第10話 皇太子殿下と婚約者



 レイモンド・ロイ・ラ・エルドア皇太子殿下は第2皇子だ。

 正妃クリスタ・ラ・エルドアの生んだ皇子である。


 レイモンドには、3歳上の第1皇子のジョセフ・ロイ・ラ・ハルコートがいる。

 彼は、側室であるミランダ・ラ・ハルコート妃が生んだ皇子だ。



 皇家の直系である証のの称号は皇位継承権のある皇子にしか与えられてはいないので、皇帝の子であるジョセフにはこのが与えられている。


 しかし、ジョセフ皇子がを名乗れないのは正妃の子では無いからで。

 レイモンドとは違い、母方の姓であるハルコートを名乗らなければならないのである。


 それは……

 皇帝にどれだけ側妃がいようとも、正妃こそが歴史に名を残す絶対的な存在だと言う事を誇示する国の方針だった。



 そう。

 ジョセフがを名乗るのには、側妃であるミランダが正妃になるか、自分が皇太子になるかのどちらかだった。


 正妃と側妃。

 第1皇子と第2皇子。


 華やかに見える皇宮では、彼等の水面下での争いは常に激しく油断のならないものであった。



 そんな事から、レイモンドには生まれた時から母クリスタの厳しい教育があった。


「 貴方が皇太子になるのは当たり前ではありません。既に第一皇子がいるのです。貴方が皇太子になる事に誰をも納得させなければなりません 」



 クリスタには皇帝の寵が、ミランダに向けられている事にも危機感があった。


 クリスタもミランダも実家は同じ家格である侯爵家の出なのだが、クリスタは有力貴族の娘であり政略的結婚。

 しかしミランダは、皇帝ギデオンの幼馴染みだった。


 因みに当日の宰相はグレーゼ公爵だった。



 先に結婚をしたのはクリスタだったが、中々子に恵まれなかった事からギデオンは側妃を迎えた。


 そして、ミランダの方がクリスタよりも先に第一皇子ジョセフが生まれたのである。


 その時のクリスタの心境はいかばかりのものだったか。


 やがてクリスタも懐妊し、第二皇子であるレイモンドが生まれた。



 正妃であるクリスタが生んだ事で、レイモンド皇子の誕生は国中がお祝いをした。


 それは第一皇子誕生の時よりも盛大に。


 これは正妃と側妃の違いがあって当然の事なのだが。

 ミランダ派の貴族達との確執を大きなものにした。



 クリスタは待望の皇子であるレイモンドを生んでからも、意識は常にギデオンとミランダに向けられていて。


 ギデオンの寵がミランダに向けられているのを感じていたクリスタにとっては、レイモンドが全てだった。


 彼を皇太子にする事だけに囚われるようになっていた。



「 あの女が生んだ子を皇太子にならせてなるものか! 」

 クリスタは、レイモンドにはジョセフよりも上である事を常に求めた。


 しかし、ジョセフは神童だと言われる程に頭が良かった。

 要は天才肌だ。

 ましてや子供の頃の3歳違いは大きいもので、レイモンドがどんなに努力をしてもジョセフには勝てなかった。


 それがクリスタの癇に触り、レイモンドにはより多くの教育を課せられた。


 それは語学であったり勉強や武術であったりと。



 そんな厳しい境遇にあったレイモンドにとっては、グレーゼ公爵家に遊びに来ている時だけが癒しだった。


 クリスタもグレーゼ公爵家との交流だけは許していて。

 レイモンドを皇太子にするには、グレーゼ公爵一門の後押しが必要だったからで。


 2歳年上のカルロスと同い年のオスカーとアリスティアとはまるで兄妹の様に育った。

 実の兄であるジョセフとは近寄る事さえ禁止されていたが。



 アリスティアが生まれたのはレイモンドが5歳の時だった。

 グレーゼ家に令嬢が生まれれば、レイモンドの婚約者にする事は既に決められていた事で。


「 初めまして。僕のお嫁さん 」

 この時レイモンドは、生まれたばかりのアリスティアの可愛いほっぺをつっついて、アリスティアの誕生を喜んだと言う。


 それからは、婚約者であるアリスティアの成長を見守って来た。

 カルロスやオスカーと共に。



「 レイ!だぁぁい好き 」

「 ティアはレイのお嫁さんになるのよ 」

 そう言って抱き付いて来る可愛いアリスティアが、何時しかレイモンドの癒しになっていた。


 常に気を張っていなきゃならない皇宮で、自分に注がれるアリスティアの絶対的な愛だけが、レイモンドの心の支えであった。


 そんな事から、アリスティアの嫉妬や束縛も、両親からの愛が乏しいレイモンドにとっては、とても心地のよいものだった。


 なので……

 アリスティアの事を、我が儘で嫉妬深く高慢ちきな令嬢だと世間は言っていても。

「 僕の婚約者殿は勇ましいんだ 」

 ……と言って、レイモンドは目を細めるばかりだった。



 そう。

 レイモンドはちゃんとアリスティアの事を好きだった。


 それは妹としてではなく一人の女性として。


 アリスティアへの恋心を感じたのは何時からかは分からない。

 アリスティアが生まれた時から、彼女は自分の妃になる女性だとして接して来たのだから。



 勿論、レイモンドのアリスティアへの想いは表には出さないようにしていた。


 何せ5歳違いは本当に大きいもので。


 レイモンドが成人になった16歳では、アリスティアは11歳。

 皇太子に立太子された20歳の年では、アリスティアはまだ15歳の学生。


 とてもじゃないが手を出せない年齢。

 節度を持って接しなければ、下手をしたらロリコンだと言われ兼ねないのだから。


 それ故に、アリスティアが成長して女性の身体になって来ると、レイモンドは節度を守って接するようになり、 幼い頃のように抱き締める事はしなくなった。



 レイモンドも普通の若い男だ。

 好きな女がどんどん美しくなり、女性の身体になっていく姿にときめかない訳がない。


 抱き締めて口付けなどをしようものなら、それこそ自分を抑えられなくなりそうで。

 純真無垢なアリスティアに、大人の男の欲望を見せる訳にはいかなかった。


 アリスティアの前では何時もキラキラ皇子様でいたくて。

 ギラギラ皇子様ではなく。


 アリスティアとの結婚は、レイモンドこそが心待にしていたものだったのだ。



 しかし。

 そんなレイモンドがアリスティアに取っていた微妙な距離間が、周りからの様々な憶測を醸し出した。


 アリスティア公爵令嬢の激しい嫉妬や束縛に、レイモンド皇太子殿下は辟易しているのだと。



「 あんなお子ちゃまが婚約者だなんて可哀想ですわ 」

「 お子ちゃまから嫉妬や束縛されて、欲求不満ではありませんか? 」


 レイモンドは見目麗しい皇太子。

 そんな彼を大人の女性達が放っておく筈も無かった。


 アリスティアがいくら撃退を頑張っても。



 地方に行けば、妖艶な美女達が秋波を送って来たり、身体を刷り寄せて来られる事はしょっちゅう。


 学園を卒業すると、幼い婚約者ならば不自由だろうと、大臣達からは夜伽の相手を紹介されたりもした。


 しかしレイモンドはそれを拒み続けた。

「 僕には大切な婚約者がいる 」と言って。



 自分の事を誰よりも愛してくれているアリスティアを、レイモンドは誰よりも深く愛していたのである。


 親達のどろどろとした確執を見て来たレイモンドは、自分の妃は愛するアリスティア一人だけだと決めていて。


 父皇のように側妃を持つ事は決してしないと。



 自分達に皇子が生まれなければ、兄であるジョセフに皇位を譲っても良いとさえ思っていて。


 毎夜肩を震わせ泣いている母を見て来たレイモンドは、アリスティアを決して同じ目に合わせない事を誓っていた。




 ***




「 えっ? アリスティアが学園に行った? 」

「 今朝張り切って登校したぜ 」

 レイモンドはオスカーから今朝のアリスティアの報告を受けた。


 アリスティアの様子は逐一オスカーから聞いていた。

 記者会見を中止にするなんて、よっぽど具合が悪いのだろうと思って心配していたのだ。


 二人の結婚式の日の報告の記者会見は、アリスティアだけでなく、レイモンドも楽しみにしていたのだ。


 この日に合わせてお揃いのロイヤルブルーの衣装を揃えた。

 アリスティアは16歳の誕生日にレイモンドからプレゼントされた、彼の瞳の色である瑠璃色の宝石のネックレスをつけると張り切っていたのだから。



 体調が悪いからと記者会見の中止を聞いて心底心配した。

 直ぐに駆け付けたかったが、感染症の疑いがあれば、皇太子と言う立場ではアリスティアの側には行けない事から。


 なので5日程で回復したと聞いた時には、御見舞いに行きたいと何度もオスカーを通じてアリスティアに伝えて貰ったのだが。


 やはり、万が一の事があったら大変だとアリスティアが言っていると御見舞いを断り続けられた。


 御見舞いに贈った花には、嬉しいと言う言葉は貰えていたが。



 回復した後は、リハビリに料理や洗濯をしてるのもオスカーから聞いていた。

 やっと会えると思ったが、やはり会う事は叶わなかった。


 やはり感染症が残っていたら駄目だからとの理由で。



「 そうか……良かった 」

 レイモンドが顔を綻ばせた。


 授業が終わるとここに来るに違いない。

 早くアリスティアの元気な顔が見たい。


 そんな嬉しそうな顔をしたレイモンドを、チラリと横目で見たオスカーは申し訳なさそうな顔をした。


「 残念だが、ティアは今日はここには来ないって言ってたぞ 」

「 えっ!? もう完治したんだろ?」

 完治したから学園に登校したのだから。


「 なんか……レイには完璧な姿で会いたらしい 」

「 完璧な姿? 」

「 病み上がりの顔は見せたくないんだと 」

「 ……… 」


 オスカーは記者会見が中止になったあの日以来、アリスティアにずっと違和感を感じて来た。


 まるで人が変わったみたいだと。


 リハビリに料理をしたり洗濯をするのは凡そ令嬢らしくない所為。

 何よりも変なのはレイモンドの話を少しもしなかった事。

 何時もは今日はレイは何をしていたのかとしつこく聞いて来るのだから。


「 そうか……じゃあアリスティアが完璧な姿になるまで待とう 」

 レイモンドはアリスティアらしいと言ってクスリと笑った。



「 そう言えば…… 」

「 ん? 」

 オスカーはここでブッと吹いた。


「 あいつから……レイはブス専か?と聞かれた事があったな 」

「 ? 何で? 」

「 さあ? 」

「 で、お前は彼女に何て言った? 」

「 裸の美女に言い寄られても靡かないから、ブス専かもと言っておいた 」

「 何だそれ? 」

 レイモンドはクックと笑った。



 レイモンドはアリスティアがが妃として相応しくなる為に、たゆまない努力をしているのを知っていた。


 学園の成績も優秀で。

 アリスティアが学園生活を楽しんでいる事を嬉しく思っていた。



 幼い頃から始まったお妃教育をアリスティアは頑張っていた。


「 賢い妃が側にいる事は、皇太子となったレイモンドの格が上がりますわ。頑張ってちょうだい 」

「 はい。后妃様 」


 クリスタは、アリスティアが皇太子妃になる事を想定して、まだ幼いアリスティアに厳しいお妃教育を課したのである。



 5歳も年下のアリスティアが頑張っているならば自分もと努力に努力をしたレイモンドは、どんどんと頭角を現していった。


 そうして彼が20歳の年に皇太子に立太子されたのである。


 そんな事からも。

 アリスティアは、レイモンドにとっては無くてはならない存在だったのである。



 夕方になり、まだ執務室で仕事をしていたレイモンドとオスカーの元に、公爵家の執事がやって来た。


 ハアハアと肩で息をして。



「 お嬢様が魔女の森に消えました 」










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