第21話 真実と嘘の狭間で
「 殿下はもっと自分の欲望を前に出してもよろしいのではないですか? 」
そんな過激な事を言う初老の男は侍従のマルローだ。
レイモンドが赤ちゃんの時から世話をしており、彼の娘はレイモンドの乳母でもある。
因みに乳母である娘のロザリーは、今は侍女頭としてレイモンドに仕えていて。
夜のレイモンドの世話は主にマルローがしている。
親の愛情が薄かった分。
彼等親子は誠心誠意レイモンドに仕えた。
レイモンド皇子がまだ幼い頃は、泣きたい事があるとグレーゼ家に行くと言う彼に付き添った。
そこでカルロスとオスカーと戯れるレイモンドを見守りながら、皇宮では決して見せない笑顔にマルローとロザリーは目頭を押さえるのだった。
皇子様に素敵な家族がいて良かったと言って。
婚約者であるアリスティアが誕生すると、レイモンドはグレーゼ家が僕の家族になるんだとそれはそれは喜んだのだった。
少年だったレイモンド皇子が思春期になり、やがて青年になって行くさまを彼は見て来た。
幼い頃から美しかった少年は、厳しい状況の中でも文武両道の言葉の通りの立派な皇子に成長し、誰もが認める皇太子殿下となった。
これだけの美丈夫に成長した皇子には、何処に行っても秋波が送られていたが、彼は全くの無関心を貫いた。
地方へ行けば、部屋に女性が用意されている事は多々ある事。
自分の娘に皇太子のお手がつけば、皇宮に召し抱えられる事になり、上手く行けば側妃になれるかも知れないのだから領主達も必死だ。
公務を終えたレイモンドの部屋に用意された女性は、その都度マルローが摘み出していたのだが。
中には裸同然の美しく妖艶な女性が迫って来たりもした。
ある夜にはアリスティアに似た令嬢がいて。
マルローは流石にお手をつけるかと思った時もあったが。
それでもレイモンドは決して手を出さなかった。
そう。
彼は本当にアリスティア一筋だったのである。
「 僕は父上のようにはなりたくはない 」
父親が母親以外の女性と戯れている姿を見た時の嫌悪感。
母親がその陰で泣いているのを見ていた皇子は、自分は決してアリスティアに母親と同じ思いをさせないと心に誓っていた。
かと言って彼も普通の男である。
湧き上がる情欲を5歳も年下のアリスティアに向ける訳にもいかず。
ひたすら自分を抑えて律して来た事もマルローは知っていた。
湯浴みを終え浴室から出て来たレイモンドに、マルローはタオルを渡しながら。
「 もうアリスティア様も成人してらっしゃるのだから、殿下の愛情を示してあげても良いのではないですか? 」
マルローはレイモンドにアリスティアへの恋心がある事は知っていた。
それはかなり幼い頃から。
レイモンドは言葉にこそ出さなかったが。
彼にとってのアリスティアは特別な存在だったのだから。
「 いや、それはしたくない 」
レイモンドはアリスティアの頬にキスをしてしまった事を反省していた。
アリスティアはまだ学生なのである。
あの時アリスティアがやきもちを焼いてくれたのが嬉しくて、すっかりテンションが上がってしまい、思わずキスをしてしまったのだ。
アリスティアの嫉妬は木々に向かったものだったが。
木にまで嫉妬をするアリスティアは、やはり今までのアリスティアだと感動したのだ。
勿論、アリスティアが魔女の森にいる事は伝えてはいない。
マルローにはアリスティアが、療養中の領地から公爵邸に戻って来ていたとだけ伝えていた。
そこで別れ際にアリスティアの頬にキスをしてしまったのだと。
咄嗟のキスが頬だったのが幸いではあるが。
アリスティアの柔らかな頬を思い出すと、次もしたいと言う欲望が出て来るのはレイモンドも普通の男であるからで。
そうなると思って、アリスティアと一線を引いて来たのだから。
「 でも、ティアはまだ学生だ 」
「 頬にキスなんて挨拶です。口付け位はしてもよろしいかと存じます 」
「 いや、それは出来ない。ましてや僕達はもう婚約を解消した 」
「 それはアリスティア様の体調が悪かったからですよね? 良くなられたから邸に戻られたのではないのですか? 」
「 それは…… 」
嘘に嘘を重ねなければならない事がこんなにも骨が折れるとは。
表向きは、アリスティアの体調不良での婚約の解消となっているのだから。
マルローがそう思うのは当然で。
「 まだ……体調は完全には戻ってはいない 」
「 ? 一体アリスティア様は何のご病気で? 」
「 じい!グレーゼ家が公表していない事をここで言わせる気か!? 」
「 それは……じいが出過ぎた質問を致しました 」
マルローがあっさりと、引き下がったのでレイモンドは取り敢えずは胸を撫で下ろした。
「 でしたらアリスティア様をこのまま手放すのですか? 」
「 えっ!? 」
今夜のじいはしつこい。
何時もならばこんなには絡んで質問来ないのだが。
「 それは……無理だ 」
だからこそ苦悩しているのである。
父上はアリスティアを側妃にすれば良いと言うが。
金色に輝く髪をタオルで拭きながらレイモンドは溜め息を吐いた。
「 今頃は、グレーゼ家には釣書が沢山届いているかと…… 」
「 何だって!? 」
ワシャワシャと頭を拭いていたタオルを下ろして、レイモンドはマルローを見た。
「 あのアリスティア様ですよ? 他国の王子から求婚されても何ら不思議ではありませんから 」
皇太子妃になる為に教育されて来た彼女の需要価値は高いのだと言って。
「 殿下がいたから誰も手出しをしなかっただけですよ 」
「 ……… 」
そう言えば、アリスティアの周りに男がいた事はなかった。
だからそんな事は考えもしなかった。
そうなのである。
今、アリスティアはフリー状態。
表向きは体調不良だが。
アリスティアが学園に通い出せば、彼女に言い寄る男が現れるに決まっている。
本来は健康そのものなのだから。
魔女であるだけで。
このエルドア帝国で、公爵令嬢と言う高い身分の令嬢はアリスティアだけ。
他の貴族が放っておく訳がない。
ましてやあの美貌だ。
これには困った。
婚約解消の理由の真実はアリスティアが魔女になったからで。
レイモンドは魔女でも皇太子妃になれないものかと、色々と模索しているのである。
世界各国を調べて、そのような事例はないものかと。
しかし……
考えあぐねている間にアリスティアは他の男と婚約をするかも知れないのだ。
何せ、魔女は皇太子妃にはなれないからと言って、婚約を解消して欲しいと願い出たのはハロルドなのだから。
レイモンドは頭を抱えた。
最早頭はパニック。
「 殿下はアリスティア様の愛情に、胡座をかき過ぎていたのです 」
黙ってしまったレイモンドに向けるマルローの口調は怒りを含んでいた。
「 じい!それはどう言う意味だ? 」
「 アリスティア様に好きだと、愛していると言った事は今までに一度も無いですよね? 」
「 5歳も年下のティアにはそんな事は言えないだろ? 」
「 言って差し上げないから、アリスティア様はあれ程の嫉妬をなさっていたのです 」
ずっと不安だったからに違いないと。
「 じいは端で見ていて殿下を腹立たしく思っておりました」
マルローは声を荒らげた。
「 嫉妬をされて、嬉しそうにニヤニヤしている殿下がぁーっ!? 」
「 じい! 落ち着け! 一旦落ち着け!」
フゥーフゥーと荒い息を吐いているマルローは、心臓を押さえながら死にそうになっている。
嬉しそうにニヤニヤか……
確かにそうだ。
ティアの嫉妬が心地よかったのは確かだ。
しかしそれが不安の現れだと言う事を、レイモンドは考えた事はなかった。
ともすれば。
自分を助ける為に敢えて悪役令嬢になっているのだと思っていた位だ。
マルローに図星を突かれたレイモンドは、すっかり沈み来んでしまった。
顔にタオルを被せたままに、ソファーの背凭れにもたれ掛かり天井を見上げたままでいた。
アリスティアの嫉妬に、悲しみや不安があったなんて。
母が嫉妬で涙を流す姿を見て来たと言うのに。
「 もしかしたらアリスティア様のご病気はマリッジブルーなのかもと、じいは思っております 」
今夜のじいは本当にしつこい。
トンチンカンな話をするマルローにレイモンドはイライラして来た。
本当の理由を知らないのだから仕方がないのだが。
「 殿下が嫉妬深いアリスティア様を捨てたと言う噂もあります 」
「 そんな訳ないだろ? 僕がティアを捨てる訳がない 」
この半年間の空白は様々な噂が飛びかっていて。
勿論、レイモンドもそれは知っていた。
「 そんな噂が出るのは殿下の所為のせいですぞ! アリスティア様にキスの一つもしないからです 」
「 じい! くどいぞ 」
レイモンドはジャスミンティーをごくごくと飲み干した。
さっさと下がれと言って。
「 いいえ!じいは今回は言わせて貰います! 殿下のアリスティア様への愛情表現が足りないから、アリスティア様は不安になりマリッジブルーになられた。殿下の愛情表現を世間にお見せにならないから、不仲説が出るのです 」
間違った見解だが、あながち間違ってもいない所もあって耳が痛い。
「 我々は殿下とアリスティア様の再びの婚約を望んでおります 」
じじいネットワークでは、皇太子妃に相応しい令嬢はアリスティア様しかいないと言っていると。
オパール王国の王女とレイモンドのツーショットを目の当たりにした事から余計にそう思ったと言う。
あの王女の蛮行は、貴族達の間でアリスティア復活論に火を付けていたのだ。
このマルローの話は渡りに船だった。
若干話が噛み合わないのは仕方がない。
婚約の解消の原因がアリスティアが魔女だからだと言う事は知らないのだから。
マルローも噛み合わないレイモンドとの会話に、時々頭を横に傾けている。
この場にオスカーが居れば、もっと話が噛み合わない筈。
真実の話はレイモンドも知らないのだから。
オスカーが何か言いたそうな顔をしているのも、レイモンドに話せない未来があるからで。
皇太子妃に相応しいのはティアだけ。
僕の横に立つのはティアしかいない。
アリスティアが唯一無二の存在だと、国民に思わせれば良いのだとレイモンドは思った。
僕が妻にする女性はアリスティアだけだと言う事を、国民に示せば良い。
政治を左右するのは最後は国民の声。
いくら父上が魔女を拒否したとしても。
『 では、魔女が皇太子妃になり皇后になる事を、国民は受け入れてくれるか? 』
レイモンドは父皇の言った言葉を思い出した。
アリスティアが魔女だと知っても、国民が受け入れてくれれば良いのだと。
勝機はある。
レイモンドの進撃も始まった。
かなりとんちんかんな進撃なのだが。
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