第20話 嬉しい嫉妬
「 レイ……どうしてここに? 」
「 君と話をしたくて 」
レイモンドはカップを持ったままにアリスティアを見やった。
突然現れたレイモンドに、「ゾイはいない 」とだけ言ったリタは、取り敢えずレイモンドに白湯を出した。
アリスティアにもそうしたように。
しかし。
皇族は何だかよく分からない物は口にする事は出来ない。
なのでレイモンドは飲む事が出来ないでいた。
リタはお茶を出すとさっさと何処かへ行ってしまったが。
勿論、リタはレイモンドがこの国の皇太子殿下である事は知っている。
しかし、皇太子であろうと皇帝であろうと、全く関心もなければ興味もないのが魔女達なのである。
敬意など示す筈もなく。
話には聞いていたが。
皇子である自分に、あんなに無礼な態度を取った者は今までいた事はなかった。
レイモンドは流石は魔女だと感嘆した。
「 ここにいるのはリタだけか? 」
「 え?……はい 」
ロキとマヤは自分の国に戻っている。
今朝突然に畑が気になるから帰ると言って、今はここにはいない。
二人の事を言っても良いのかとアリスティアは考えた。
何せ彼女達は他国の妖精達だ。
この国に居るとなると皇帝陛下の許可がいるのかもと。
魔女は政府の管理下にあるのだから、勝手にここに居る事はどうなのかと。
なのでこれ以上は何も言わない事にした。
レイモンドは3人の男がいない事に安堵した。
あの時はたまたま居ただけなのかも知れないと。
彼等と暮らしているのかの質問に、男達が「 そうじゃ 」と答えた事はスルーする事にした。
あのしゃがれた声が妙に頭に残ってはいるが。
シェフに持たされた料理を戸棚に運び入れたアリスティアは、レイモンドの前に置いてあるカップの中身を見てギョッとした。
まさかの白湯。
皇子様に白湯。
「 リタ様!皇子様に白湯はダメでしょ! 」
小さな窓から顔を出して畑にいるリタを叱る、水の入った釜から柄杓で水を掬い、ケトルにいれて湯を沸かし始めた。
お茶間から茶葉をポットに入れ、沸騰したお湯をポットに注ぐ。
その手際が実によくて。
レイモンドは嬉しそうに眺めていた。
アリスティアの細くて白い指先の動きに見惚れる。
俯いた顔の長いまつ毛が美しい。
このボロい小屋には似合わない豪華なカップを棚から2個取り出して、コポコポとポットから紅茶を注いだ。
辺りに紅茶の良い香りが漂う。
「 はい。どうぞ 」
「 あっ……有り難う 」
アリスティアにすっかり見惚れていたレイモンドは、慌ててテーブルの上に置かれたカップを手に取った。
アリスティアにお茶をいれて貰うなんて事は初めての事。
皇子と公爵令嬢と言う最高位のカップルが、自分でお茶をいれるなんてあり得ない事なので。
リハビリに料理や洗濯をしていたのは、やはりここに来る準備をしていたんだな。
髪を短く切ったのは自分で手入れをするから。
アリスティアが療養していた期間に、この魔女の森に来る為にしていた事の辻褄が当てはまった。
魔女になったなんて……
どんなに辛かっただろうと、レイモンドは胸がキリキリと痛むのだった。
アリスティアもレイモンドの前に座り、カップを手にした。
二人でいれたての紅茶をコクリと飲んだ。
「 美味しいでしょ? 」
「 うん……美味しい…… 」
二人でお茶をするのは実に7ヶ月振り。
美味しいと言われて嬉しそうに笑ったアリスティアを見て、レイモンドは年甲斐もなく泣きそうになった。
こんなにもアリスティアを愛しているのだと。
あの何でもない日々がどれ程幸せな時間だったのかと。
「 今日、うちのシェフが持たせてくれた珍しい茶葉なのよ 」
「 ……ティア? 公爵邸に帰っているのか? 」
「 あっ!? 」
一瞬、しまったと言う顔をしたアリスティアだったが。
「 ええ…… 」
「 何時からだ? 」
「 カルロスお兄様が領地から来た時からよ 」
「 ……そうか……それなら良かった 」
皆が心配していたからと、レイモンドは眉を下げてアリスティアを見つめた。
その顔に、アリスティアはドキリと心臓を跳ね上がる。
先程からレイモンドの視線を感じていて。
ずっと心臓が波打っている。
いや、この小屋の中にレイモンドの姿を見た時から、ずっとドキドキしているのだ。
二人は顔を赤らめながら俯いた。
もう18年間も婚約関係にあったのだが。
まるで付き合いたてのカップルかのように。
その婚約関係を解消したばかりなのだが。
レイモンドは思った。
カルロスが戻って来たから事が動いたとのだと。
婚約を解消したニュースが流れてからは、ハロルド・グレーゼ公爵を宰相にせよと言う動きが活発になっている。
ハロルドの秘書官になったカルロスが裏で奮闘していると聞く。
元々領地に行く前も、彼はハロルドの秘書官だった事もあって。
平静を装ってはいるが。
内心、アリスティアが邸に戻っている事を言わなかったオスカーを腹立たしく思った。
オスカーとは最近は上手くいってない。
何か隠し事をしているのは確かで。
彼は何時も批判めいた視線を向けてくるのだった。
***
この日レイモンドは婚約を解消した事を伝えに来た。
ちゃんとアリスティアと話をしたかったのだ。
もう、ここには来れないかもと思ったのだが。
魔女の森に入ってみれば、またもやすんなりとここまで来る事が出来た。
レイモンドは何かを言おとして、口を開けては閉じるを繰り返していた。
アリスティアは中々言葉が出て来ないレイモンドを見やると、自分から話を切り出した。
「 婚約の解消を有り難うございます」
「 ティア……それは僕の本意ではない 」
「 わたくしが魔女だから仕方無いですわ 」
「 何か他に方法がある筈だ。だから…… 」
その後の言葉が出て来ずに、レイモンドは黙ってしまった。
アリスティアは目を伏せながら紅茶をコクンと飲んだ。
そう。
仕方無い。
もっと早くこうして話をしなければならなかったのだわ。
自分に起こる未来が怖くて逃げていたのは確か。
レイモンドの婚約者でなくなった事で、あんな未来にはならないと言う確信が持てた。
だから、こうして落ち着いて話が出来るようになったのである。
学園に復学しようと思ったのもそう言う事。
勿論、皇太子殿下の婚約者と言う重い枷が取れたのもあるが。
「 わたくし学園に復学しようかと思ってますの 」
「 あっ……休学していたんだよね 」
アリスティアはまだ学生なのである。
やはり婚約を解消するにしても、学園を卒業してからの方が良かったのではないかとレイモンドは思った。
何故グレーゼ家の皆はそこを考え無かったのだろうかとも。
そこには……
魔女リタが天のお告げを聞くまでに、ハロルドを宰相にしなければならないと言うグレーゼ兄妹の思惑がある事は、勿論レイモンドは知らない事だ。
「 大丈夫か? 皆から何か言われたら、僕に言ってくれれば何とかするから 」
「 大丈夫ですわ。わたくしは公爵令嬢ですから 」
「 ……そうだな。君よりも高い身分の者はいないのだからな 」
そうよ。
わたくしよりも低い身分の者達に、あれだけ蔑まされたのよ。
アリスティアは下唇を噛んだ。
思い出しただけでも腸が煮えくり返る。
「 何時帰るんだ? ここに迎えに来ようか? 」
「 レイ……モンドお兄様。 もうわたくし達は婚約者同士ではありませんから結構ですわ 」
「 ティア……お兄様とは呼ばないでくれ 」
「 では、殿下とお呼び致します 」
アリスティアはずっと畏まった喋り方をしていて。
以前みたいに甘えて来てくれないのが悲しかった。
もう。
婚約は解消された事を改めて思い知らされた。
「 殿下? お時間はよろしいのですか? 」
「 えっ!? 」
レイモンドは上着のポケットから懐中時計を取り出して、時間を確認した。
「 もう、帰らなくては 」
窓の外もオレンジ色に染まり初めている。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎる。
レイモンドは慌てて立ち上がった。
背が高いから急に部屋が狭くなったように感じた。
アリスティアが何時も見ている婆さん達は皆、背が低い。
「 そう言えば……レイ……殿下はどうしてこの森に入れたのかしら? 」
「 どうやら1人なら入れるみたいだね 」
殿下と呼ばれて肩を落としながら、レイモンドは厩舎に向かって歩き出した。
アリスティアも後ろに続いた。
レイモンドを見送る為に。
厩舎は鶏小屋の隣にある。
「 不思議ね。お兄様は1人でも入れなかったと言っていましたわ 」
「 うん……僕と2人で入った時も入れなかったよ 」
「 変ね 」
アリスティアが頭を捻って考えている間に、厩舎からレイモンドが白馬を引いて出て来た。
すると……
サササササと木々が駆け寄って来た。
「 ? 」
「 ? 」
レイモンドは慌ててアリスティアを庇うようにして、アリスティアの前に立った。
木がアリスティアに当たるかもと咄嗟に。
しかし駆け寄って来た木々はレイモンドの前に集まった。
まるで君主に跪いているかのように。
中にはクネクネしながら、レイモンドにピタリと寄り添う木もいて。
その木の枝がサワサワとレイモンドの身体を触り出した。
「 もしかして…… 」
「 ティア? 」
「 木ーっ!! 私のレイに近寄るんじゃないわよ!! 魔力で吹っ飛ばすわよ! 」
魔力で吹っ飛ばされてはたまらないと、木はあっと言う間に遠くに離れた。
そう。
レイモンドは木にも愛される皇子様だった。
だから魔女の森に入れたのだとアリスティアは思った。
リタ達が、木は気まぐれだと言っていた事を思い出した。
それでも勇気を出して、クネクネとレイモンドに近付いて来る木がいて。
そう言えば。
以前にレイがここに来た時に、常にレイの側に木がいた。
この木はあの木。
「 そこの木ーっ! レイに近寄ったら燃やすわよ! 」
アリスティアはクネクネしている木を指差した。
その指先が赤く光っている。
クネクネ木はビクッとして、他の木の陰にそそくさと隠れた。
レイモンドは驚きのあまりに瞳を大きく見開き、ごくりと喉を鳴らした。
アリスティアの魔女の姿だ。
初めて見た。
「 全く、木のくせに油断出来ないわ 」
振り返ったアリスティアの瞳の色は、赤く光っていて。
しかし、レイモンドがアリスティアを見つめている間に、何時ものヘーゼルナッツ色に戻った。
「 ティア! 」
レイモンドは思わずアリスティアを抱き締めた。
もう、アリスティアが魔女でも何でも良かった。
木にも嫉妬をするアリスティアが愛しくて。
私のレイと言った事が嬉しくて。
「 キャア!? レイ!? 」
「 ティア! また来るよ 」
アリスティアの頬にチュッと唇を寄せて、レイモンドはヒラリと白馬に跨がった。
肩から下がるマントが風に靡いた。
手綱を引くと、白馬に乗った皇子様は木の間を駆けて行った。
木々がキャアキャアと白馬に乗った皇子様を追い掛けて行く。
「 何? 何で? 今のは何? 」
真っ赤になったアリスティアは両手で頬を押さえた。
私達は婚約を解消したのよ?
婚約している時でさえキスなんてされた事は無いと言うのに。
「 な~にを赤くなっとるんじゃ? 」
リタが、裏の畑から野菜を抱えて持ってやって来た。
「 な……何でもないわ 」
アリスティアの胸の鼓動は、暫く治まりそうにはなかった。
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