第3話 トラウマは幼馴染に癒されて。

「アハ、アハハハハハハ……」


 彼女のくぐもった笑い声が、場の空気を一気に不穏なモノへと変えていく。


 その異様な状況に俺の胸はザワつき、首の裏をチリっとした痛みが走った。


「く、呉町……さん?」


 俺の呼びかけなど気にも留めず、呉町は突然手を叩いて大喜びし始めた。


「アッハハハハハハハ! やった、やったわ! 私の勝ちぃ! これで次の誕生日プレゼントは欲しいモノをゲットじゃん!」


 彼女の笑い声と手を叩く音が、静まり返っていた校舎裏に反響する。


 ──何が起こっているのだろうか。


 現状を理解出来ないまま、俺はその異様な光景を、ただ茫然と見つめることしか出来なかった。


 そうして、徐々に呉町は呼吸を整えていく。


「アハハ、ハハ、はぁ~あ、ホント長かったぁ、半年よ? 半年。くくく、長すぎだよぉ。全然告白してくれないから、負けちゃうかと思っちゃったじゃない」


 負ける? 何に?


「……く、呉町さん。一体、何の話をしているの?」


 彼女の謎の発言に対して、俺はそう質問する。と、呉町は呼吸を整えて、こちらへと向き直った。


「ん? あ~、そうよね。アンタは何が何だか分かんないよね」


 彼女の言葉に、説明が欲しいと俺は静かに頷いた。


「う、うん……」


「ふふ、実はアタシね、夏休みが終わる直前ぐらいから、他のクラスの友達とちょっとしたゲームをしてたの」


「……ゲ、ゲーム?」


「そう、ゲーム。いつも本ばっか読んでてキモい大堂に告白されろってゲーム。もしもアンタに告白されたら、次の誕生日プレゼントは好きな物あげるよって友達に言われててさ、だからすっごい気合い入っちゃって。あ、二学期の席替えの時ね、本当は平野さんがアンタの隣の席だったんだけど、交代して貰ったんだぁ」


「な、なに、それ」


 俺と仲良くするフリをして、惚れさせるゲーム?


 友達からの誕生日プレゼントの為に、俺と仲良くなったって……?


「ずっと、ゲーム、だった? 呉町さんは、友達とのゲームの為に、俺と仲良くなろうとしていたの?」


「うん、そうよ。アンタと話すのは気持ち悪いけど、ゲームの為に仲良くするフリをしてたってワケ。どうだったかな、アタシの演技。女優顔負けの名演技だったと思うんだけど? だってアンタ、アタシに惚れて告白したもんね。アハハハ!」


 呉町は悪びれた様子もなく、手を叩いて再び笑いだす。そうして、笑い過ぎて涙が出たのか、指の先で涙を拭った。


「そ、そんな……」


「アハハハハ……はぁ~おかしい。くくくく、ホントに長かったなぁ。けど、それなりに楽しかったかも。だってアンタ、アタシが話しかける度に顔中を真っ赤にしてさぁ、そんなキモい顔を見る度に、こんな底辺のオタクでも一人前に恋するんだなって思ったら可笑しくてさ、アハハ、ダメダメ、思い出しただけでも笑いが込み上げてくる、くくくく、バッカじゃないの? アハハハハハハハ!」


「呉町さんは、俺の事を……ずっとそんな目で見ていたの? オタクでキモい、バカなヤツだって」


「えぇ? だって実際そうでしょ? なんだっけ、ライトノベルだっけか。そんな本ばっかり読んでてヒョロヒョロな男のクセに、アタシに告白して本気で付き合えると思ってたの? んなワケ無いじゃん。アンタみたいなキモいの、お断りよ、お断り。どんだけ自分に都合のいい脳ミソしてるのよ。アホ過ぎなんですけど、この自惚れキモオタ野郎が。キャハハハハハ♪」


 そこには、俺の知っている呉町はいなかった。見た目が清楚で、奥ゆかしい雰囲気の彼女は、どこにもいなかった。


 ただ、俺の事を見下して、蔑み、嘲笑う、愉悦を貪る悪魔だけがそこにいた。


「お、俺。俺は本気で、呉町さんの事が好きで……!」


「あ~もう、やめてよ気持ち悪い。いい? ゲームは終わったんだから、アタシとアンタの仲良しごっこはこれでお終いなの」


「仲良しごっこ、って……」


「ん~、やっと終わったぁ。ようやくこれで、キショいアンタともお別れってワケね。清々するってものよ。……あ、そうだ」


 言って、呉町はスマホを片手にニッと笑った。


「証拠の為にあなたの告白、録音しといたから」


「え?!」


「この恥ずかし~い黒歴史を誰にも聞かれたくなかったら、二度とアタシには話しかけてこないでよ。いい? 分かった?」


 そう言って、呉町はくるりと体を反転させる。


「じゃあ、さよなら。馬鹿で愚かなキモブタくん♪」


 笑いながら去っていく彼女の背中を、俺は黙って見送るしか出来なかった。


 ……呉町の放った言葉のトゲが、俺の胸に突き刺さりジクジクと蝕んでいく。


 何も知らないで、彼女に惚れて、浮かれて、告白して、ずっと一緒にいたいだなんて夢を見て……そして、バカを見た。


「俺は本気で……本気で呉町さんの事が好きだったのに……普通にフラれるんだったら、まだしもさ、こんな、こんなのって……!」


 行き場のない感情に震える拳を、俺は力いっぱい握り締めた。


 爪で切れたのか、掌にジリっとした鋭い痛みが走っていく。


「俺みたいな陰キャは、現実の女の子に恋しちゃダメってこと? ずっと本でも読んでろってことなの?」


 恋がこんなにも心を傷つけてしまうモノだって言うのなら、俺は一生、現実の恋なんてしない。


「……俺は二度と、リアルの女の子を好きになんてならない……。好きになんて、なるもんかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 優しい物語の世界だけに、ずっと引き篭もっていよう。


 俺の事を傷つけない、本の世界のヒロインだけに恋をしよう。


 頬を伝っていく熱い雫をそのままに、俺はそう……強く誓った。



 ────────っ。


 うっすらと意識が覚醒していく。そうして目を開くと見覚えのある天井があった。


「ん、あ……あぁ、夢か。久しぶりに見たな、あの日の夢」


 小窓へと視線を移すと、カーテンの隙間から朝日が差し込んできていた。


「ん、ん~~~~!」と、大きく伸びをして、ベッドから体を起こす。


「はぁ、珍しく朝からいい天気だな。さてと、日課の準備でもするか」


                  ◇◆◇◆


 ──早朝の静かな街並みを、昇り始めた朝日が見守る様に照らし始めていた。


 やや冷たい風を体全体で受けながら、俺は早朝の住宅街を駆け抜けていく。


 三年前、呉町スミレにフラれた日。あの日から俺は、彼女にヒョロヒョロだって言われたのが悔しくて、体を鍛え始めた。


 毎日走って、腹筋して、腕立てして……


 別に、彼女を見返したいって訳ではなかったけれど、二度とそんな事を言われたくないと思ったから。


 だからこの三年間、毎日欠かす事無く、俺は日課をこなしていた。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」


 早朝の澄んだ空気を、胸いっぱいに取り入れる。心なしか足取りも軽い。


 この梅雨時期には珍しい、雲一つなく晴れ渡った青い空。


 そんな蒼穹を仰いで、俺は思わず呟いた。


「なんか、いいことありそうだな」


 自宅近くまで来ると、俺はゆっくりと走るペースを落としていく。


 呼吸を整え、歩きながらストレッチをする。そうして、玄関を目指そうとしていた所で……


「おはよう! カイちゃん!」


 と、制服姿のお隣さんに呼び止められた。


「ナ、ナズナ? おはよう……って、こんな時間に、なんでお前が俺んちの前にいるんだ?」


 ペットボトルとタオルを胸に抱えた彼女の姿に、俺は驚く。


 こんなこと、日課を始めてからハジメテの事だったから。


 もしかして待っていたのか? と、驚いている俺を見て、ナズナは何食わぬ顔をしている。


「え? なんでって、学校一緒だし、幼馴染だし。一緒に登校しようかなって」


「ど、どういう風の吹き回しだよ。小学校を卒業して以来、俺ら一緒に登校した事なんて一度もないだろ」


「……そうだったかな?」


「そうだよ」


 トボける彼女を横目に、俺はストレッチを続けて体をクールダウンさせていく。


 ──幼い頃からずっと一緒だったナズナ。


 小学六年の三学期までは毎日の様に、彼女と一緒に登下校していた。


 だが、小学校の卒業式直前。俺が呉町にこっぴどくフラれた日を境に、ナズナは俺と登下校する事は無くなった。


 様子のおかしい俺を気遣ったのか、それとも呉町にフラれた事をナズナは知っているのか。それは分からない。


 ただあの日から、ナズナが俺の事を少し遠ざけるようになったのは確かだ。


 そんな訳で、軽い挨拶や会話ぐらいはするが、先日のファミレスみたいに二人で会ったりするのは数か月ぶりの事だった。


「で?」


 と、俺はナズナに催促する様に尋ねる。


「なにが、で?」


「なにがって……こんな朝早くから、俺の家に来たホントの理由だよ」


 俺がそう訊ねると、ナズナは水の入ったペットボトルとピンクのスポーツタオルを差し出してきた。


「はい、カイちゃん。私のタオルだけど、良かったらどうぞ」


「え? ナズナの……タオル?」


 そう訊き返すと、彼女はキョトンとした顔をする。


「うん、そうだけど? なに?」


「あ、いや。そ、そっか、あ、ありがと」


 俺が戸惑いながらそれを受け取ると、ナズナはニコっと微笑んだ。


「カイちゃんの家に来た理由、さっきも言ったよ? 私とカイちゃんは幼馴染だし、一緒に学校行こうかなって。ただ、それだけ」


 絶対にそれだけじゃないだろ。そう、俺はナズナの本心を勘繰りながらも、彼女の気遣いに礼を述べる。


「……水とタオル、サンキューな」


「うん、どういたしまして」


 俺はナズナから受け取ったタオルで汗を拭きながら、玄関の扉を潜った。


「ん?」


 ……いい匂いするな。と、俺は思わず立ち止まる。


 彼女のタオルからは、洗濯剤の香りと一緒に、なんだか甘い香りも混じって漂ってくる。これって、女の子特有の甘い香り……ってヤツだろうか。


 なんでかな、なんだか無性に気になる。


 俺は香りの正体を突き止めるべく、再びタオルの端を鼻に近づけ……


「いい匂いするね」


 と、不意に背中から声をかけられ、心臓がドキリと跳ね上がった。


「え!? あ、いや、そうだな。お前から借りたタオル、良い匂いが……」


「ん? タオル? そうじゃなくて、リビングからしてくる匂いなんだけど。チーズとかベーコンを焼いた香ばしい匂いがいっぱいしてくる」


「あ、あぁ、朝食の話……か」


 俺は自分のしょうもない勘違いに、さらに顔と体が熱くなっていくのを感じた。


 そんな熱も一緒に払うかの様に『コホン』と咳払いをひとつ。


「そ、それよりもお前、俺んちに自然に入ってくるのな?」


「まぁ、自分の家みたいなもんだし?」


「俺に同じ年の義妹はいないんだけどな」


 ランニングシューズを脱ぎ、玄関を上がった俺はそのまま浴室へと向かう。


「なぁ、ナズナ。俺、このままシャワー浴びてくるからさ、リビングにいって母さんとでも……」


 後ろを振り返ると、すでにそこにはナズナの姿は無かった。


「おばさ~ん、おはよう! お久しぶりで~す!」


「まぁ、ナズナちゃん? おはよう。お正月以来ね。こんなにも朝早くから、一体どうしたの?」


「えへへ。カイちゃんに会いに来ました♪」


 リビングから聞こえてくる二人の会話。


 俺が言うまでもなく、ナズナは我が母親がいるリビングへと向かっていた。

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