第10話 放課後。
──午後の授業も終わり、放課後へと突入する。
ホームルームを終えて教室を出ていく副島先生の背中を見送りながら、俺は自分の席で伸びをした。
「うぅ~、今日も疲れたな」
普段ならこのまま家に直帰して四キロほど走るのだが、今日はナズナと買い物の約束しているので、待ち合わせ場所のコンビニに向かわなければならない。
初対面の女子と会う。それだけで、すでに気が進まないけれど……。
「約束しちゃったしな……。行くか」
と、俺は自分のカバンを持ち、教室を出て昇降口へと向かう。
すでに正面玄関には、部活に向かったり、帰宅する生徒たちで溢れ返っている。
彼らの賑やかな声を耳にしながら、俺は下駄箱でスニーカーへと履き替えた。
「ん?」
校舎を出て正門へ向かって歩いていると、ふと、ある人物の姿が目に留まった。
夕日に照らされたワンサイドアップが、風にゆたゆたと靡く。
ステルス美少女・尾美苗シキノだ。
彼女はひとり立ったまま、ジッとグラウンドを見つめている。
その視線の先。そこには部活動に励んでいる、陸上部のルーキーの姿があった。
滴る汗を手で拭いながら、部員たちと何やら楽し気に会話を交える似島。
そんな彼のことを、尾美苗はただ黙って見つめている。
一緒に帰ろうと思って待っているのだろうか、それとも幼馴染に対して秘めた想いを馳せているのだろうか。
それは分からないけれど、彼女は微動だにせずに、グラウンドで走る彼の姿を見守っていた。
「……まぁ、俺には関係ないか」
それよりも、遅くなったらナズナになんか言われそうだ。
そんな風に考えながら、俺は足早に学校を後にした。
◇◆◇◆
「あ、カイちゃん。こっちこっち~」
待ち合わせ場所のコンビニ前に到着すると、すでにナズナは俺の知らない女子と一緒にいた。
彼女が、朝の電車内でナズナが言っていた友達だろうか。
制服からして同じ学校なんだろうけど、全く見覚えが無い。
ただ、普通にと言ったら失礼なんだろうけど、黒髪をポニテで結んだ、とても可愛いらしい子だった。
二人の元まで近づくと、ナズナは両手で俺を指し示し、彼女に紹介し始める。
「えっと、ミズホちゃん、紹介するね。こちらの彼が前から話していた、一年A組の大堂海璃くん」
そう紹介され、俺は彼女に軽く会釈をする。
「は、初めまして、だよね? A組の大堂です。よろしく」
すると、彼女は慌てて深々とお辞儀を返してきた。
「は、はは、初めまして! わ、わたし、ナズナちゃんと同じC組の、
言葉を区切る度に、高速で頭を下げては上げるを繰り返す水上嬢。そんなに頭を振って大丈夫かなと心配になる。
「ミズホちゃん。ちょっと緊張しぃだけど、良い子だから」
ナズナは三半規管が強いであろう水上ミズホの頭を、幼子を宥める様に撫でた。
俺も、初対面の女子と会話するのは苦手だし緊張するが、さすがに彼女は緊張し過ぎだと思う。
そんな水上の緊張を解してあげようと、俺なりの自虐めいた冗談を言った。
「水上さん。俺なんかに、そんな緊張することなんてないよ? 友達の少ない、ただの陰キャなヤツだからさ」
だが、彼女はそれを否定する様に首を横に振る。
縦に横にと忙しいな、この人。
「そ、そそ、そんな! 大堂くんは陰キャとかじゃなくて、文武両道とかいうヤツだと思います!」
「……え? 文武両道?」
はて? と、俺は首を傾げる。
それって、勉強もスポーツも出来る万能なヤツってことだろ? 俺を表現するのに、最も当て嵌まらないであろう言葉だ。
学校ではラノベばっか読んでいて、テストは普通だし、運動部にだって所属していない。だから、そんな事を言われる様な心当たりが全くない。
だったらどうして……と考えて、ハッとする。
ま、まさか、俺は自分でも気づかない内に、誰かの恨みを買っていたのではないだろうか?
それで本当の姿とのギャップで笑い者に仕立て上げようと、良い噂を言い触らしている輩が……
「だ、だって、ナズナちゃんから聞いてます! 帰宅部だし、学校ではいつも本ばかり読んでるインドア派に見えるけど、家では毎日走ったりして、体を鍛えている意外なアウトドア派なんだって! そういう、みんなの見ていない所で努力しているって言うの、なんかすっごくカッコいいなって思います!」
早速、俺は見つけたばかりの犯人を問いただした。
「……おい、ナズナ。俺の人物像が、水上さんに歪曲して伝わってないか?」
犯人は眉を顰め、腕組みして考える。
「そうかな? ありのままを伝えているよ? だって、いつも本を読んでるし、家に帰ったら体を鍛えてるのは事実でしょ」
「まぁ、嘘ではないけれど……だけど、彼女の様子からして、俺が読んでいる本を純文学か、もしくは政治小説とか歴史小説的な物をイメージしている感じだぞ?」
「でも、本は本でしょ? ラノベも六法全書も、本じゃん」
「もう少し、細かくカテゴライズしろ」
さすがに、その二つを同じ本と言うだけで括るのは如何な物かと思う。
「それにね……」
ナズナは悪戯っぽく笑うと、俺の腹をシャツの上から指でなぞった。
「ほ~ら、腹筋だってこんなに割れてるもんね」
突然のことに、くすぐったさで全身の毛が逆立つ。
さらに腹筋を指でつんつんと押してくるナズナ。彼女の指を軽く振り払おうとする。と、慌てて引っ込めた。
「おい、急に何すんだよ! くすぐったいだろ!」
「アハハ、割れてる割れてる。鍛えてるねぇ、文学少年」
「うっせぇ……ほっとけ」
俺が不貞腐れる様に言うと、ナズナはクスっと笑った。
「まぁまぁ、そんなに怒んないでよ。腹筋を触らせてくれたお礼に、後でコーヒー奢ったげるからさ」
「……缶コーヒーじゃないからな。俺の腹筋はそんな安くない」
「あいあい、分かってる分かってる。ストバのドリップね」
そう言って、ナズナは水上を手で差した。
「と言う訳で、カイちゃん。ちょっと話が脱線しちゃったけど、今日の主役は彼女なんだよね」
「そういや、今朝言ってた友達ってのが水上さんか。で、彼女がある買い物をしたいから、そのアドバイスが欲しいと」
チラリと、水上へ視線を移す。
すると、彼女は自信なさげに自分の髪を弄っていたが、俺と視線が合うと慌てて深々と頭を下げた。
「す、すす、すみません! 私、そういうのは疎くて! その、どう言った物が良いのか分からなくて! だから、だから、アドバイスを頂ければと!」
再び、高速おじぎを繰り返す水上。三半規管が丈夫である事はもう理解した。
「てか俺、詳しい話を何にも聞いてなくてさ。一体、何を買うつもりなの?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
言って、ナズナは首を傾げる。
「聞いてねぇよ。ナズナが放課後に全部話すって言ってたじゃん」
「そうだったっけ? まぁいいや。えっと、ミズホちゃんね、最近付き合い始めた彼氏がいるんだけど、その彼にプレゼントを渡したいんだって」
ナズナの説明に、水上の顔が茹でたタコの様に真っ赤になる。
この人、いちいち反応が可愛いな。
「わ、わわ、私如きが! 彼氏がいて、す、すみません!」
「いや、それ謝ることじゃないから……とは言ってもなぁ。俺も一般男子高校生の好みとか良く分からんのだが」
誤魔化す様に頭を掻く俺を、ナズナが指差してくる。
「いやいや。カイちゃんも、一般男子高校生なんですけど?」
「お、俺はちょっと特殊だからな……普通のと言うか、陽キャのヤツらの好みとか全然分からないぞ」
「まぁ、それは全く問題無いとは思うよ。カイちゃんだからこそ、アドバイス出来ると思うから」
「そう言えば、今朝もそんな感じのことを言ってたな。一体どういう意味なんだ?」
まさか、副島先生みたいにラノベの知識を俺に求めている、訳ないか。
「ミズホちゃんの彼氏って、運動部なんだよね。それで、トレーニングで走ったりするからランニングウェアをプレゼントしたいんだって」
なるほど、と俺は頷く。
「あぁ、そういう事だったのか。確かに、それなら少しはアドバイス出来るかも」
「でしょ? と言う訳で、早速、カオンモールに向かおうよ」
「よ、よよよ、よろしくお願いします!」
いつまで経っても緊張の解けない水上を連れて、俺とナズナはカオンに向かって歩き出した。
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