
だが、もしかしたら俺が知らないだけで、最近は友達同士で出かけるのもデートって呼ぶのだろうか。
それとも、ナズナは……?
いやいや、所詮はナズナの謎理論だ。どうせ、真面目に考えるだけ無駄なんだろうなと俺は悟る。
とにかく、ナズナが俺と出かける事をデートと呼ぶのが気恥ずかしくて、ぶっきらぼうな態度をとった。
「で、出かける事をデートって呼びたいなら……。そう言う事にしておくよ」
言って、俺は缶コーヒーを煽って、そのまま空を見上げる。
街の明かりに邪魔されて、星が全く見えない深淵の如き夜空。
そんな見慣れた夜空の下、再びの沈黙に俺が気まずさを覚えていると、
「……あの時はごめんね、カイちゃん」
と、ナズナの二度目の謝罪によって、二度目の沈黙は破られた。
「あの時……?」
その謝罪は先ほどの本屋での出来事では無くて、もっと昔、俺が呉町にフラれた時の事だと察する。
「それって、俺が呉町に校舎裏で告白した時のことか? ナズナ、アレを全部見てたんだな」
「う、うん」
「てか、三年も前の話だし。別に怒ってもいないから気にする事は無いぞ」
そう言うと、ナズナは力なく首を横に振った。
「それもなんだけど……それだけじゃなくってさ。私がちゃんと、スミレは酷いヤツなんだよって言えなかったのと、疎遠になってたことも謝りたいの」
「どういうことだ?」
俺が聞き返すと、さらにナズナの声のトーンが低くなる。
「えっと、今のカイちゃんはもう知ってるけど、スミレって昔から裏表の激しい子でさ。男子の前では清楚な感じで振る舞ってるけど、でも裏では、自分が気に入らない人の陰口を叩いたり、人を見下したりする酷い子だったの。それって女子の間ではまぁまぁ有名な話で、私もそのことを知ってたから、カイちゃんに教えてあげようと思っていたの。いたんだけどね……。でもね、私、怖かったんだ。カイちゃんに本当のスミレの姿を伝えるのが、すっごく怖かった……」
「怖かった?」
俺は小首を傾げる。
「うん、私とカイちゃんって、六年の時は違うクラスだったでしょ? だから、スミレのことが好きだってことに全然気づかなくて。気づいた時にはもう、カイちゃんはスミレに夢中になっていた……。だから、私がどれだけスミレの事を注意しても、聞き入れて貰えないんじゃないかなって……。それどころか、下手したら絶交されるかもって、そんな風に思ったの」
そこまで話したナズナの頬に、一粒の涙が伝っていく。そして、顎を伝って下へと落ちていった。
「ナズナ……」
「……だからね、だから、それが怖くて。カイちゃんに、絶交だって言われるのが怖くって、私言い出せなかった」
「……」
俺は、ちゃんとナズナの話を聞いたよ。とは言えなかった。
彼女が懸念していた事を、俺自身が完全に否定する事が出来なかったから。
小学六年の二学期。席替えで隣同士になったあの日から、俺は呉町スミレと言う美少女にゾッコンだった。周りが見えなくなるくらい、夢中になっていた。
だから、実は彼女が酷いヤツなんだよってナズナに諭されたとしても、ムキになって信じなかったと思う。
寧ろナズナの言う通り、呉町の事を悪く言った彼女に対して、酷い暴言を浴びせた挙句に絶交……なんてことに、なっていたやもしれない。
自分だから分かる。それほどまでに、俺は呉町の事が好きだったのだ。
故に、俺は何も言えなかった。
「あと、疎遠になっていたのもね。あんなにもカイちゃんが傷ついたのは、スミレだけのせいじゃなくて、あの時に何も言えなかった私のせいでもあるって思ったの。スミレに告白するのを止められなかった私のせいだって。だから私、傷ついたカイちゃんに触れるのが怖くて、傍にいちゃいけないって思って。それで、何だか遠ざける様になっちゃって……。だから、ごめんなさい」
今まで詳しく知り得なかった、ナズナが疎遠になっていた理由。
ナズナなりに色々と考えてくれていたんだ。と、三年間の時を経て俺はようやく理解する。
呉町にフラれて俺が傷ついた事は、決してナズナのせいなんかではない。
それなのに、彼女はこれほどまでに苦悩していた……。弱い俺のせいで。
俺がもっと強ければ、ナズナが自分を責める事はなかったし、色々考えて辛い思いをすることもなかった。それに、さっきの本屋でも俺が毅然とした態度をとっていれば、呉町に対して平手打ちなんてしなくても済んだはずだ。
そう、全ては弱い俺のせい……。
ホント、俺ってヤツは馬鹿野郎だ。こんなにも、俺の事を気遣ってくれる幼馴染がいることに、今更になって気づくだなんて。
だから……
「ありがとな、ナズナ」
と、俺は彼女にお礼を述べた。
「……え? カ、カイちゃん? なんでお礼?」
隣り合った俺とナズナが、同時に顔を向け合う。彼女は予想外だとばかりに、不思議そうな表情をしていた。
「だって、ナズナがそんな風に考えてくれていたから、今でもこうして仲の良い幼馴染でいられるんだ。もしも、あの時の俺にナズナが呉町の事を告げ口していたら、俺もお前も傷つけあって、一生仲違いしたままだったと思う」
「……そ、そんな。私、怖くて。カイちゃんに何て声かけて良いか分からなくて、逃げただけだよ」
「そんなこと無い。いっぱい考えてくれた、ナズナのおかげだよ……。それに、さっきの本屋の事だって。……だから、謝罪よりもお礼が言いたいんだ。ありがとう。ありがとな、ナズナ」
ナズナは「ううん」と首を振る。
「私、そんないい子じゃないのに……。すっごく悪い子、なのに」
言って、彼女は恥ずかしそうに、俺から視線を逸らして俯いた。
そんなナズナの態度に、俺まで恥ずかしい気持ちを覚える。
なんだか、ガラじゃないなって。
「え、えっと、その……。ナ、ナズナ、今日の昼飯の時にさ、一周回って考え方とか変わったって、そう言ってたよな。あれって、俺から逃げるのを止めたってことなんだろ? だからさ、俺も変わらなきゃいけないって思う。いつまでも、ナズナにそんな思いをさせてちゃダメだ。弱いままじゃ、ダメなんだって」
「……カイちゃんは弱くなんかないよ」
「え?」
「本当は、すっごく強い男の子だって、私は知ってるから」
何のことだ? と、俺は思案を巡らせる。
「一か月程前だったっけ。五月の半ば頃、駅前のゲーセンで無理やり腕掴まれて、引っ張られてた女の子を助けた事があったでしょ。とっても怖~いお兄さんから」
「えっ!? ア、アレ、お前見てたのか!?」
ナズナは頷くと、左手でタオルを押さえたまま、右拳を前へと繰り出す。
「見てたよ。相手のパンチを避けてからの、カイちゃんの右ストレート。見事にカウンターが決まってた。ふふふ」
……ナズナの言う通り、一ケ月程前に無理やりにナンパされていた女子高生を助けたことがある。
ゲーセンの前で何だか男女が揉めているな、と気になって様子を見ていると、突然、男の方が無理やり女子高生を連れていこうと腕を引っ張り始めた。
それを俺が止めて話を聞いていたのだが、そうこうしている内に、ナンパしていた男の方が俺に殴りかかってきたから……ボコボコにブチのめしてしまった。
想像以上の大騒ぎになってしまって、俺は逃げる様にその場を後にしたのだが、後日、俺が落とした生徒手帳を助けた女の子がわざわざ学校まで持って来てくれた事で無事だと知った。
……とまぁ、そんな出来事があったのだ。
「いや、俺が言いたいのは、そう言う腕っぷしの強さじゃなくってさ……。その、心の強さって意味なんだけど」
「心だって。あの時のカイちゃんより、ずっと強くなってるよ。弱い人を守る為に、怖い人に立ち向かう強い心と体を、カイちゃんはすでに持ってるから」
言って、美少女の幼馴染が「えへへ」と、微笑んでくれる。
地道に積み重ねて来た努力を認めてくれる人がいる。
俺は報われた気持ちを胸に、彼女へと笑顔を返した。
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