第13話 ナズナ、会心の一撃。

「あぁ、リリカ」


 呉町に、リリカと呼ばれた茶髪でセミロングの白ギャル。


 彼女は呉町の傍へと近寄ると、俺の事を一瞥して指を差してきた。


「んで、この冴えないヤツ、誰?」


「え? あぁ、えっと、アタシの小学校の時のクラスメイトで、キモブタくん」


「は? キモブタくん?」


「そうそう、キモブタくん。まぁ、とりあえずコレ、見てみなよ」


 呉町は、俺から奪い盗ったラノベをリリカの目の前へと突き出した。


 すると彼女は眉間にシワを寄せて、それをジッと見つめる。


「なになに? 『お兄ちゃんが大好きな妹にはお仕置きが必要です☆』って、なんなんコレ! はぁ!? 官能小説とかそういうヤツ!?」


「キャハハ! ねぇ! リリカもそう思うっしょ? コイツが手にしてた本なんだけどさ、こんなん、どう見たってそういうヤツじゃんね!」


「アハハハ、なるほどねぇ。それで、キモブタくんってワケなんだ? 安直だと思うけど、ピッタリじゃん! アッハハハハハハ!」


 二人は、これは傑作とばかりに手を叩いて大笑いし合う。


「でしょでしょ? コイツ、昔っからこんな感じのキッショい男でさ。ゲームの為だったとは言え、気持ち悪いのを我慢して相手をするの辛かったんだから」


「なになに? その、ゲームって?」


「あぁ、うん。小学六年の時なんだけどね。別のクラスの友達が、このキモブタに告白されたら欲しい物プレゼントしたげるってゲームを提案してきてさ。それ目当てで、嫌々コイツと仲良くなろうとしてた時期があったんだよね」


「キャハハ、なにソレ、酷くない? でも、なんかめっちゃ面白そう!」


「まぁ、騙すのはそれなりに面白かったんだよ? けど、これがまた意外にしんどくてさ。コイツ、アタシが話しかけてくるのを良い事に、読んでる本の内容をそれはもう自慢げに話してくんの。ホント、しょうもない話ばっかで、もうウンザリ。コッチはそんな下らない本なんかコレぽっちも興味無いって言うのにさ。付き合ってあげてるアタシの身にもなってみろって言うのよ」


「うっわぁ、そこまで言う? キモブタくん、泣きそうな顔になってんじゃん。いや、もう泣いてる? アハハ!」


 呉町はわざとらしく肩をすくめ、大きなため息をつく。


「泣きたいのはアタシの方だったって言うの。結果的に、半年近くもそれに付き合わされてさ。ホント、苦痛で仕方なかったんだから。てか、もしもまた、あんな下らない話を聞かされるって言うなら、死んだ方がマシってものよ」


「……っ」


 何も言い返す事が出来ず、俺は黙って俯いた。


 ──当時の俺には、とても楽しかった呉町とのおしゃべり。


 当時の彼女は、俺の話を笑顔で聞きながら、もっとお話ししてって言ってくれた。


 それが嬉しくて、楽しくて……。ついつい、たくさん話しかけていた。


 しかし、彼女の本心は全く違っていた。話しかけてくる俺の事を、虫けら以下だと蔑んで見ていた。


 ……でも、そんなことは分かっていた。分かっていた事だった。


 告白をしたあの日以来、呉町がそんな風に思っていたんだろうなって事は、なんとなくだけど分かってはいたのだ。


 けれど、改めて彼女の口から聞かされた事で、俺の心は暗く重く沈んでいく。


 呉町の演技だと気づかずに、独り浮かれて話しかけていた。そんな愚かな自分が、とても惨めで憐れに思えたから。


「で、スミレ。結局、告白はされたん?」


 笑い過ぎて涙が出たのか、リリカはそれを指で拭った。


「まぁね。でもホント、コイツの告白キモかったんだよ? アホ面を真っ赤にして必死に言うの。『俺ぇ、呉町さんの事が好きだったんだぁ』って。もう信じらんないくらいに声が震えてて、笑えるったらなくてさ! アッハハハハハ!」


「キャハハ、キモブタくん、必死じゃん!」


「そう! 必死よ、必死! 馬鹿みたいに必死でさ! アタシみたいな美少女が仲良くしてあげるもんだから、調子に乗って勘違いしちゃってんの! 誰が、アンタみたいなゴミを好きになるかっての! 身の程を弁えろって言うのよ! 自惚れ過ぎじゃないの? バッカじゃないの? もっとまともな男になる為に、もう一度、生まれ直しておいで、キモブタ海璃くん! キャッハハハハハ!」


 ……やっぱり、現実の女なんて。現実の恋なんて、ロクなもんじゃ……!


 ───────カツン


 ────カツン


 ──カツン! カツン! カツン! カツン! カツン!


 俺達の真横から聞こえてくる、早足に近づいてくるローファーの音。


 「「「……え?」」」


 それは、まさに電光石火の一撃だった。


 俺、リリカ、呉町の三人が足音の方へ振り向いたと同時に、


 ──パァァァァァァァァァァン!


 と、本屋内に渇いた音が鳴り響いた。


「なっ……!?」


 俺は驚いて目を見開く。


 渇いた音の正体……それはなんと、ナズナが呉町の頬を力いっぱいに平手打ちした音だった。


 目の前で起きた光景に、俺はただただ呆気にとられる……。


「カイちゃん優しいから……。女の子に絶対に手を上げないからって、調子に乗らないでよ。スミレ」


「……え? あ、あれ? アンタ、ナズナ?」


 ナズナに頬を叩かれた呉町は、一体何が起こったのか理解出来ないと言った表情だった。


 そして、赤くなった左頬に手を添えると、放心したままナズナを見つめている。


「……スミレ。あんたのその性格、ホント変わんないね。やっぱりあの時、あんたみたいなのに告白しちゃダメだって、カイちゃんに言うべきだった。絶対に……。絶対に止めるべきだった!」


 ナズナ……。お前、やっぱり知ってたんだな。俺が呉町に告白してフラれたこと。


 あの時の事を。


「ナズナ。お前、全部知ってたんだ……」


 ナズナは一瞬、悲しそうに俺へと微笑むと、すぐに呉町へと視線を戻した。


「あんたなんかに恋したばかりに、カイちゃんの心、いっぱい、いっぱい傷ついて。彼ね、あんたに騙されてフラれた後、もう二度と現実の恋なんてしないって誓ったんだよ。分かる? その時の彼の気持ちがさ。……ううん、分かる訳ないよね、プレゼント欲しさに、ゲーム感覚で人の心を傷つけられる、最低なあんたなんかには!」


「くっ!」


 言われて、呉町は苦虫を潰したかの様に顔を歪めた。肩を小刻みに震わせ、話を続けるナズナのことを鋭い目で睨みつける。


「彼はね……カイちゃんは、あんたなんかが好き勝手に言っていい人じゃないの。とっても優しい、私の大切な幼馴染なんだよ。だから謝ってよ。あの時の事も、今ここで彼を侮辱した事も、全部、全部、カイちゃんに謝ってよ! カイちゃんに謝れ! この性格ドブス!」


 そこまで言ったナズナへ、呉町は右手を振り抜いた。


 ──パシィィィン!


 再び、渇いた音が本屋内に鳴り響く。


 「なにすんのよ、ナズナ!」


 今度は呉町がナズナの左頬を平手打ちしていた。しかし、叩かれた左頬を気にする様子もなく、ナズナはすぐに顔を戻して……


 ──パァァァァァァァァァァン!


 三度、本屋内に頬を叩く音が響き渡った。


「──っ!」


「いいから、カイちゃんに謝ってよ……。スミレ」


 二度もナズナに叩かれ、呉町の左頬はさらに赤く腫れあがっている。彼女は目に涙を溜めて、今にも泣き出しそうな表情だった。


「うぐぅ、ぐすっ! や、やめてよ、痛いじゃない!」


「……痛い?」


「ひぃっ!」


 ドスの効いた呟きが余程に怖かったのか。


 ナズナの迫力に気圧されて、呉町は顔を引きつらせて後ずさった。


「痛いのは、カイちゃんの心なの。あんたのことが好きだって……純粋な気持ちを踏みにじられた、彼の心の方が何倍も、何十倍も、ううん、何億倍も痛いんだよ? それが分からないって言うの?」

 

 そう言って、ナズナは再び右手を上げて構えた。


「だったらわかるまで、引っ叩いてあげようか?」


「ひぃぃ! も、もうヤメて! もうヤメてよぉぉぉぉ!」


 呉町は大きく首を横に振り、涙と鼻水を撒き散らしながら泣き叫ぶ。


 そうして慌てて反転すると、そのまま本屋の出口に向かって走り出した。


「なんなのよ! なんなのよぉぉぉぉぉぉ!」


「ちょ、ス、スミレ!」


 呼びかけるリリカの声を振り払い、喚きながら猛ダッシュする呉町。


 しかし次の瞬間、


「ぎゃっ!」


 と、彼女は何かに躓き、短い悲鳴を上げて豪快にコケた。


 その勢いと拍子でスカートはめくれあがり、彼女の純白の下着が丸見えになってしまっていた。


 そんな彼女の姿を見た周りの人から、クスクスと嘲笑が漏れ聞こえてくる。


「──っ!」


 あまりの羞恥に耐えられなかったのだろう。


 彼女は急いでその場で立ち上がると、再び泣き叫びながら一目散に駆けて行った。


「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! も、もう、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「お、おお、置いてかないでよスミレ! 待ってよ、待ってって!」


 状況を黙って見ていたリリカも、呉町を追う様にして走り去っていった。


 二人が居なくなり、騒がしかった店内は何事も無かったかの様に静まり返る。


 呉町に叩かれた頬が心配だった俺は、ナズナへと視線を移した。


「……ナズナ」


 名前を呼んだ俺へと、ナズナは振り向く。


 そして、彼女の赤くなった頬に一筋の涙が伝っていくのが見えた。


「えへへ。ちょっと、ほっぺた痛いかも……」

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