第8話 公爵令嬢の旅立ち

 


 2週間学園を休んでいたアリスティアは、この日久し振りに学生服を着た。

 卒業してから3ヶ月経っている記憶がある事から、懐かしさを感じながら。


 今日は休学届けを出す為に学園に登校する事にしたのだ。

 本当は使いの者に休学届けの提出を頼んでも良かったのだが、クラスメートや先生達にお別れの挨拶をしたかった事もあって。



 クローゼットの中に、学生服が当たり前のようにハンガーに掛かっていて。

 鞄も靴も一緒に置いてある。


 もう着ない事から、卒業した時にデイジーが別のクローゼットに片付けた筈なのだ。

 


 本当に一年前に戻って来ているのだわ。


 アリスティアは今更ながらに胸が押し潰されそうになった。



 そして壁に掛けられてある自分の姿絵に目をやった。

 これは16歳の記念に描いて貰った自分の姿絵。

 首元にはレイモンドからのプレゼントの、瑠璃色のネックレスが描かれていて。


 ニコリと笑った顔がとびきり可愛らしい。



 しかし転生前には、ここには記者会見の時の姿絵があった。


 お揃いのロイヤルブルーの衣装を着たレイモンドと、アリスティアが幸せそうに寄り添う姿絵だ。

 アリスティアの首元に瑠璃色のネックレスがあるのは同じだが。


 あの絵が二度と描かれる事はないと思うと、またもや涙が出そうになった。


 わたくしの涙腺はすっかり弱くなってしまいましたわ。



 そして部屋には沢山の花が飾られていた。

 全てがレイモンドから贈られた御見舞いの花。


 勿論、レイモンドとは時を戻されてからは一度も会ってはいない。

 見舞いに来たいと言っているのを何度も断った。


 感染症かも知れないからと言って。



 本当は一年前のレイに会ってみたい。

 しかし、やはり会いたくはない。

 タナカハナコとキスをしたレイには。


 あの時、目の前で交わされた誓いのキス。

 結婚式の日の誓いのキスはアリスティアが見た現実なのである。


 勿論、今のレイモンドはまだしてはいないが。



 コンコンとドアをノックする音と共に、デイジーが部屋に入って来た。


「 お嬢様~起きる時間ですよ~ 」

 今日から学園に行く事は家族には伝えてあった。


「 えっ! お嬢様!? ご自分でお支度をなされたのですか? 」

 デイジーが制服を着ているアリスティアを見て驚いた顔をしている。


 体調が回復してからは、自分の事は自分でやるようにした。


 あの小屋で生活をするのだ。

 リタは全く手伝ってはくれないのだから、自分の事は自分でするしかなくて。



 特に料理には力を入れた。

 もう生では食べたくはない。


 なのでシェフからは、基本的な料理の仕方を教わった。

 料理のレシピも自分で書いた。


 足蹴く調理場に通うアリスティアに、皆は驚いていたが。


「 料理って楽しいわ 」

 料理をした事が無いので、薪に火を焚べる所から習わなければならなくて。


 しかし、それが一つ一つ出来るようになるのが嬉しかった。



 この2週間の療養はアリスティアにとっては渡りに船舟だった。

 その他にも色んな事に挑戦した。

 洗濯をしたり、身体も自分で洗えるようになった。


 家の者にはリハビリだと言って。



 アリスティアは部類の負けず嫌いだ。

 出来るようになるまでの努力は惜しまない。


 公爵令嬢として。

 何よりも、エルドア帝国の皇太子殿下の婚約者として。

 完璧であろうとずっと努力をして来たのだから。


 皆にはそんな努力を一切見られないようにして来た。

 何せそのプライドは天をも貫く程に高い。



 勿論、皆は驚いた。

 使用人のする事に挑戦するアリスティアは、まるで人が変わったようだった。


「 わたくしには出来ない事などないのですわ! 」 オーホホホと、腰に当てて高笑いをする姿には、何時ものお嬢様だと安堵をしたが。



 グレーぜ公爵邸の使用人達は、アリスティアの事が大好きだった。


 確かに我儘で高飛車な所もある。

 しかし、使用人を理不尽には叱る事は無いし、メイド長や執事長から叱られている時には、さり気なく庇ってくれたりもする。


 公爵邸で夜会を開く時には、皆に労いの言葉を掛けてくれたりもした。



 グレーゼ邸には平民の使用人が大勢いる。

 それは皆アリスティアが拾って来た訳ありな人々だ。


 行き場所のない自分達を邸に連れて行き、仕事まで与えてくれたアリスティアへの恩を、彼等は決して忘れる事はなかった。




 ***




「 自分の事は自分ですると言ったでしょ? 」

 アリスティアは鞄を持とうとするデイジーから、鞄を取り上げた。


「 でも…… 」

「 今日はお前に休みを与えるわ 」

「 お嬢様…… 」

「 これは命令よ! 従いなさい 」

「 はい。分かりました 」

 アリスティアの具合が悪い時、ずっとデイジーが付きっきりで世話を焼いてくれた。

 そんな彼女を労いたかった。



 そして、今日は授業が終わったら、邸には帰らずに直接魔女の森に行く予定にしている。

 その為にもデイジーは下がらせる必要がある。


 貴族の令息や令嬢の学園への送り迎えには、必ずや侍女や侍従が鞄を持って同行する事から、デイジーが側にいたら行動に移せないのだ。


「 デイジー。今まで有り難う 」

「 おっ!お嬢様!? 」

 アリスティアはデイジーにハグをして、自分で鞄を持って食堂に向かった。



 この朝アリスティアは、父母とオスカーとの3人で朝食を共にした。


「 明日は久し振りの登校だから、皆で一緒に朝食を食べて、わたくしを見送って欲しいですわ 」

 アリスティアはそう言って父母に甘えた。


「 おや?ティアがやっと元に戻ったな 」

「 皆で食事なんて何時以来かしら? 」

「 我が儘を言ってこそアリスティアだ 」


 父母もオスカーも嬉しそうにしている。



 この2週間のアリスティアはまるで別人の様だった。

 料理をしたり洗濯をしたりと。

 凡そ令嬢らしくない行動や言動をしていたのだから。


 久し振りにアリスティアのおねだりを聞いた皆は、元に戻ったと言って安堵したのである。



「 ティアがちゃんと食べられるようになって良かったわ 」

 アリスティアが美味しそうに食べる姿を見ながら、キャサリンは目を細めた。


「 殿下には今日会いに行くのか? 」

「 ……いいえ。今日は久し振りの登校で疲れるだろうから、にするわ 」

 デザートの果物を一口口に入れながら、アリスティアは首を横に振った。


「 お前。やっぱりちょっと変じゃないか? 」

 今までのアリスティアならば、真っ先にレイに会いに行く筈。


 オスカーが怪しんだ顔をしてアリスティアを凝視して来る。



 オスカーお兄様はやっぱり危険だわ。


 長兄のカルロスは温和な性格なのだが。

 流石に皇太子殿下の側近をしているだけあって、このオスカーは鋭い感性を持った性格なのである。


 昔から。

 甘やかされるばかりのアリスティアを戒めるのは、必ずやこの次兄のオスカーだったのだから。



「 まあ、殿下には最高の状態で会いたいだろうからな 」

 アリスティアはかなり痩せてしまったと、ハロルドは悲しそうな顔をした。


 お父様!

 ナイスフォローですわ!


「 そう!そうですわ! レイには最高のわたくしでお会いしたいのですわ 」

「 ……なら良いが 」

 オスカーはまだ怪訝な顔をしている。


 そもそもこの2週間のアリスティアの行動を怪しんでいたのだ。

 会えば必ず変だと言われて。



「 お父様、お母様行って参ります 」

 登校前に両親にハグをするのは何時もの事。


 今朝は長めに。


「 オスカーお兄様!カルロスお兄様にも宜しく言っておいてね 」

 アリスティアはオスカーにもハグをした。


「 !?……お前…… 」

「 では、行って参ります 」

 オスカーから何か言われる前に、アリスティアは急いで待機していた馬車に乗り込んだ。




 ***




 教室に行くと、まだ早い時間なので教室には誰もいなかった。


 何時もなら、正門前に取り巻き達が待っていて。

 アリスティアが馬車から下りると直ぐに彼女達が、「 お早うございます 」と言いながらやって来るのだ。


 それが当たり前の日常だった。


 しかし今日は、アリスティアが皆を出迎えようと、早くに登校して来たのだ。



 学園を卒業してから3ヶ月。

 入学したその日から、卒業する日が待ち遠しかった。

 ただただレイモンドばかりを追い掛け続けていた日々だった。


 わたくしはレイの妃になる事ばかり考えていたわね。

 もっと学生時代を楽しめば良かった。



「 えっ!? アリスティア様!? 」

 その時、2名の女生徒が教室に入って来た。


「 お早う 」

「 お……お早うございます 」

 彼女達はアリスティアの取り巻き達では無いが。


「 お身体のお加減は如何ですか? 」

「 ええ。もうすっかり良いですわ 」

「 わたくし達も記者会見を楽しみにしておりましたのに 」


 そう。

 あの日に記者会見をする事は皆が知っていた。

 結婚式の日を発表する事も。



「 申し訳無かったわね 」

「 !?そんな……アリスティア様…… 」

 アリスティアが申し訳無さそうな顔をしたので、彼女達は慌てた。


「 まあ!?アリスティア様!お元気になられたのですね? 」

 そこにガヤガヤと女子生徒達が入って来た。

 今度はアリスティアの取り巻き達だ。


「 お身体は大丈夫ですか? 」

「 ええ。すっかり 」

 アリスティアを囲んで、皆が励ましの言葉を掛けて来た。



「 殿下もさぞやご心配だった事でしょう 」

 手を胸の前で組んで、アリスティアに悲しそうな顔を向けた彼女は侯爵令嬢。


 とても可愛らしい令嬢だ。

 わたくし程では無いけれども。


 もしかしたらわたくしと婚約解消したら、彼女が婚約者になるかも知れない。


 家格の良い彼女は有力候補。

 それはそれで腹立たしいが。



「 レイは……殿下はブス専よ 」

「 えっ? 」

 いくらレイと婚約をしても、一年後にはレイはあの不細工なタナカハナコと恋に落ちるのだから。


 アリスティアは首を横に振りながら、侯爵令嬢の肩をポンと叩いた。



「 記者会見が開かれなくて残念でしたね 」

 授業の度に先生達が、アリスティアを見て残念そうな顔をした。


 そう。

 皇子として生まれて来たレイモンドが特別ならば、皇子の婚約者であるアリスティアもまた特別な存在だった。


 アリスティアはこのエルドア帝国の皇太子妃となり、やがては皇后陛下になる存在なのだから。



「 学園時代は特別なもの 」

 入学式に学園長がそう話していた事を思い出した。


 どうせなら入学式の日に戻してくれたら良かったのに。


 それ程にアリスティアは今日この日が楽しかった。



 何時もは話し掛ける事さえ出来なかった公爵令嬢が、気軽に話し掛けてくれる事が嬉しくて。

 皆も楽し気にしていた。


 本当にわたくしってレイしか見ていなかったのね。


 アリスティアはフゥゥと溜め息を吐いた。



「 皆様、ごきげんよう 」

 この日一日を楽しく過ごしたアリスティアは、事務局に行き休学届けを提出して学園を後にした。


 そして公爵家の馬車に乗り込むと、街にある床屋に向かう様に御者に告げた。


 ドキドキワクワクしながら。



「 お嬢様? ホントにこの美しい髪を切ってもよろしいのですか? 」

「 ええ。バッサリ切って頂戴 」

 勿体ない勿体ないと言いながら、床屋の店主はアリスティアのミルクティー色の絹のような髪を切っていった。


「 あら素敵ですわ。短くなっても美しさは変わらないですね~ 」

「 似合っていますか? 」

「 勿論! 」

 女性が耳を出す位のショートヘアは、平民でも滅多にしない髪型。


 やっぱり美しい顔はどんな髪型でも美しいのだわ。


 鏡に映る少し癖毛のあるショートヘアの自分を見て、大いに満足した。



 床屋の店主は、切った髪でカツラを作るから売って欲しいと言う。


「 あら? こんなに? 」

 貧しい平民は、髪を売って生活費の足しにしていると聞いた事はあるが。


 このお金で、リタ様に立て替えて貰ったドレス代を返せるわ。


 アリスティアが人生で初めて稼いだお金は、自分の髪を売ったお金だった。

 


 店を出て馬車に乗り込むと、魔女の森まで行くように御者に命じた。


「 お嬢様? そんな所に何をしに? 」

「 お前は言われたとおりにすれば良いのよ! 」

「 ……畏まりました 」



 アリスティアを乗せた馬車は、魔女の森を囲むように流れる川に架かった小さな橋の前に止まった。


 橋は荷車が一台通れる程の小さな橋だ。


 馬車から下りるとアリスティアは橋を渡った。

 両手には大きなトランクを一つずつ持ち、背中には大きなリュックを背負って。



「 おっ…… お嬢様!? 」

「 サム!有り難う。身体を厭いなさい 」

 橋を渡り終えるとアリスティアは、振り返って笑った。



 お父様、お母様。

 カルロスお兄様、オスカーお兄様。


 魔女なんかになってしまったわたくしを許して下さい。



 涙が零れ落ちそうになったが。

 ごくりと飲み込んだアリスティアは、魔女の森に入って行った。



 アリスティアの部屋には……

 家族宛の手紙と、レイモンド宛の手紙が置かれていた。









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