第22話 進撃の皇子様



 木々がキャアキャア騒ぐと思ったら、そこには皇子様がいた。


 翌日にも魔女の森にレイモンドがやって来た。


 白馬から降りたレイモンドは、マントを外しながら「魔女の森は暖かいね」と極上の笑顔で言った。

 皇子様の周りにいる木々がキャアキャアと枝を揺らした。



「 殿下はお忙しいのではないのですか? 」

「 うん。忙しいよ 」

 永い婚約期間でもこんなに毎日会う事はなかった。


「 ティアがいれてくれたお茶が美味しくてね 」

「 お茶なんて皇宮の侍女の方が上手にいれてくれますわよ 」

「 君がいれてくれたお茶が飲みたいんだ 」

 レイモンドは蕩けるような甘い顔をアリスティアに向けた。



 何?

 そんな甘い顔。

 今まで向けられた事は無いんですけど。


 レイモンドに見つめられたアリスティアは、ドギマギとするだけで。

 頬が熱くなるのをどうしたら良いか分からなくなっていた。


 イケメンの本気のアプローチの破壊力は凄い。



 そして、お茶を飲み終えたレイモンドは、アリスティアの手を取ると手の甲に唇を落とした。


「 !? 」

「 また明日 」

  そう言って爽やかに笑うと、白馬に乗って魔女の森を駆け抜けて行った。


 彼の後にザザザザと木々達が続く。

 どうや魔女の森の入り口までお見送りに向かうようだ。


 ここに滞在したのは僅か15分。


「 婚約を解消したのにどうしてなの? 」

 アリスティアは呟いた。

 クネクネした木を羽交い締めにしながら。


 こ奴は、皇子様の身体にシュルシュルと枝を巻き付けて、いやらしく絡まろうとしていたので。


 腕力は日頃の生活力でバッチリだ。



 手の甲にキスをされたのは2回目。

 初めての手の甲へのキスは、アリスティアのデビュタントの日だった。


「 デビュタント、おめでとう 」

 白いドレスを着たアリスティアの前で、腰を折って大人の挨拶をしてくれたのだ。


 大人扱いされたのが嬉しかった。

 大人のレイモンドに少しでも近付きたくて。

 何時までたっても子供である事が悲しかった。



 大人になったのだから唇にもキスをしてくれると期待していたら。

 手を繋ぐのでさえも、エスコートの時とダンスを踊る時だけで。

 他のイチャコラしているカップルを羨ましく思った事もある。


 ベランダでイチャついているカップルに遭遇した時は、他所でやれと追い払った事は数知れず。



 そんなアリスティアのファーストキスはだった。


 アリスティアは自分の唇を指先でなぞった。

 あのキスの意味は何だったのだろうかと。


 皆よりも一足遅れたクネクネした木が、猛スピードで白馬に乗った皇子様を追い掛けて行くのを見つめながらアリスティアは思うのだった。



 次の日も次の日もレイモンドはここにやって来た。

 僅か15分程度の滞在の為に、彼はいそいそとやって来ていたのだった。



 しかし。

 この日はレイモンドは現れなかった。


 レイモンドが来る時間はまちまちで、きっと公務の合間に来ているのだろうと、アリスティアは小さな窓から外を眺めた。


 木々は普通に静かに定位置に立っている。

 定位置があるのかは知らないが。


 皇子様が来たら木々がキャアキャアと騒ぐので、直ぐに分かるのだ。



 いつの間にか待ってる自分がいて。

 1日中待っている自分がいて。

 それが嫌になる。


 溜め息を一つ吐いて。

 今日はもう来ないだろうと、アリスティアは魔力の調節をしようと湖に向かった。



 魔力の調節はタナカハナコの顔を思い出しながら行っている。

 奴のあの時のあの勝ち誇った顔は、何度思い出してもになる。


 最近は指先に魔力の量の調節が出来るようにはなったが、嫉妬心がより強くなればどうなるかは分からない。



 そもそも嫉妬が魔力になると言う事が不思議なのである。


 他の魔女はどうだったのかを知りたいが。

 古の魔女は大概が処刑されていたので、その実態は分からないものだった。

 文献にも書かれていなくて。


 自分の事だと言うのに、アリスティアは魔女が何なのかが分からないでいた。



 アリスティアは倒木に座って湖に裸足の足を浸した。


 ここはアリスティアのお気に入りの場所。

 この場に座って、ぼんやりと湖を眺めるのが日課になっている。


 夕陽に染まった水面がキラキラ輝いていて。



 タナカハナコが異世界から現れたなら、新聞のニュースと共にあの二人の姿絵が街中に溢れるはずだ。


 割れた空から現れたタナカハナコを、レイモンドが両手で抱き上げている姿絵だ。

 姿絵のタナカハナコは、何故か不細工には描かれてはいなかったけれども。



 あの姿絵だけは見たくない。


 タナカハナコが現れたら、街に出るのは止めてこの魔女の森に引き込もっていようと考えている。



『 ティア……これから先、何があろうとも僕を信じて欲しい 』

 ふいにこの言葉が頭に浮かんだ。


 信じていれば何かが変わったのかしら?


 タナカハナコと結婚式を挙げたのに。

 タナカハナコと誓いの口付けをしたのに。


 またもや身体に熱が集まって来た。

 やはりタナカハナコは魔力の調節の良いなる。


 アリスティアは指先に魔力を集め、湖の岩を目掛けて放った。



 その時アリスティアは背後に何かの気配を感じた。

 振り返るとそこにはレイモンドがいた。

 後ろには沢山の木々を引き連れて。


「 !? 」

 その瞬間に先程放った魔力が岩に当たった。


 バーンと凄い音が辺りに響き渡る。

 岩の欠片が中に舞う。



「 見ないで! 」

 アリスティアは両手で顔を隠した。

 瞳の色は赤く髪は逆立っている筈だ。


 魔女の自分は見られたくない。

 レイモンドだけには。


「 ティア…… 」

「 お願い私を見ないで… 」

 アリスティアの声が震えている。


「 魔女の君も好きだよ 」

 レイモンドはアリスティアを優しく抱き締めた。


「 僕の話を聞いてくれ 」

 アリスティアの逆立った髪を優しく撫でながら、あやすように言葉を続けた。


「 ハロルドの申し出通りに婚約は解消したけど、前にも言ったようにそれは僕の本意ではない。君が魔女である事をきっと父上や国民にも認めて貰えるようにするから 」



 違う。違う。違う。


 嫉妬に狂った私がタナカハナコを殺ってしまうから。


 だから婚約解消をしたのよ。

 貴方の側から離れる為に。



「 ティア?魔女の顔も見せて 」

 顔を覆っていたアリスティアの手が、レイモンドの手で外された。


 アリスティアが顔を上げると、レイモンドの綺麗な瑠璃色の優しい瞳がそこにあった。


 オレンジ色の夕陽が二人を包み込む。


 そして……

 レイモンドは両の手でアリスティアの頬を包込むと、そのまま顔を傾けて来た。



「 !? 」

 その時アリスティアは、大聖堂での誓いの口付けをしているレイモンドとタナカハナコの姿が浮かんだ。

 先程思い出していた記憶だからより鮮明に。



 タナカハナコにキスをした唇で私にキスなんかしないで!


 そう思ったアリスティアは、レイモンドを突き飛ばした。

 腕力には自身がある。

 ……が。

 流石に騎士団で鍛えている彼は、後ろに少しよろめいただけで。


「 婚約を解消したからって、僕達の関係は変わらないんだよ 」

 レイモンドはそう言ってアリスティアの両肩に手を置いた。



 アリスティアは、とんちんかんかんな話をするレイモンドにイライラして来た。


 本当の理由を知らないのだから仕方がない事なのだが。



「 いいえ!婚約の解消は別れた事と同じ。どうかここにはもう来ないで! 」

「 だから婚約の解消は君が魔女になったからしただけで、僕達は別れてなんかいない。僕達が結婚する事は変わらない 」

「 ……… 」

 アリスティアの身体の中心に熱が溜まって行く。


 だけどその熱は涙となって、ハラハラとアリスティアの頬を零れ落ちた。



 レイが。

 レイがタナカハナコを愛したから。


 わたくしはタナカハナコが側妃でも良かったのよ。

 それが議会で決められたのなら。


 だけど……

 タナカハナコを好きになったレイとは一緒にいたくない。



「 今日はもう帰るよ 」

 レイモンドはアリスティアの頬に手をやると、指先でアリスティアの零れ落ちる涙を拭った。


 まるであの時のように。


 そしてアリスティアの前髪をかき上げると、そこに唇を落とした。


「 ティア。僕は君を好きだ。君を手放したくないんだ 」

「 ……… 」

「 僕から離れようとしないで欲しい。君が生まれる前から僕達はずっと一緒だったんだよ? 」


 レイモンドはまた明日来ると言って、踵を返して湖を後にした。


 木々がゾロゾロと付いて行く。


 クネクネとした木は、レイモンドが横を通り過ぎるとクネクネとするのを止めて普通の木になり、アリスティアをじっと見ている。


 ただじっと。

 恨めし気に。


「 燃やすわよ! 」




 ***




 アリスティアの魔力は凄かった。

 岩に当たった時の破壊力は凄まじいものだった。


 あの大きな岩がかなり削れていた所を見ると、あの湖で魔力の修行をしている事が想像出来る。

 何事にも熱心に取り組むティアらしいと、レイモンドは胸が熱くなった。



 古の魔女は魔力の暴走で処刑されたと文献には記載されていた。

 しかし……

 ティアは魔力を上手く使いこなせているみたいだった。


 もしかしたら。

 として国民から認められるかも知れない。


 何よりも、魔力を放つ瞬間のアリスティアは美しかった。

 その美しさに魅了されたレイモンドは、恍惚の境地にいたのだった。



「 それにしても……キスはまだ早かったか 」

 魔女になった姿を、見られたくはないと言ったアリスティアの細い肩が震えていて。

 その姿があまりにも切なくて……


 その切なさはレイモンドも同じで。

 アリスティアが魔女にさえならなければ、二人は結婚に向かって幸せな時間を過ごしていた筈なのだと。


 そんな二人の婚約を解消しなければならなくなったのだから。



 レイモンドは自分の気持ちに正直になる事に決めていた。


 そう決めたら、今まで抑え込んでいたアリスティアを好きな気持ちがどんどんと溢れて来る。


 こんなにも会いたいし。

 自分の好きと言う気持ちを、アリスティアに分かって欲しいとも思ってしまう。



 アリスティアから好きだと言われていた時は、そんな風には思わなかったが。

 婚約を解消して好きだと言われなくなったとたんに、そんな風に思うようになるとは。


「 皮肉なもんだな 」

 レイモンドは手にした書類にサインをしながら呟いた。


 帰城したレイモンドは、溜まった執務に精を出していた。

 アリスティアに会いに行ってる事は、オスカーには言ってはいない。


 オスカーには、隣にある自分の執務室での仕事や外出を命じて、こっそりと抜け出している。

 なので2時間以内には戻らなければならないと言う。



 だけど……

 ちゃんと好きだと伝える事が出来た。

 ティアは戸惑っていたが。


 少しずつ想いを伝えていければ良い。

 今日は拒否られたが。



 婚約を解消していても。

 時間はたっぷりあるからと。




 ***




 時間はない。

 リタが天のお告げを聞くまでは後2ヶ月。

 タナカハナコが異世界から現れるのはそれから1ヶ月後だ。



 アリスティアは新学期からは学園に復学する事に決めた。

 魔女の森には週末に行く事にして。


 今はクリスマス休暇からの新年にかけての長期休暇中で、復学するには丁度良いと思って。

 領地で過ごした生徒達も戻って来るだろうから。



 何よりも、学園にある特進クラスの授業を受けたいと思っていて。

 後、2ヶ月間しかないが。


 は、卒業してからも勉強を続ける事が出来る特権があるからで。



 それに、こうも毎日レイモンドに来られてはかなわない。

 公務が忙しい彼もここに来るのは大変だろうと。


 離れたい本当の理由を言えない今は、レイモンドの気持ちもよく分かるのだ。

 二人は兄妹のように育ったのだから、彼が自分に執着するのもよく分かると。



 レイはわたくしを好きだと言ってくれた。

 以前なら飛び上がって喜んだ事だろう。


 でも……

 タナカハナコが現れると、彼女に恋をすると知っている今は、悲しいだけだった。



 こうして自宅に戻って来たアリスティアの学園生活が始まった。


 家族の皆もそれが良いと喜んでくれて。

 魔女の森にずっといるのは心配でしかないと。



「 お父様、お母様、ハロルドお兄様、オスカーお兄様行ってまいります 」

「 行ってらっしゃい 」

「 お嬢様、行ってらっしゃいませ 」

 家族や使用人達から見送られ、正面玄関から出て来たアリスティアは驚いた。


 そこには公爵家の馬車ではなく、皇太子殿下専用馬車が停まっていて。


「 !? 」

「 お早うティア。迎えに来たよ 」

 馬車からは当然ながら皇太子殿下が降りて来た。


 朝の陽に黄金の髪をキラキラと輝かせ、皇子様は爽やかに破顔した。



「 これから毎朝僕が学園まで送ろう 」



 皇子様のは進行中だ。









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