第12話 呉町スミレ(トラウマ)、再び。

 水上を送っていったナズナを待つ間、俺はカオンモール内にある本屋に来ていた。


 やはり、予想していた通りの騒がしさ。


 幼い子供たちや学生たちの賑やかな声が、あちらこちらで飛び交っている。


「まるでライブ会場だよ……」と、独りごちる。


 しかし、今日は楽しみにしていた大好きな作品の新刊発売日。


 俺は気を取り直し、万引き防止用のゲートを抜けて店内へと足を踏みいれた。


 とりあえず、始めに見るのは店頭正面の棚。


 そこには、本屋さんが今一番推したいであろう作品が、大量のPOPと共に平積みにされている。


 棚は二分され、小説と漫画のランキングTOP10の作品がそれぞれ並んでいた。


 俺は目ぼしい物は無いかと軽く眺めて、その場を後にする。


 次に漫画の棚。


 ここでも、ラノベ原作の作品が出ているかを軽くチェックだけして立ち去る。


 そして、俺はいくつもの本棚と角を曲がり、最後の場所を目指した。


 ──そう、俺の聖地である、ライトノベルコーナーだ。


 着くなり、棚に平積みにされたラノベの山を俺は吟味する様に眺める。


「今月は新刊が沢山出るんだよな。『お兄ちゃんが大好きな妹にはお仕置きが必要です☆』の第三巻を買うのは決定しているとして……後一冊は買えそうだけど、新聞部に入部すれば副島先生が二冊は買ってくれるって言うし。とりあえず保留かな」


 新刊であるのを強調する様に、一番手前で山積みになっている大好きな作品。


 その上から三冊目を手に取り、表紙を見つめた。


 イラストレーターの先生が魂を込めて描いたヒロインの絵に、俺は感動で胸がいっぱいになる。


「なんて素敵なんだ。三巻の表紙もすっごくいい。お兄ちゃんを優しく癒す妹ちゃんのドレス姿が、とても可愛らしくて最高だな。これ程までに、心血を注いで描いてくれた先生には感謝しかないよ」


 そう、最新刊の素晴らしい出来に思わず感嘆の声を漏らした。


 感動で胸いっぱいになった勢いで、保存用も買おうかと思案している……と、不意に背中から声をかけられた。


「ねぇもしかしてさ、大堂くん、じゃない?」


 聞き覚えのある女の子の声に、俺の体がビクっと震えた。


「──え?」


 脳裏に過る、悪意に歪んだ少女の笑顔。


 得体の知れない何かが、そっと心を撫でていく。そんな感覚を覚え、全身の毛がゾワッと逆立つ。


 まさか……と、俺はその声の主を確かめようとゆっくりと振り返った。


「アハ、やっぱり大堂くんじゃん。うわぁ、懐かしいね? 三年ぶりぐらいかな?」


 そこには、俺が想像していた清楚で奥ゆかしい少女ではなく、派手な化粧を施したロンゲの金髪ギャルが立っていた。


 記憶の中の少女が、目の前の制服ギャルへとアップデートされていく。


「あれ? 何黙ってんの? もしかして、私のこと忘れちゃった?」


 忘れる訳がない……。彼女は、俺の心にトラウマを植え付け、二度と恋をしないと誓わせた初恋あくむなのだから。


 そんな、数年ぶりに見た呉町スミレの姿に、胸の奥が気持ち悪いほどにザワついていく。


「く、呉町……さん」


 彼女は俺の顔を見るなり、小馬鹿にした様な笑みを浮かべた。


「そう、呉町。呉町スミレ。久しぶりね、元気にしてた? キモブタくん?」


 出来ることなら、二度と会いたくない。


 そう思っていた少女を前にして、俺は海の底に沈められた様な、そんなプレッシャーと息苦しさに襲われる。


「……あっ、う、あ、えと」


 呉町の『元気にしてた?』に、返事を返そうと口を開く。が、どれだけ声を出そうとしても、喉の奥からは一言も言葉が出てこない。


 あの出来事から三年……。


 それだけの月日を経て、心の傷はそれなりに癒えたつもりでいたけれど、いざ彼女を目の前にして、それは勘違いだったと気づかされる。


 ──俺は、呉町と話すのが怖い。


 彼女と会話を交わすことで、あの日受けた屈辱を再び味わうかもしれない。そう考えると、一切の言葉が出てこない。


 呻く様な声しか出てこなかった……。


「ちょっと。口開けたままでポカーンとして、なにアホ面を晒してんの? アタシが元気だったか聞いてんだから、さっさとそれぐらい答えなさいよ」


 呉町は、背中まで伸ばした金髪をかき上げて、目を細めて俺のことを睨みつけた。


「ねぇ、聞いてんの? キモブタ」


 黙り続ける俺のことが苛つくのか、言葉遣いも徐々に荒くなっていく。


 とにかく、何か喋らないと増々彼女の機嫌を損ねかねない。


 そう思った俺は、


「……げ、元気に、して、た」


 と、なんとか振り絞り出す様にそれだけを口にした。


 俺が返事を返した事に満足したのか、彼女のしかめっ面に笑顔が戻る。


「そう、なら良かった。アタシのせいで鬱病になったとか、病気になったとか、そんな風に言われちゃったら堪ったもんじゃないしね」


 呉町はそう言うと、二歩、三歩と、俺に近寄ってくる。


 彼女から漂ってくる、むせる程に甘ったるい香水の匂い。その匂いに、吐き気を催した俺は、嫌悪感から後ろへと下がった。


「でも、アンタ。ヒント無しで、ちゃんとアタシだって分かったの偉いじゃんね。だって、最後に会ったのって小学校の卒業式の時でしょ? あの時と比べて、自分でも結構変わったかなぁって、思ってるんだけど」


 盛りに盛りまくったまつ毛。濃い目のアイシャドウ。艶と言うより、テカっているグロス。そして、目が痛いほどに光を反射する金髪。


 面影を探すのに苦労する程、彼女の見た目はかなり変わっている。


 だが、それでも変わらない物もあった。


 深い、深い記憶の奥底から、あの日の出来事と一緒に俺を罵倒する彼女の声が蘇ってくる……。


「こ、声が……変わらなかった、から」


「ん? 声?」


 と、呉町は不思議そうな顔をする。


「そ、そう、呉町さんの声が、三年前と、全然変わってなくて……。た、確かに、見た目はすっごく変わっててビックリはした、けれど」


「あ~ね。そっかそっか、声ね。見た目は変わってても、声はそこまで変わってないって事か。自分では良く分かんないけど、そうなんだ」


 納得したのか、呉町はうんうんと頷いている。


「ってかさ、そう言うアンタは声変わりしてるけど、見た目は全然変わっ……」


 と、そこまで言って彼女は眉を顰める。


「……てるね。なんか、昔のイメージと違う。なんだろ、背が高くなったからかな? 昔みたいにヒョロヒョロじゃない感じがする」


 そうして、呉町は俺の頭のテッペンから足の爪先まで舐める様に見てきた。


 ジロジロと見られるのが嫌で、俺はさらに半歩下がる。


「う~ん、見た目、細いのは細いんだけど、なんかこう、肩幅が広いって言うか、ガッシリした感じがするって言うか……」


 そして、呉町は視線を俺の手にしているモノへと移し、ニッと笑った。


「アハ♪ でも、変わんないモノもあんじゃん」


「え?」


「アンタが手にしてるそれ、ラノベでしょ?」


 イヤな予感に、俺の心臓がドクンと跳ねる。


「あれから三年も経ったって言うのに、ま~だそんな本読んでんの?」


「あ、いや、これは、その……」


「隙あり!」


「あっ!」


 俺が言い淀んでいる隙に、呉町は俺の手から素早くラノベを奪い盗った。


「へぇ、どれどれ?」


 と、奪い盗ったラノベの表紙をまじまじと見つめ、タイトルを読み上げた。


「ん? え? 『お兄ちゃんが大好きな妹にはお仕置きが必要です☆』……って何コレ? いやいや、これってラノベなの!? エロいヤツとかじゃなくて!?」


「ぜ、全然そんなんじゃなくて! タイトルは過激な感じだけど、な、中身は凄く普通なんだ! 色々と不幸な出来事に見舞われる兄を、実の妹が優しく癒してくれるアットホーム的な物語で……!」


「嘘でしょ!? タイトルからしてヤバそうなヤツじゃん! アッハハハハハ! キモっ! アンタ相変わらず気持ち悪い男じゃんね! 安心したわ! キャッハハハハハハハハハ!」


 手にしたラノベを自分の太腿に叩きつけながら大笑いする呉町。


 それに驚いて、周りの人たちは何事かと俺達へ視線を注いでいる。


 と、その時。


「スミレ、何をそんなに大笑いしてんの? みんな見てんだけど?」


 呉町の後方から、彼女と同じ学校の制服を着た女子がダルそうに歩いて来た。

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