第4話 朝のひととき

「はぁ~、おいしい~♪ おばさんのピザトーストとベーコンエッグ最高です♡」


 二十一畳のリビングダイニングに、ナズナの感嘆の声が響き渡る。


 俺が風呂から上がってくると、すでに四人掛けのダイニングテーブルに俺の母親である大堂二千華にちかとナズナが向い合せで座り、女性二人で楽し気に会話を弾ませていた。


 いつもは落ち着いた時間が流れる、大堂家の朝のリビング。なのだが、今朝は賑やかな事、この上ない。


 わいわいと女子トークを交わす二人を横目に、俺はナズナの隣にある自分の椅子へと腰かけた。


 すでに、俺の分の朝食も用意されており、テーブルに並べられている。


 食パンにピザソースを塗り、とろ~りチーズにハムとピーマンを乗せたピザ風トーストと、カリっと焼き上げたベーコンエッグ。


 それと、白い湯気が立ち昇るホットコーヒー。


 まずは一息つこうと、マグカップを手にして、暖かいコーヒーを一口啜る。


 うん、やっぱり朝は珈琲だよな。と、分かった風に頷きながら、俺は二人の会話に耳を傾けた。

 

「ナズナちゃん。しばらく見ない内に、また一段と綺麗になったね」


「え、ホントですか? えへへ、嬉しいなぁ」


 俺の母さんの言葉に、ナズナは『にへら~』とだらしなく口元を緩める。


「こう、なんて言うのかなぁ。増々、女に磨きが掛かってきたって感じ? やっぱり日頃から気を付けてる事とか、秘訣とかあるのかしら?」


 興味津々だと言わんばかりに、母さんはテーブルに頬杖をついて身を乗りだす。


「ん~どうかなぁ? まぁ、スキンケアはそれなりですけど。他はあんまり気にしてないって言うかぁ……」


「そうなの? 意識してないのに、それだけ綺麗でいられるなんて。ホント、羨ましい限りだわ」


「えぇ……。おばさんがそれ言います? 見た目も内面もすっごく若くて、肌なんて張りもあってキメ細やかじゃないですかぁ。幼い頃からのクセで、おばさんって呼んではいますけど、本当ならお姉さんって呼ばなきゃなって思ってるぐらいですよ?」


 ナズナのお世辞? に気を良くしたのか、母さんの表情は瞬く間にニヤけ顔へと変わっていく。


 若い頃の父さん、楽だったろうな。母さんチョロそうだから。


「ナズナちゃん。遠慮しないで、どんどん食べてね。なんなら、海璃の分のベーコンエッグ食べる?」


「なんで俺が犠牲にならなきゃなんねぇんだよ」


 取られたらかなわんと、俺はすぐさまにベーコンエッグへと手を付けた。


「我が息子ながらケチなヤツね。いいでしょ、減るもんじゃあるまいし」


「減るだろうが、俺の朝食が」


「はぁ、小さい頃は素直であんなにも可愛かったのに、最近ではこの有様。まったく、一体誰に似たのかしらね」


 多分、あなたですよ。かつてのチョロイン様。


 と、心で呟き、ベーコンエッグを口の中へと放り込む。


「あ、だったら、ナズナちゃん。お弁当用にご飯も炊いてあるからさ、お味噌汁と卵焼きと一緒に出そうか?」


「えぇ! ホントですか!? 嬉し……」


 ナズナはそこまで口にして、言い留まる。


「いやいや、おばさん。さすがに、それは食べすぎかも」


「そう? ナズナちゃん育ち盛りなんだから、好きなだけ食べた方がいいわよ?」


「うぅ。で、でも、私、今ダイエット中だし……体形を維持しないと」


 ナズナのダイエットって言葉に、母さんは胸の前で両手をパンと打ち鳴らした。


「あぁ、そっかそっか。おばさん、気が利かなかった。ナズナちゃんって美人だし、ウチの息子とは違って素敵な彼氏の一人や二人はいるもんね」


「いちいち、俺を引き合いに出さないで貰えるかな」


 母さんにそう言って、俺は隣のナズナを見やる。


『恋人の一人や二人はいるもんね』


 どうやら、破局したばかりのナズナには想像以上に効き目があった様だ。


 彼女は手にしていたフォークをテーブルへと落とし、この世の終わりみたいに沈んだ表情を浮かべている。


「なんて顔をしてるんだよ」


「……」


 朝一から美少女がしていい表情じゃない。まぁ、それでも美少女だけど……。


「母さん。大きな地雷を踏んだみたいだぞ」


「え?」


 ピザトーストを齧る俺に、母親は「やらかした?」と、声を出さずに口だけを動かして見せる。それに静かに頷いた。


「ご、ごめんね、ナズナちゃん。おばさん、何か変なこと言ったみたい」


「い、いえ、ぜ、全然、ですから、ホント、全然。アハ、アハハ……」


 ナズナは無理やりに笑顔を作り、母さんに『気にしないで』と胸の前で手を振る。


 先日のファミレスで、


『未練とかはコレっぽっちも無いけど、ポッと出の乳デカ女に負けるなんて、私ってそんなに魅力がないのかな……』


 と、ナズナは愚痴っていた。


 好きでもなかった元カレに二股され、深く傷ついた自尊心とプライド。それらが未だ、完全には癒えていない様だ。


 まぁ実際のところは、ナズナに魅力が無いって言うよりも、数秒置きにくる連絡に元カレがうんざりしただけだと思うのだが……。


 告白されて付きあっただけの、好きでも無い相手との失恋。


 そんなモノに振り回される彼女の姿を横目に、俺はマグカップを掴んで温かいコーヒー啜った。


(やっぱり、現実の恋愛なんてロクなもんじゃないな)


 ……と、そんなやりとりをしていると、不意にリビングの扉がガチャリと開け放たれた。


「おはよう。なんだか朝から騒がしいね。誰か来てるの?」


 テーブルについた三人の視線は、開け放たれた扉の方へと注がれる。


 そこには、スラっとした細身の女の子が制服姿で立っていた。


 我が妹、中学二年生の大堂だいどう毬衣まりいだ。


 身長149センチと小柄で、艶めく絹糸の様な黒髪を腰の辺りまで伸ばしている。


 クールな目元、スッと通った鼻筋、可愛らしい唇。


 性格は……まぁ、少々アレな所があるが。兄の俺とは全く似ても似つかない、天使かと見紛うほどに可愛い。


 その自慢の妹の毬衣は、俺の横に座ったナズナを見るなり、ニコリともせずに声をかけた。


「誰かと思ったら、ナズナちゃんか。朝からウチに来るとか、珍しいね」


「お、おはよう、毬衣まりいちゃん……先に朝ごはん頂いてる、よ」


 静かに首を振る毬衣。


「別に、それはいいけど。ナズナちゃん、なんか、顔色悪くない?」


「気にするな、毬衣。ナズナは今、ちょっと傷心ハートブレイク中なんだ」


「ふ~ん、そうなんだ? まぁ、にぃにが気にするなって言うなら、気にしないでおく」


 言って、毬衣は母さんの隣の椅子に腰かけ、急須を手にして自分の湯飲みへとお茶を注いだ。


 そして、白い湯気が立ち昇る湯呑を手にして、一口啜り『ふぅ』と息をつく。


「あのね、ナズナちゃん。今日はもういいんだけどさ」


「ん? ふぁに?」


 すでに、ハートブレイクから立ち直ったナズナは、ピザトーストを口いっぱいに頬張っている。


 そんな彼女に向かって、毬衣は静かに指差した。


「あなたが今座っている、その席。そこは、私の場所なの。この家の中でにぃにの隣の席は、私専用の席だって言うのを心に留めといてね」


「……」


 口の中の物をゴクンと飲み込んだナズナは、しまったと言った表情で母さんと顔を見合わせる。そして、二人は慌てて毬衣へと言い繕う。


「え、えっと、その、ち、違うのよ、毬衣。ナズナちゃんが悪いんじゃないの。そこに座っていいって言ったの、お母さんだから」


「え、えっと~、毬衣ちゃんが、その、お兄ちゃんのことが大好きなのは知ってたんだけどね、でもちょっと忘れちゃってて、えっと……ご、ごめんね?」


「だから、今日はもういいって言ってるでしょ。でも、二度目はないから……」


 それなりに和やかだった朝の風景が、一瞬にして凍り付く。


 静まり返ったリビングには、毬衣のお茶を啜る音だけが響いていた。

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