第9話 ステルス美少女の恩返し。
──後日、旧校舎二階の新聞部部室に行ってと先生に言われ、職員室を後にした。
その帰りのこと。
俺は自分の教室へと戻る途中の廊下で、とても奇怪なモノを目にした。
大量のノートを抱えながら、右へ、左へと、蛇行しながら歩くワンサイドアップの
そう言えば、今日の日直は彼女だったっけ、と思い出す。
状況から察するに、提出していたノートをクラスの皆に返す様、担当の先生に頼まれたのだろう。
しかし、日直は男女二人で一組。相方の男子もいるはずなのだが、辺りにその姿は見当たらない。
小柄な尾美苗ひとりに、クラス全員分のノートを一人で持たせてるって、一体どういう了見……あ、コケた。
何やら、足がグギッとなってそのまま体勢を崩し、廊下にノートを豪快にブチまけてしまっている。
そんな彼女と散らばったノートを見て、廊下を行き交う生徒たちは『何してんだ?』と嘲笑しつつ去っていく。
そうして、尾美苗はおむもろに起き上がると、制服に付いた埃を手で払い始めた。
目の前で起きた状況に、俺は少々苛立ちを覚える。
「……まったく。なんで、誰も手伝わないかな」
あの日のトラウマから、俺は出来る事ならナズナ以外の女子とは関わりを持ちたくないとは思っている。
だがさすがに、目の前で転んでノートをバラまいたクラスメイトを、見て見ぬ振りするなんて事は出来ない。
俺は一度『よし』と気合いを入れてから尾美苗の元へと近づいた。
「大丈夫か? 尾美苗さん」
割りと自然に声をかけられたな。と自分を褒めながら、俺は屈んで散らばったノートを手にする。
「……」
黙々とノートを集める尾美苗。何の返事も返ってはこないって事は『ほっといてくれ』と言う意味だろうか。
彼女の様子を盗み見るが、その長い髪に阻まれて表情を窺い知る事が出来ない。
まぁ、シカトするならそれでも構わない。俺が勝手にやっただけの事だ。
別に仲良くしようとか、お礼を言われたいとか、そういう魂胆があって声をかけた訳では全然ない。
ただ、あんな状況の彼女をほっとけなかった、それだけだから。
そんな風に考えながら、散らばったノートを拾い集めた。
「おし、これで全部かな」
三十冊ほど集めた俺は、立ち上がろうと顔を上げる。と、胸に数冊のノートを抱えた尾美苗が、屈んだ俺の目の前に立っていた。
「……え? あ、なに?」
「大堂、くん。ノート、ちょうだい」
そう言って、尾美苗はノートを両手に持ったまま差し出して来る。
察するに、その上に俺が集めたノートを乗せろと言っている様だった。
俺は、一旦その場にノートを置いて立ち上がる。
「いや、寧ろ尾美苗さんのノートを俺に渡してくれ。また、今みたいにコケたりしたら危ないからさ。だから、俺が代わりに教室まで持って行くよ」
「……でも、教室まで、そんなに遠くないし。これ日直の仕事、だから」
消え入りそうな声で、俺の提案を断ろうとする尾美苗。
だが、またさっきみたいに一人で運んでコケたりしたら、目も当てられない。
そうならない様に、と考えた俺は彼女へと手を差し出す。
「いいから、尾美苗さんが集めた分のノートを俺にくれ」
尾美苗は差し出された俺の手をしばらく見つめた後、おずおずと口を開いた。
「ノート、重いよ? いいの?」
「いいよ。ラノベばっか読んでるヤツだけど、これぐらいは朝飯前だよ」
「……」
尾美苗は、手にしたノートと俺を交互に見つめて何やら考えている様子だった。
そうして考えが纏まったのか、抱えていたノートを黙って俺へと差し出してきた。
それを受取ろうと、俺が手を伸ばした瞬間……何故か引っ込めた。
「「……」」
お互いに、しばし見つめ合ったまま沈黙する。あ、視線を逸らした。
「どうして引っ込めるんだよ、尾美苗さん」
「……ご、ごめん、なさい」
「いや、別に謝らなくてもいいけどさ。とにかく、ノートを渡してくれ」
「う、うん」
そして再び、尾美苗はノートを俺に渡そうと差し出してきた。それを、受け取ろうと手を伸ばす……が、また引っ込めた。
「「……」」
尾美苗がノートを差し出しては、俺が受け取ろうと手を伸ばして、また引っ込める。ノートを差し出す、手を伸ばす、引っ込める。
俺と尾美苗は、それを何度となくと繰り返した。
……埒が明かない。
「いやいや、いい加減にしてくれよ、尾美苗さん。こうしている間にも、刻一刻と掃除の時間が迫っているんだけど」
「で、でも……大堂くん、日直じゃないのに、なんか、やっぱり悪いかなとか、思っちゃって」
「気にしないでいいよ。さっきみたいに、尾美苗さんがコケる方が俺は困る」
「……うぅ、なんで大堂くんが、困るの、かな?」
「さぁ? それは俺にも分かんないけど。でも、困る」
「え、えぇ……なんでぇ」
と、困った表情を浮かべる尾美苗。
そんな顔されても、俺にだって分からんもんは分からん。ただ、ほっとけないだけだし……。
「とりあえず、ノート渡してくれよ。いつまでもこんな事続けていると、休み時間が終っちゃうからさ」
「うぅ……。でも、悪いし、迷惑かけたく、ないし」
「全然、迷惑とか無いよ。俺がやるって言ってんだから、な?」
「……」
尾美苗は視線を落として、暫く黙って考えている様だった。
が、ようやく心が決まったのか、彼女はノートの束から一冊だけ取って、残りを俺に差し出してきた。
「そ、それじゃ、お願い……します」
「うん、それは?」
俺は尾美苗が脇に挟んだノートを指差す。
「こ、これは、自分の、分」
「そっか。じゃ、それだけ頼むよ」
彼女はこくん、と頷く。
「よし、いこうか」
俺は手渡されたノートと床に置いていた分を一纏めにすると、それを抱えて歩き出した。と同時に、尾美苗も俺の真横に並んできた。
俺の肩よりも頭が下。改めて横並びで歩くと、彼女の小柄さがより実感できる。
妹の毬衣みたいにちっこくて、なんだか親近感が湧いてきた。
「て言うか、尾美苗さん。相方の男子の日直はどうしたの? 誰だった?」
「え、えっと……う、
「右藤? う、右藤……って、誰だ?」
入学して二か月。俺は積極的に人と関わろとはしないから、未だに名前と顔が一致しないクラスメイトがいる。
とりあえず、適当にクラスの男子の顔を思い浮かべていく。……どれだ?
「う、右藤くんは、あ、明るくて、ちょっと調子のいい人、かな」
言って、自信なさそうに首を傾げる尾美苗。
「……あ、あぁ~、あいつ、ね。うんうん、あいつか。ったく、女の子一人にノートを持たせて、何やってんだよ、あいつは」
俺は右藤の顔が全く浮かんでこなかったが、彼女に合わせる様に頷いた。
──キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♬
と、昼休みの終了を報せる予鈴が鳴り響く。
「やべ、もう鳴っちまった」
一応、掃除が始まるまでにはまだ十分ほど時間はある。それまでに、ノートを教室に持って行かなければ、と俺は尾美苗に声をかける。
「尾美苗さん、とりあえず急ごう」
「う、うん」
俺の顔を見上げて、彼女は頷く。
とは言え、廊下を走る訳にはいかない。競歩、みたいに俺と尾美苗は足早に教室を目指す。
そうして、校舎一階の廊下を抜けて自分たちの教室へと入るなり、俺は教壇にノートをドサッと置いて皆に伝える。
「お~い、みんなぁ。提出していたノート、ここに置いておくからなぁ。時間無くて配らないから、自分の分は自分で取ってってくれよぉ」
教室のあちこちから「は~い」「りょうか~い」と言った声が聞こえてくる。
俺も自分のノートを手に取ると、さっさと席に戻ろうとした……その時。
謎の力で後ろに引っ張られた。
「うぇ!?」
その、謎の力の正体を確かめようと振り返る。すると、顔を真っ赤にした尾美苗が、俺のシャツの裾を握っていた。
「え、な、なに?」
そう訊き返した俺を、彼女は長い前髪の隙間から覗くように見てくる。
「そ、その、あ、ああ、ありが、とう」
恥ずかしさで緊張しているのか、尾美苗の声は震えている。
確かに、お礼を言うのって何だか照れ臭しい、まぁ気持ちは分かる。
「あ、いや、これしきのこと問題無いよ。気にしないでくれ」
俺の返事に、尾美苗はふるふると首を振る。
「あの、そ、その、お、お、お礼を、したい、から」
「え、お礼? いやいや、そんなのいいって。俺、そんなつもりで手伝ったんじゃないし。ホントに気にしないでくれ。勝手にやっただけなんだから」
「で、でもそれじゃ、私の気が、済まないから。お礼、したい」
「だから、お礼なんていらないよ。気にしないでいいから」
尾美苗は唇をキュっと噛むのと同時に、俺のシャツの裾をギュッと握りしめた。
「だ、大堂、くん!」
「はい!」
急に名前を呼ばれて、思わず綺麗な返事を返した。
「あ、明日、持ってくる、から。お昼、一緒に食べよ」
「え、明日の昼を、一緒に? 何を持ってくるって?」
「それは、その、明日までの……秘密。お、お弁当は、いつも通り持ってきて、教室に居てね。約束だから、ね」
言って、はにかむ様に微笑むと、尾美苗はとてとてと自分の席へと戻っていった。
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