第5話 幼馴染の笑顔に弱い。

 朝食を終えた俺は、一度、荷物を取りに家に帰ったナズナと再び駅で合流して学校へと向かった。


 自宅近くの駅から、俺が通う関浜せきはま高校がある駅まで十五分程、電車に揺られる事となる。


 スーツ姿のサラリーマンや学生たちに混じって、俺とナズナは肩を並べて横長のシートに座っていた。


 ホームで電車を待っている間も、どこか上の空だったナズナ。


 そんな彼女の様子をチラリと窺う。


「はぁ……怒らせちゃったな。昔から、怒ると怖いんだよねぇ、毬衣ちゃん」


 どうやら、妹の毬衣に対してやらかしたのを気にしているみたいだ。


 小さく溜息をつき、ナズナは項垂れる。


 そんな彼女に、気休め程度の言葉をかけた。


「まぁ、あんまり気にすんなよ。毬衣のヤツ、いっつもあんな感じだし」


「う~ん。普通に接すれば、優しくて良い子だと思うんだよね、笑うとすっごく可愛いし。でも、ウッカリしてたなぁ。しばらくの間、大堂家にお邪魔していなかったせいもあって、彼女がお兄ちゃん大好きだってのをスッカリ忘れてたよ」


「お兄ちゃん大好きねぇ……そんな可愛いものじゃ無い気もするけどな」


「ん? それってどういうこと?」


 ナズナは首を傾げて、俺の顔を覗き込んできた。


「……なんて言うか。最近のあいつからは、家族としての愛情と言うよりも、禁断的な歪んだナニか、みたいなモノを感じる時があるんだ」


「禁断的な歪んだナニか? ナニソレ、ちょっとエッチなヤツ?」


 個人的に興味をそそられるワードだったのか、ナズナはさらに俺との距離を詰めてくる。


 息がかかる程の顔の近さ。


 その事に少々ドキドキしながらも、気取られない様に俺は平静を装う。


「ぜ、全然、エッチなのとか、そんなんじゃなくて。つい先日のことなんだけどさ、学校から帰って来て自分の部屋に入った時に、なんて言うかこう、妙な違和感を感じたんだよ」


「ほうほう、違和感とな?」


「ああ。何て言うか、ジッと誰かに見られている様な、そんな違和感」


「……ね、ねぇ、カイちゃん? エッチな話じゃないの? まさか怖い話なの?」


 昔から、ホラー系の話が大の苦手なナズナ。


 そっちだったのかぁ……と、彼女の表情が強張っていく。


「だからさっきも言ったけど、エッチな話じゃないって。ただまぁ、怖いっちゃ怖いかもしれないな」


「……じゃ、もうその話止めない?」


「でさ、俺はその違和感の正体を確かめようと、ぐるりと部屋を見渡したんだよ」


「え、続けちゃうんだ……」


 身構えながら、彼女は俺から少し離れて距離を取った。


「ザッと見渡した感じは……特に何も無かった。俺の部屋には、人が隠れられる様な場所や隙間なんてないし、念の為に一応クローゼットの中も見たけど、もちろん誰もいなかった」


「そ、それで……?」


「それで、もう一度改めて部屋を見回したその時、俺の大切なライトノベルコレクションを並べた本棚で、一瞬何かがキラって光ってさ。あれ、なんだろう? っと思って、近づいたんだ」


「う、うん」


 ナズナは青ざめながら、肩を震わせている。


「そしたらさ……あったんだよ」


「あったって、なにが……?」


「俺の最近の一押しラノベ『お兄ちゃんが大好きな妹にはお仕置きが必要です☆』と昔からの愛読書『兄を寝取られた妹の奮闘日誌 背徳編』の間に……」


「あ、間に?」


「毬衣が設置した、ビデオカメラが」


 あんなにも青ざめていたナズナの顔に、みるみると血の気が戻っていく。


「はぁ……なぁんだ、脅かさないでよ、もう」


「え?」


「それぐらい普通じゃないかな?」


 そうだな、完全に失念していたよ。お前もどちらかと言えば、毬衣と同じカテゴリーに分類される存在だったな。


「いやいや、普通って……。兄妹とはいえ、人の部屋に勝手に忍び込んでカメラを設置してるんだぞ? それのどこが普通だって言うんだよ。お前たちの思考って、一体どうなってんだ?」


「そんなのは可愛いものでしょ? 毬衣ちゃん、お兄ちゃんの事が大好きで、部屋に居る時は何してるのかなぁって、気になって気になってしょうがないんだよ」


「あのなぁ。いくら気になるからって、どこの世界に兄の部屋にビデオカメラを設置する妹がいるって言うんだよ」


 ナズナがスッと、俺を指差す。


「大堂家に」


「……いますね」


 ナズナの指摘に、いるなら仕方ないよね、と俺はうんうんと頷いて座り直した。


「あ、でね、カイちゃん。その話はどうでもいいとしてさ」


「実の妹にプライベートを盗撮された話は、どうでも良い事じゃないぞ?」


「今日の帰りに、一緒にカオンに行かない?」


「シカトかよ……」


「カオン、行かない?」


 ナズナが言ったカオンとは、正式名称はカオンモールと言い、飲食店、生鮮食品やアパレルショップなど中心としたとショッピングセンターの他に、映画館や遊技場などが併設されている複合商業施設のことだ。


 休日ともなれば大勢の家族連れやカップルで賑わうが、平日も買い物に来た主婦や学校帰りの学生たちで大いに賑わう場所である。


 そこに行きたいってことは、何か買い物にでも行くのだろうと思われるが……。


 少しばかりナズナの様子を窺う。すると彼女は、なんの憂いも無いと言った表情で俺の返事を待っていた。


 快い返事をくれるだろう、そう確信して。


 だから俺は、期待して待つナズナに自分の意思を明確に伝えた。


「行くわけない」


「えぇっ!? なんでぇ! いいじゃん別にぃ、一緒に来てよぉ」


 期待していた返事と違う。と、ナズナは不満気に唇を尖らせる。


「だって俺、今日は学校の帰りに駅前の書店に寄るつもりなんだよ」


「本屋さん? だったら、尚更にカオンモールでいいじゃん。あそこも大きな書店が入ってるよ?」


 俺は芝居じみた感じで、首を横に振る。


「分かってない。分かってないなぁ、ナズナ」


「え、なにが?」


「夕方のカオンモールってのはな、学校帰りの学生とか、夕飯の買い物に来た主婦とかでめちゃくちゃ人が多いんだ。それだけ多いと、店外の通路を歩く人たちの喧噪で、気が散ってしまう。だがその点、駅前にある”日の国書店”は適度な客数でとても静か。落ち着いた雰囲気でクラシックなんかも流れててさ、本を吟味しながら、上質な時間も味わえるんだよ」


 それが? とナズナは首を傾げる。


「それって、そんなに重要なことの? 本を選ぶだけでしょ?」


「甘い、甘いな。その違いが分からないって言うのなら、お前はズブの素人だ」


「ズ、ズルのしらうお?」


 謎の単語を発して、ナズナは眉を顰める。


「ラノベって言うのはな、とても芸術的な作品なんだ。原作者先生が思い描いた世界を文章として表現し、神絵師と呼ばれるイラストレーターの方々が心血注いでキャラクターイラストを描き上げる。それらが一体となって、一冊の本になっているんだ」


「……は、はぁ」


「そんな究極の逸品を手にする場所。それが本屋なんだよ。だから、その聖域とも言える本屋の良し悪しが分からないって言うなら、お前はまだまだラノベを嗜むには早いってことだ」


「いや。私、そもそもラノベは読まないし、聖域とか言われても……」


 言って、ナズナは大きく首を振る。


「って、危ない、危ない。今なんか、良く分かんない方向に話を持っていかれてた」


 ……残念。もう少しで話を有耶無耶に出来そうだったのに。


「カイちゃん! カイちゃんが何を言ってるのか良く分かんないけど、ラノベが素晴らしい物だって事は分かったよ! でもね、そういう事じゃなくて! 今日の放課後に、カオンモールに一緒に行こうって言ってるの!」


「てかさ、なんでそんなに一緒に行こうと必死なんだよ。俺なんかより、仲の良い友達と一緒に行けばいいだろ?」


「うん、まぁその、行くんだよ? ある女の子と一緒に」


 俺が行く理由、すでに皆無。


「この話、これで終了な」


「勝手に終わらせないでよ。とにかく、最後まで話を聞いて」


「……はぁ。それで?」


 と、俺は仕方なしに続きを聞く。


「その女の子ね、ある人にプレゼントをしようと考えているの。でも、どんな物を選んでいいのか分からないって言っててさ。そのアドバイスを貰いたいから、カイちゃんについてきて欲しいってワケ」


 ……恐ろしいほどに、何一つ話が見えてこない。


 その女友達が何を買おうとしているのか分からない上に、さらにアドバイスを求めてくるとか……。一体、俺は何を試されているんだ?


 と言うか、そもそも陰キャの俺が初対面の女の子とまともに会話とか出来る訳がないだろ。


「あのなぁ、ナズナ。俺は男友達さえ少ないただの陰キャだぞ? 見ず知らずの女の子に、買う物も分からないプレゼントのアドバイスするとか、そんなハードルの高いミッションをこなせる訳がないだろ」


 自虐的発言をする俺を見つめながら、ナズナは人差し指を顎に当て、考える素振りを見せる。


「ん~、アドバイスの件は大丈夫じゃないかな。寧ろ、カイちゃんだからこそ出来るって言うかさ」


「なにを根拠に言うんだよ」


 俺が言ったその時、


『次は~関浜高校前~、関浜高校前~。お降りの方は……』


 と車内アナウンスが流れて来た。俺達が降りる駅である。


「ほらほら、もう駅に着いちゃうよ。とにかく放課後、彼女に会った時に全部話すからさ、一緒に来てよ。ね? お願い」


 ナズナは両手を合わせて、俺にウインクしてくる。


 ……可愛い。


「はぁ……。ったく」


 言い出したら聞かない、いつものナズナのワガママ。


 出来る事なら、ナズナ以外の女子とはあまり関わりたくないし、今日は一人でゆっくりラノベの新刊を吟味したかったのだが……。


 まぁ、ここは俺が理解を示す他ないな、と大人の対応をとる事にする。


「何を買うかも分からんけど。まぁ、ついていくぐらいなら……」


「えへへ、さすがは私の幼馴染だね♬」


 ナズナはそう言って、俺に向かって微笑んだ。


 ……ホントは行きたくないけど、昔からナズナのこの笑顔には弱いんだよな。

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