第13話 その公爵令嬢は魔女ゾイにつき



 アリスティアの乗った荷馬車は小屋の前でゆっくりと止まった。


 そのまま大きく息を吐くと暫く動けないでいた。

 ドキドキとした胸の鼓動は治まりそうにない。


 まさかレイモンドと会うとは思わなかった。

 この森まで追い掛けて来るとも。

 王女をあの後どうしたのかと気にしながら。



 アリスティアが最後に見たレイモンドの姿は、自分の心臓に剣を突き刺された時。

 綺麗な瑠璃色の瞳に涙を浮かべ、辛そうに顔を歪めていた。


 半年振りに見た白馬に乗った皇子様は、やはり誰よりも素敵で格好良くて。


 そんな素敵で格好良い皇子様を、誰よりも愛する婚約者を、自分の境遇があまりにも辛くて切なくて。



 タナカハナコさえ現れなければ。


 そう思った瞬間に身体の中心に熱いエネルギーが溜まって来た。


 今までの魔力よりも桁違いの熱が。


 これは不味いとばかりに、アリスティアは湖に向かって駆け出した。


 身体のあちこちから魔力が放出されれば、すく近くにある魔女達の小屋が粉々にぶっ飛んでしまう。


 あの時の皇都の街の瓦礫の山が思い出される。



 アリスティアは湖畔に立つと、腕を胸の高さまで上げ指先を湖の反対側にある大岩に向けた。

 この大岩は、日頃魔力を調節する為に利用している大岩だ。


 一応は魔女の修業はしているのだ。

 1日の大半は家事をしてはいるが。



 身体に溜まった魔力を指先に集める事に集中する。

 そして魔力が指先に集まると、湖の向こう側にある大岩に向かって魔力を放った。


 赤い魔力は湖の湖面すれすれを通過しながら、大岩に命中した。

 バーン!と凄い音と共に岩の欠片が辺りに飛び散って。


 凄い破壊力だ。

 魔力を放出したアリスティアは、ヨロヨロと地面にしゃがみ込んだ。


 身体にあるありったけの魔力を一気に放出したからか、身体に力が入らない。



 多分今の瞳の色は赤い筈。

 あれだけの魔力が身体に宿ったのだから。


 レイモンドの姿を見た事から。

 あの素敵な声を聞いた事から。

 アリスティアのタナカハナコに対する嫉妬心がより大きくなったのだ。


 来国して来た王女への嫉妬も重なって。

 


「 やはりわたくしの魔力は、嫉妬の度合いも関係しているのだわ 」

 アリスティアは頭を抱えた。


 これ程までに醜く歪んだ自分に呆れる。

 悪役令嬢だと言われていた事を、何故か褒め言葉のようにとっていた事にも。



 あれは……

 心底軽蔑されていたのだと。


 タナカハナコが現れたら、この魔女の森から出ないようにするしかない。

 ここに居ればレイモンドとタナカハナコの事は、聞こえて来る事は無いのだから。



 地面に座り込んでいるアリスティアの側に鶏がやって来た。


 コケコケと2羽。


「 あら? 逃げ出して来たのね 」

 鶏は街で何羽か買って来た。

 卵を産んで貰う為に。


 婆さん達はアリスティアの作る料理を楽しみにしてくれているので、鶏の産む卵は欠かせない。

 流石にお肉は、街に出た時に干し肉を買って来てはいるが。



 湖では魚が釣れる事から、魚も捌けるようになった。

 最初は苦手だったが美味しい物を食べる為にはやるしかなくて。


 因みに、婆さん達は野菜を育てる事と食べる事しかしない。

 たまにアリスティアの要望があれば、木で何かを作ってくれる位で。



 アリスティアはヨロヨロと立ち上がった。

 少し身体には熱が戻って来ていた。

 嫉妬とは別の熱。



 アリスティアは捕まえた2羽の鶏を持って湖から戻って来た。

 乗って来た荷馬車にはまだ荷物が乗ったままだ。


 鶏小屋に2羽の鶏を入れた。

 この鶏小屋もリタに作って貰った小屋だ。



「 もう逃げちゃ駄目よ! 」

 2羽の鶏にそう言い聞かせる。


 そう。

 わたくしもここに居れば良い。


 この鶏のように。




 ***




「 アリスティアの名前が皇立図書館に記されていただと? 」

「 アリスティアらしき者が床屋に来て髪を切った? 」

「 えっ!?薬屋に薬を売りに来た? 」


 この半年余り。

 あちこちでアリスティアらしき人物の痕跡があった。


 しかし。

 誰もアリスティアに遭遇する事は出来なかった。


 図書館で本を借りたのなら、返却しに来る時を捕まえれば良い。


 そう思って公爵家の護衛達が図書館を見張っていた筈なのに、本は返却されていて。


 そして借りた本は薬学の本だと言う事も、レイモンドとオスカーは頭を捻るのだった。


 アリスティアは一体何をしているのかと。



「 ティア……どうして僕に会いに来てくれない? 」

 僕達はまだ何も話をしてない。

 このままずっと僕の前から君は消えるつもりでいるのか?


 レイモンドの焦りと、アリスティアへの慕情は日々募っていくのだった。



 この日は、来国して来たオパール王国のローザリア第2王女の出迎えに港へ出向き、皇都に戻って来た所だった。


 大勢の民衆が沿道に人垣を作っている中、白馬に乗って先導するレイモンドの後ろからは、王女を乗せた馬車の隊列がゆっくりと進んでいた。



 その時……

 馬上にいるレイモンドは、建物の陰にいるフードを被った一人の女性に目が吸い寄せられた。



「 !? ……ティア 」

 間違える筈もなく。


 18年間もアリスティアを見て来た。

 他の女に目を向けた事など一度もなかった。



 アリスティアから視線を外せない。

 しかし、突然現れた背の高い男がアリスティアの姿を消した。


 しかし次の瞬間。

 アリスティアがヒョコッと男の後ろから顔を出した。

 

 可愛い。


 気付かれたと思ったのか、アリスティアはフードに顔を隠しながら踵を返して人垣の中に消えた。



「 殿下? 何か問題でも? 」

 アリスティアを探すレイモンドに騎士団の団長が声を掛けた。


 先導するレイモンドが止まってしまっているので、隊列も止まったままなのである。


 辺りを見回すと、キャアキャアと騒ぐ民衆を道路に飛び出さないようにと、自警団や騎士達が身体を張って必死で人垣を押さえている。



「 いや、何でもない 」

 レイモンドは馬の手綱を強く握り直して、宮殿に向かって馬を動かした。


 先ずは王女を宮殿に連れて行かねばならない。


 アリスティアが魔女の森に向かうのならば、馬車を利用してもここから2時間を要する。


 急げば間に合う筈だ。

 2時間以内に魔女の森に行けば、アリスティアと遭遇する事が出来る。



 王女を乗せた馬車の隊列が、少し早いスピードになった事は仕方がない。

 隊列を先導するレイモンドがスピードを早めたのだから。



 少し時間が掛かってしまったのは、宮殿に到着した王女がレイモンドの腕から離れなかったからで。


 馬車から降りる王女を、両陛下の待つ謁見の間にエスコートして来たままに、王女はずっとレイモンドの腕に手を回しているのだ。


「 初めての皇宮はとても不安ですわ 」と、甘えた声で。


 結局は、王女の滞在する客間まで案内する事になってしまった。

 逸る気持ちで懐中時計に目をやりながら。


 この時、王女を部屋まで案内して差し上げろと言った父王を、レイモンドはどんなに恨めしく思った事か。



 アリスティアの現状は、グレーゼ公爵家のをしてる事になっている。


 あのドタキャンした記者会見を、アリスティアの急病だとした事で、国民や貴族達はすんなりと受け入れてくれていた。


 当時はアリスティアの健康を気遣う新聞も出たりして。



 しかし……

 一部の者からは二人の間には不仲説がある事も出ていた。


 そこにはやはりの片鱗があるからで。

 このまま婚約は解消されるのではないのかと懸念されていた。



 やはり……

 半年間もの領地での療養は無理があった。


 それ程までに体調が悪いのならば、皇太子妃として相応しくないのでは?などと囁かれ始めている。


 彼女は世継ぎを産めないのでは?とまで。



 そんな頃に、レイモンドとアリスティアは遭遇したのである。




 ***




 魔女の森にアリスティアが消えた。


「 ティア……僕は君が魔女でも構わないんだ 」

 魔女が皇太子妃になれないのならば、自分が譲位すれば良いだけだ。


 皇家には兄上がいるから何ら問題はない。


 皇太子として無責任だと責められようが、レイモンドにとってはそれ程にアリスティアは必要な存在だったのだ。


 それは……

 アリスティアのいないこの半年の間に、嫌と言う程に痛感させられた事だった。



 ただ、公務をこなすだけの虚しい日々。


 貴族の邸で開催される夜会は全て断っていた。婚約者が領地で療養中なのに、その気にはなれないと言って。


 しかし、皇宮で開かれる舞踏会には参加しない訳にはいかない。


 アリスティアへの見舞いの言葉を掛けられながらも、ギラついた女性達の目はレイモンドに嫌と言う程に向けられていて。



 社交界は貴族社会では大切な場である。

 そこでは仕事の情報を交換する場でもあるのだ。

 お酒を飲んだ時だからこそ、本音を聞き出せる事も出来るのである。


 しかしレイモンドは行く先々で女性達に囲まれてしまい、 外交や交流どころでは無くなってしまう事態になっていた。



 女性達にとっての社交界と、男性達にとっての社交界は全く違う。

 皇太子と話をしたいのはどの貴族男性も同じ。


 しかし……

 今はそう言う状況では無くなっていた。


 アリスティアが女性達に睨みを聞かせていてくれたからこそ、色んな要人達と交流が持てていたのだと言う事が痛感させられた。


 皆からの非難の声も何のその。

 彼女は悪役令嬢を自ずからかって出てくれていたのだから。


「 わたくしはレイの婚約者ですわ! 」

 その言葉は、レイモンドにとってはどんなに心地よかった事か。



 魔女の森には、今までは自分で足を踏み入れた事は無かった。


 この半年あまり。

 アリスティア恋しさに何度かここまで足を運んだが、以前に、森に入ったオスカーがこの橋に戻って来るのを見ていたからで。


 この日はアリスティアの後を追い掛けたかった。

 アリスティアの後ろ姿が恋しくて。


「 重症だな 」

 レイモンドはそう呟くと小さな橋を渡り始めた。



 オスカーや御者の話では、行く手には生い茂った木々が邪魔をするようにあり、その中を歩いて行くと橋の上に戻って来ていると聞いた。


 そうなる事を予想しながらも、橋を渡り終え森の中を慎重に歩いて行く。


 しかし。

 レイモンドの行く手にあった木々は、ササーッと横に寄った。


「 えっ!? 木が動いた? 」

 すると自分の前に道が出来た。


 聞いていたのと違う。


 周りは木々で薄暗いと言うのに、今、出来たばかりの道は明るい。

 陽の光がその道にだけ注がれている。


 レイモンドはその中をゆっくりと慎重に足を進めた。



 この日は王女を出迎えに行っていた事から、腰に帯剣していた。

 何時でも剣を抜けるようにと剣の柄を握りしめ、辺りを警戒して。


 カサカサと揺れる木々が自分に話し掛けてくれてるようで。


 中には近くに木が寄って来たりして。

 思わず剣を抜いてしまったり。


「 これは……魔女の森だからか? 」

 木の枝に手を触れると、木がサワサワと嬉しそうに揺れた。



 そうして森の中を歩いて行くと、小さな小屋が3軒見えて来た。


 ここが魔女が住む家?

 ここにアリスティアがいるのか?


 高鳴る期待を押さえながら、注意深く辺りを観察する。

 何せ魔女が住んでいるのだ。

 何が起こるのかが分からない。



 その時木々の向こうからアリスティアが現れた。


「 ティア…… 」

 小さく呟いたレイモンドは、そのままアリスティアを凝視した。


 御者に聞いていた通りに髪は短くなっていていて。

 瞳の色は綺麗なヘーゼルナッツの色。


 魔女になんかなっていない。


 魔女の瞳は赤なのだから。

 レイモンドは歓喜した。



 目を凝らしてよく見ると、アリスティアは鶏を持っていた。

 両脇に2羽抱えていて。


 レイモンドはクックと笑った。

 何だか逞しいアリスティアに。


 レイモンドは木に凭れてアリスティアを眺めていた。

 いつの間にか自分の後ろに木があったからで。



 彼女の姿勢や歩き方。

 その全てが美しい。


 平民の格好をしていても。

 洗練された美しさは、紛れもない高貴な貴族である公爵令嬢。


 鶏を2羽両脇に抱えていても。



 アリスティアは、3軒並んだ小屋の横にある鶏小屋に入って行った。


「 もう逃げちゃ駄目よ! 」

 可愛らしいアリスティアの声が聞こえると、レイモンドは鶏小屋に向かって駆け出した。



「 ティア…… 」

「 えっ!? 」

 鶏小屋から出て来たアリスティアは、大きな瞳を更に大きくした。


 可愛い。

 驚いた顔も可愛い。


 今、自分の目の前にいるアリスティアにレイモンドは胸が熱くなった。



「 ど……どうしてここに? 」

 魔女の森には誰も入る事は出来ないのでは無かったの?


 レイモンドは王女を先導して来た時のままの姿だった。


 紺の軍服姿に赤いマントを風に靡かせ、その美しい顔の皇子様は、アリスティアを愛おしそうに見つめていた。



 サワサワと暖かい風が二人を包み込む。

 時が止まったような時間が流れる。



「 ティア……会いたかった 」

 アリスティアの手を握ろうとして、レイモンドが手を伸ばした。


 しかし、数歩後ろに下がったアリスティアは、レイモンドに向かってカーテシーをした。


「 暫く振りでございます 」

 アリスティアは頭を上げると、目を伏せたままに静かに口を開いた。



「 私は魔女のと申します 」






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