第9話 魔女として生きていきます



 人間は決して魔女の森に入る事は出来ない。


 魔女の森は川の向こうにある。

 その川に架かる橋は、小さな荷馬車が通れる位の小さな古い橋。


 その橋を渡って森に入って行っても、いつの間にかこの橋に戻って来ると言う。

 故に、魔女の森には誰も入った事は無い。



 アリスティアが魔女の森に入るや否や、鬱蒼とした木々がサーッと自主的に横に開いて行く。

 アリスティアが進むべき道を作ってくれたのだ。


『 木々がお前さんを覚えている 』


 リタ様が言っていた通りだわ。


 木々の動きに感動をしながら、アリスティアはたった今出来たばかりの道を歩いて行く。


 木々がカサカサと揺れると、まるで『 お帰り 』と、自分を歓迎してくれている様な気がして。

 愚かな嫉妬故に魔女になんかなってしまった自分にも、行く場所がある事が嬉しくて。


「 これから宜しくお願いいたしますわ 」

 木々に向かって深々と頭を下げた。



 アリスティアが持って来た大量の荷物は生活必需品だ。

 本当はもっと持って来たかったのだが。

 トランクに入らなかった事で、吟味に吟味を重ねて準備したものだ。

 勿論、侍女のデイジーに頼んで。

 秘密裏に。



 「 うううっ……重いわ 」

 森に入って直ぐにヘタってしまった。 


 アリスティアは、荷物など持った事も無ければリュックも背負った事など皆無の、やんごとなき公爵令嬢。



「 これではとても今日中にはリタ様の小屋には辿り着かないわ 」

 もしかしたら一晩中歩かないといけないかも。


 トランクの上に座り、どうしたものかと暫く考えていると、視線の先にある木々が道を作り出した。


 道の向こうから現れたのはリタ。


 魔女の森を出た時に乗っていた荷馬車に乗って、木々の間をパカパカと馬を走らせてこっちに向かってやって来た。



「 リタ様。わたくしを迎えに来て下さったのですね 」

「 木々が騒ぐからの 」

「 わたくしが来た事を木々が教えてくれたのですか? 」

 なんて素敵なのでしょう。


 アリスティアが手を胸に当てて感激していると、荷物は自負で乗せろとリタは顎をクイッと上げた。

 早くしろと。


 しかし、結局は重くて持ち上がらない事から、トランクはリタに乗せて貰った。

 ブツブツと言われながら。


 そして、森を出た時のように自分も荷台に乗った。



「 リタ様。これから宜しくお願いします 」

「 ああ。しかし、その荷物の中身は何じゃ? 」

「 お料理を作る道具ですわ 」

 リタが食べていたジャガ芋を食べて、食中毒を起こしたのだ。

 もう二度と同じ目にはあいたくない。


 本で調べれば、緑色のジャガ芋は生で食べない方が良いと書かれてあって。

 それが書かれてある植物の本も持参した。


 背中に背負っていたリュックには、調理器具が入っていて。

 重いのはフライパンと大鍋。

 木杓子やフライ返しも持って来た。

 そして自分が使っていたお皿とコップも。



 今日から魔女としての新しい生活が始まる。

 何だかワクワクしますわ。


 道を作ってくれている木々の中を、アリスティアを乗せた荷馬車はゴトゴトと森の奥深くに消えて行った。




 ***




「 わたくしの部屋は何処かしら? 」

 リタの小屋は、釜戸とベッドとテーブルが置いてあるだけの小さな部屋しかない。


「 お前さんはその戸棚の向こうを使うが良いさ 」

「 戸棚の向こうですか? 」

「 押せば分かるさね 」

 戸棚はベッドの奥にあって。

 どうやら戸棚の向こうに部屋があるようだ。



「 隠し部屋かしら? 」

 アリスティアは目を輝かせた。


 隠し部屋だなんて素敵過ぎる。


 ワクワクしながらリタの指示通りに戸棚を押した。

 ……がビクともしない。


「 リタ様! 動きませんわ 」

 公爵令嬢に力などある筈もない。


「 お前さん……面倒じゃのう 」

 リタは渋々戸棚を押した。


 湖で溺れていたアリスティアを、ヒョイと舟に引き上げた位だからリタの力はかなり強い。


 ガタガタと戸棚が扉の代わりのように移動する。

 すると、ベッドが3台置ける位の小さな空間が現れた。


「 ここは何の部屋なのですか? 」

「 もう何百年も使って無い部屋じゃ 」

「 ……では、ここを使わせて頂きます 」

 アリスティアは持って来た荷物をこの部屋に運び込んだ。



「 あの……ベッドは? 」

「 ワシが作ってやる 」

 どうせお前さんは何も出来ないじゃろうからのうと、ブツブツと言いながらリタは外に出て行った。


 直ぐにカンカンと木を切る音がして。


「 有り難う……ございます 」

 魔女は人間と関わりを持たない存在。

 そんなリタが自分の為に何かをしてくれる事が嬉しかった。


 しかし、ここでは何でも自分でしなければならない事が分かっていたので、邸では色んな事に挑戦した。


 僅か一週間の事だったが。



 何かを出来るようになる事が嬉しかった。

 それが釜戸の火の焼べ方などであっても。


 わたくしって……

 レイを狙う女との、マウント合戦で勝つ事でしか達成感を得る事が無かったのかも。


 それがどんなにくだらない事だったのかと今なら分かる。

 アリスティアはレイモンドだけに執着し過ぎていた自分の日常を憂いた。



 リタがベッドを作ってくれてる間に、料理を作ろうと考えた。

 もう生では食べたくはない。


 畑に出てみれば食材は相変わらずたわわに実っている。


 先ずはジャガイモの茎を引っ張る事に再度挑戦した。

 ……が、抜けない。

 いくら頑張っても。


「 リタ様! 抜けませんわ! 」

 アリスティアお嬢様には、やる気はあるが力が無かった。



 アリスティアが作った料理は散々だった。

 色んな野菜でスープを作るつもりだった。

 シェフから教わったとおりに。

 レシピを見ながら。



 しかし邸の厨房とは勝手が違い、釜戸の火さえおこすのにも時間が掛かり、火がついたと思ったら火力の調節が思うように出来なくて。


 野菜スープを焦がしてしまうと言う失態を起こしてしまった。

 辺りには焦げ臭い臭いが漂っている。



「 火を入れると上手いのじゃな? 」

 それでもリタは美味しいとパクパクと食べてくれた。


 リタは自然を司る妖精だ

 。

 今までは、ジャガ芋やトマトもカボチャもキュウリも、全ての野菜を生で食べていたのだ。

 だから調理をした野菜を食べたのは初めてで。

 それ故に焦げた料理でも美味しかったのである。



「 これからお料理を頑張りますわ! 」

 こんな失敗作でも美味しいと言ってくれたのなら、もっと美味しい料理を作ってあげたい。


 アリスティアは持参して来た料理の本を、胸に抱き締めた。



 こうしてアリスティアとリタの生活が始まった。

 初めての事にキャアキャアと叫び声を上げながら。




 ***




「 疲れましたわ 」

 夜になって、アリスティアは自分の部屋に入りベッドの上に横たわった。


 勿論、リタの作ってくれたベッドは、自分の部屋にある豪華な寝心地の良いベッドとは違う。


 しかし、ベッドの上には干し草が敷かれていて、ちゃんとシーツも掛けられていた。

 どうやらシーツは2枚あったようだ。

 ドレスは一着しか無かったが。


 初めて嗅ぐ干し草の良い匂いが、疲れた身体に癒しを与えてくれるようだった。



「 あら?天窓があるわ 」

 大の字になってベッドを見上げるまで、天窓がある事に気が付かなかった。


 天窓から見える星の瞬きが美しい。


 あいにく月はこの部屋からは見えないが、真っ暗な部屋から空を見ていると、月の明かりが案外明るいのが分かる。


 星を眺めているとどうしても家族の事を考えてしまう。


 お父様もお母様もオスカーお兄様も心配してるわよね。


 お母様は泣いているかも。



 レイは驚いているかしら。

 突然の婚約の解消はショックかしら?


 でも。

 一年後には真の愛するタナカハナコが現れるのよ。


 思い返して見れば……

 皆は彼女を神秘的だと言ってはいたが。

 決して美人とか可愛いとかは言ってはいなかった。


 そんなタナカハナコにレイは一目惚れをした。



 今から思えばだと言われた事もなかった。


 わたくしが勘違いをしていただけ。

 レイはわたくしを妹のようにしか思っていなかったのだと思うわ。


 幼い頃から何時も一緒にいたわたくし達。

 それはお兄様達と同じ様に。



 レイはタナカハナコには好きって言ったのかしら?


 すると……

 身体の中心に熱が集まって来るのを感じた。


 キャーッ!! ダメダメ!

 もう考えるのはよしましょう。


 アリスティアは慌てて他の事を考えた。

 そうすると身体に集まる熱は何処かへ消えた。


 これは魔力の調節になるかも。



 ベッドから起き上がったアリスティアは、まだ整理されていないままのトランクから、一冊の本を取り出した。


 それは薬草の本。


 本は自宅にある図書室から持って来た。

 公爵邸にはあらゆる本がある。

 皇立図書館程には大規模では無いが、植物図鑑もそこから失敬して来た。



 自然を司る妖精であるリタは、野菜を作って自分でそれを売ってお金を得ている。

 だったら魔女である自分は、薬草から薬を作ってそれを売ってお金にしたいと考えて。


 自分は魔女なのだからそれが出来る筈。

 物語の魔女はどの魔女も何らかの薬を作っているのだから。


 アリスティアの想像する魔女のイメージは、大きな釜の前でコトコトと怪しい液体を混ぜている姿。


 薬を作って皆の役に立ちたい。

 それが街を破壊し大量殺戮を犯した自分の贖罪。


 勿論、時を巻き戻された今はそんな大罪は犯してはいない。

 だけどアリスティアの記憶にはそれがハッキリと刻まれている。


 あれは夢ではなく現実だったのだから。



「 リタ様! 明日は戸棚やクローゼットも作って下さいね! 」

 持参した物をしまう場所が欲しい。

 この部屋にはベッドしかないのだから。


「 Z…Z…Z… 」

 グオーっとリタの鼾が戸棚の向こうから聞こえて来る。


 あら?

 何の音かしら?


 今までは、広い部屋で一人で寝ていた事から、鼾の存在なんて勿論知らない。


 何の音かと気にしながらも。

  

 確かめに行く程の体力も残っていなかったアリスティアは、何時しかリタの鼾と共に深い眠りに落ちた。


 毎夜、目を閉じてレイモンドの顔を思い浮かべながら言う、「 レイ大好きよ。お休みなさい 」は、もう言わなかった。




 ***




 妖精リタは何千年もこの魔女の森で生きていた。

 その間、人間と関わる事はあまり無かった。


 何度か戴冠式や王子誕生の時に招待をされはしたが、それは野菜を街に売りに行くついでに寄ったと言う程度。


 人間に深く関わると碌な事にはならないのは、永い年月を生きて来た経験から。

 野菜を街にある店に売りに行くのも、売ったお金で生活必需品を買う為で。



 突然に湖に現れた公爵令嬢アリスティアに、リタは非常に興味を持った。


 彼女から聞いた一年後の未来も。

 自分達魔女が聞いたとされる天の声にも。

 異世界から現れる聖女にも。


 時戻りの剣の事は知っていた。

 エルドア帝国の国宝としてその剣が大切に保管されている事も。


 そして……

 アリスティアに時戻りの剣が使われた。

 それがアリスティアの婚約者である皇太子の手によって。



 未来は変えられない。


 しかし、未来を知っているアリスティアがこれから起こる未来にどう関わっていくのかと気にしないではいられない。


 そしてこの世界がどうなるのかも見届けたい。



 永く生きて来たが、これ程の事が起こるのは初めての事。

 これには自分も関わりたいと思った。


 何よりも……

 このアリスティア・グレーゼと言う人間にたまらなく興味を持ったのだ。


 そう。

 嫉妬で魔女になり、世界を救う聖女を殺ってしまった皇太子の婚約者に興味を持たない訳がない。


 そして……

 大罪を犯して震えている彼女を何だか哀れに思ったのだ。

 愛する男の手によって殺されたアリスティアを。



 彼女は自分では何にも出来ない高貴な身分の女。

 キャアキャアといちいち煩いのだが。

 その煩さも何だか心地よくて。

 一緒にいても煩わしいとは感じない。


 そんな諸々の理由から。

 リタはアリスティアと一緒にいる事に決めた。


 魔女になった公爵令嬢が、これからどうなるのかを見届ける為に。








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