第6話 ステルス美少女
──目的の駅へと到着し、俺とナズナは電車を降りて改札を抜ける。
「それじゃ、また放課後ね、カイちゃん」
「うん、またな」
放課後の約束を確認し、ナズナは俺に手を振って友達の所へと駆けて行った。
そんな彼女の背中を見送っていると、不意に後ろから声をかけられた。
「おはよう、大堂」
振り返ると、そこには小麦色の肌をした男子生徒が立っていた。
その彼に、俺も挨拶を返す。
「ああ、おはよ。似島」
「ところで、大堂。陸上部に入らないか?」
と、突然の勧誘。
「……なんの脈絡もなく、ナチュラルに勧誘してくるんじゃない」
「やっぱダメか。朝の挨拶の流れでサラッと誘えば、OK貰えると思ったんだがな」
会うなり、俺と親し気に挨拶を交わした男子生徒。
彼の名は
俺と彼はクラスが全く違うのだが、五月に行われたマラソン大会で、俺の走りを彼が見た事をキッカケに話す様になった。
自分では良く分からないが、似島が言うには俺の走りは中々に筋がいいらしい。
で、その才能を陸上部で開花させてみないかと、事ある毎にしつこく誘ってくる様になったのだ。
彼の熱意には頭が下がる思いだが、残念ながら俺は走ること自体には全く興味が無い。ただ、基礎体力を高める為のトレーニングとして行っているだけだ。
だから、いつも丁重にお断りしている。
「似島、いい加減に諦めろ。俺は陸上部に入る気なんて、コレっぽっちもない」
「まぁ待て、大堂。一度、陸上部の様子を見学にこないか? 皆が一生懸命に走っている姿を見れば、お前も何かしら刺激を受けるかもしれないだろ?」
「しつこいぞ。俺は走る事には興味が無いんだ。それに、すでに入学して二か月も経っているんだぞ? なんか今さら過ぎないか?」
似島は「フッ」と笑う。
「そんな事は無い。何事においても、早いとか遅いとかそんなのは関係ない。いつから始めたっていいんだ。実際、俺らのOBにも、二年生から陸上部に入って社会人ランナーとして活躍している人がいるんだぞ? だから大堂だって……」
ご高説を垂れる似島を遮る様に、俺は手にしたラノベを目の前に掲げる。
「そうか。その先輩は、さぞ素晴らしい才能を持った人なのだろう。だがな、その人はその人で、俺は俺だ。何かしらの目標に向かって全力で取り組むってのは、どうにも性に合わない。適当に体を鍛えて、自由にラノベを読んでいる方が俺には合ってるんだよ」
「……ふむ、ラノベか。人の趣味はそれぞれだからな、その事に関しては何も言うまい。だがな、今お前が手にしている本。それは、本当にラノベなのか?」
訝し気な表情で、似島は俺が手にしているラノベを指差した。
「なにが?」
「なにがって……。『僕の幼馴染は、知らない男と悶えイク』なんてタイトル、どう考えてもR-18の棚に並ぶ様な部類じゃないか?」
「いや、普通にラノベの棚に並べられてるけど?」
なにやらショックを受けたらしい似島は、ゆっくりと首を横に振る。
「……そ、そうか。どうやら、俺の認識が浅かった様だ。ラノベとは、奥が深いモノなんだな」
「ああ、深いなんてモノじゃない。特にラブコメは、な。可愛いイラストと文字で表現される美麗なヒロイン達が、ストレス社会に苦しむ現代人を優しく癒してくれる、そんな心のオアシスの様な物なんだ。いずれ、サブカルチャーの枠を超え、メインカルチャーにとって代わる一大文化となるだろう。俺はそう確信している」
言って、俺はグッと拳を握り込む。
「……そんな事になるか、俺には分からんが、今日の勧誘はこれくらいにしておくよ。だがな、大堂。お前を諦めた訳じゃないからな?」
「ホント、しつこいヤツだな。まぁ、それはともかくとして、学校に向かおうぜ。遅刻しちゃうよ」
俺はそう促して、似島と肩を並べて歩き出した。
と、彼は何かに気づいた様に口を開く。
「あ、そうだ大堂。勧誘ですっかり忘れていたんだが。お前さっきまで、あの
「ん、ひととせ?」
「関浜高校男子生徒の一番人気。明るく元気な超絶美少女の、あの
「……あぁ、ナズナのことか」
普段から下の名前でしか呼ばないから、
「うん、まぁ今日は一緒の電車に乗って来たけど。それが?」
「それがって……。大堂、もしかしてだけど。お前、
似島の質問があまりに唐突過ぎて、俺は思わず「はぁ?」と訊き返してしまった。
「いやいや、まさか。そんな、付き合ってるとかじゃないよ。俺とあいつは家が隣同士で、保育園の頃からずっと一緒なだけだぞ?」
似島は「え?」と、驚いた後、どこか安心した様に微笑む。
「あ、あはは、なんだ、そうだったのか。それは知らなかったよ。今までお前が、
「まぁ、その、昔ちょっと色々あってさ。別に仲が悪いってワケではないんだけど」
「そ、そっか。じゃあ、二人も幼馴染ってヤツだ」
「二人も?」
「あぁ。俺とシキノみたいなもんなんだなって」
似島は、俺の逆方向へと首を向ける。
「シキノ?」
似島の左隣り、俺は誰もいないはずの空間へと視線を移す。
すると、視界の下部辺りで何やら青黒い物体がピョコピョコと揺れていた……
なんだこれ?
と、俺は視線を下に落としてマジマジと見つめる。……これ、髪だ、髪の毛だ。
ワンサイドアップで纏めた髪の毛が、歩く振動に合わせて上下していた。
「……お、
いつの間にそこに居たのか、似島の隣には小柄な女子が一緒に歩いていた。
突如として現れた少女。彼女は、俺と同じクラスの
サイズの合っていない大き目の制服を身に纏い、腰近くまで伸ばした青みがかった髪をワンサイドアップで結んでいる。
少しウザ目に伸ばした前髪の隙間から、チラリと覗かせる整った目鼻立ちが、あどけないながらに、彼女がかなりの美少女だと言うのが窺い知れる。
……のだが、クラスの男子からはあまり人気がない。
というのも、パッと見の重いイメージもあるのだが、話しかけてもずっとダンマリで、ひとりでスマホばかり弄ってるような子なのだ。
もう少し社交的であったのなら、クラスどころか学校でもかなりの人気者であったろうにとは思うが。
ともかく、その小柄な体と寡黙さから生み出されるステルス能力は、俺も全く気づけなかった程に、非常にレベルの高いモノの様である。
「尾美苗さん……い、いつから似島の横に居たの?」
彼女と同じクラスになってから二か月。
俺も積極的に人と関わらない方だから、尾美苗とは初コンタクトとなる。
その結果は……まぁ大方の予想通りと言うか、彼女は俺と視線を合わせずにダンマリだった。
人に無視されるって想像以上にメンタルにくるんだな。と、あまりのダメージに、俺はその場で崩れ落ちそうになる。
「シキノ、そう言うとこだぞ? 俺以外の人ともちゃんとコミュニケーション取れる様にならないとダメだろ」
「だ、だって。それが、私の個性、だから……」
尾美苗。お前が思っているほど、個性って言葉はそんなに万能じゃないと思うぞ。
「なんでも個性で言い逃れできると思うんじゃない。いいからほら、大堂の質問に答えてやれよ」
そう似島に促されて、尾美苗はボソリと答えた。
「……ず、ずっと、いた、よ」
「マジで? ずっといたの?」
尾美苗はコクンと頷く。
「ずっと……。駅の改札抜けて、ヒロくんが大堂くんに挨拶して、陸上部に勧誘する時も、ずっと横に、いた」
大堂くんと名前を呼んでくれた事から、一応は俺の事を背景やモブではなく、クラスメイトであると認識してくれているっぽい。
先ほどシカトされて心が折れそうだったが、何とか立ち直れそうだ。
「そ、そうだったんだ。それは……申し訳ない」
こちらを向くことなく、尾美苗はふるふると首を横に振った。
そんな彼女の様子を見て、似島はヤレヤレと言った感じで肩をすくめた。
「こいつ昔からこんな感じでさ、影が薄いっていうか存在感が無いんだよな。もう少し、積極的に人と話したり出来ればいいんだけど」
「だって、恥ずかしい……」
そうボソッと呟いて、尾美苗は小動物の様に似島の影にササっと隠れた。
「あのなぁ、シキノ。そうやって、いつまでも俺の後ろに隠れてる訳にもいかないんだぞ? 分かってんのか?」
「だって……」
「だってじゃない。ほら、二人で立てた計画だってあるだろ」
「だって……」
「だって、だってって、そればっかり。いい加減にしろよ、シキノ」
叱られて、尾美苗は似島のシャツの裾を掴んで縮こまる。
「おい、似島。そんな言い方しなくても良くないか? 尾美苗さんが怯えてるじゃないか」
「大堂。このままじゃダメなんだよ。俺にとっても、コイツにとっても」
似島は「ふぅ」と息を吐き、尾美苗の事を見つめる。そして、何かを決意したのかグッと拳を握り込んだ。
「よ~し、決めた! 計画を早めて、今日から特訓だ!」
「え? 特訓?」
なにそれ、と尾美苗は驚いた表情で似島を見上げる。
「ああ、特訓! 俺は陸上部の部室に顔を出すから先に行く。シキノ。お前は大堂と話しをしながら二人で一緒に登校するんだ! いいな!」
「……だ、大堂くんと、一緒に? いきなり?」
「そうだ! じゃ、先にいくからな!」
「ヒ、ヒロくん、ちょっと……急には」
「おい、似島! 何を言って……!」
と、俺が言い終わるが早いか、似島はその場からヒューと走り去ってしまった。
あっという間に、奴の背中は小さくなっていく。流石は陸上部のエースだな。
「いやいや。感心している場合じゃないだろ、俺」
ってか、陰キャの俺と尾美苗を残してどうすんだよ、アイツは……。いくらクラスが一緒でも、俺は彼女とまともに会話した事がないんだぞ?
俺は「はぁ」と溜息をついて、尾美苗の方へと視線を移した。
「なぁ、尾美苗さん。どうし……」
が、すでに尾美苗の姿もそこには無かった。すぐに辺りを見回したが、彼女は跡形もなく消え去っていた。
……恐るべし、ステルス美少女。
「ある意味、似た者同士だよ。お前ら」
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